奴隷に理由を伝える方法
広い部屋であった。
白を基調とした明るく柔らかい室内に、豪奢な寝台が2つ。
調度品がさりげなくも要所を引き締めるように飾られ、大きなテーブルにソファ、お茶を淹れる程度であるが簡素なキッチンもある。
ここからは見えないが、奥の扉の向こうには洗面台と浴槽も備え付けられていた。
そんな、おとぎ話に出てくるような広く豪華な部屋で。
片隅、文字通り四隅の一角を可能な限り狭く切り取ったスペースに、青年は壁を向き膝を抱えて座っていた。
どうすればいいか分からず、目の前で不安そうに佇む少女を取り残したままで。ぶつぶつと呟きながら。
「可能性が、前借りが、可能性が、2110枚が、可能性が……」
『怯えてるじゃないの、いい加減にしなさい!』
がつんと振り下ろされる、1×0tハンマー。
全身で抱きかかえるように持ったそれが青年に直撃するのは、実は初めてのことである。
妖精さん、少し嬉しそう。
「はっ!?
すみません、少しぼんやりしていました」
「い、いえ……大丈夫、ですかぁ?」
まだ顔に困惑と不安を残したまま、それでも気遣うように青年を覗き込む少女。
その仕草に合わせ、高く結ばれたポニーテールが照明に照らされながら流れるように揺れる。
「大丈夫です、失礼しましたよ」
返事をしながら、少女も前に座るように促す。
部屋にある大きなソファでも、柔らかそうなベッドでもなく、壁際の床に。直接。
「い、いえ、奴隷ですから、そんな恐れ多いことはできません」
『なんで床なのよ、ソファとか使いなさいだわ!』
否定と突っ込みを同時に受けつつ、仕方ないなとばかりに立ち上がる青年。
ただし移動はしない。部屋の隅に立ったまま話をするらしい。
なぜ広い部屋の中で、畳一枚分にも満たないスペースのみでやりとりするのか分からない。
「改めて、初めまして。ぼくは鋼と言いますよ。柏 鋼」
「はっ、はいぃ、ユニカですぅ!」
突っ立ったまま、ぶつかりそうな距離でぺこぺこと頭を下げる二人。
少し背の低い少女の額の青角が鋼に突き刺さらなかったのは、ひとえに奇跡的なタイミングによるものであろう。
しかし、ユニカか。名前の由来はなんだろう?
ユニコーンか? ユニコーン化か?
あるいはユニークか、ユニークなのか。そんなどうでもいいことを真顔の裏で考えつつ、少女と交わす言葉を始める。
「ユーディア族について、聞きました」
「―――はい」
それまでの慌てや困惑を色濃い不安で塗りつぶし、固い声で少女が頷く。
ユーディア族。角と、契約。万病の薬と、癒しの力。死と、生。
「いくつか、聞きたいことと言いたいことがありますよ」
「はい」
自分を見つめる不安げな瞳の少女。
その瞳を、それから角を一度見てから青年は微笑む。
「まず……一番気にされてることをお伝えしましょう。
ぼくは、あなたの角を斬り落とすつもりはありませんよ」
「!」
その言葉に、感情が弾けるように顔を押さえた涙をあふれさせる少女。
言葉が出ない。声にならない。
嗚咽さえ出ず、押さえた両手の隙間から涙だけが流れ落ちた。
どれほど泣き続けたのだろうか。
拭うハンカチさえ持たず、頬を濡らした涙が自然に乾くまで、十分に時間が経ってからゆっくりと少女は尋ねる。
「どうしてぇ、ですか?」
「ん?」
落札前の、ただ一言だけの会話。
青年の眼差し。
期待していなかったと言えば、自分は間違いなく大嘘つきになる。
だけど。期待したらいけないと思っていた。
自分に言い聞かせていた。
落胆するから。絶望するから。
「角を、斬り落とさないなら、どうして私なんかを……」
―――いや。
青年は、『ぼくは』斬り落とさないと言っただけだ。
つまり、斬り落とさぬまま誰かに売り―――
「あ、誰かに売る気もないですよ。
他人に斬らせるとか、そんなひっかけもないです」
少女の表情から考えを読んだか、あるいはまったくの偶然か。
少女の心にわいた疑念を、タイミング良く青年が打ち消す。
でも、じゃあ、なぜ?
角以外に、自分に価値なんて―――
「あなたは、オークションの時に、助けて、って言いましたよね?」
「はい」
確かに言った。
青年の質問で、口がきけるようになって。
思わず叫んだ。助けて、死にたくないと。
「ぼくは、あなたを助けるために落札した―――わけでもないんですよ」
「え?」
それを聞いて、青年は入札してくれた。落札してくれた。
だから―――期待、してしまった。希望を持ってしまった。
青年が、自分を助けてくれるのだと。
そんな気持ちを、当然の思考を、青年は笑顔で否定する。
「ぼくを、助けて下さい。
あなたが身に着ける、癒しの力で」
「私が……助ける?」
「はい。
ぼくには、あなたの力が必要なんですよ。あなたが居なければ、ぼくは死にます」
無期限だから、実は死なないんだけどねー……なんてことを、背景と同化した妖精さんが呟く。
本当に暇そうに、今は調度品の額の縁に腰かけてあくびをしていた。
「私が……」
考えたこともなかった。
夢想したのは、いつだって、誰かが自分を助けてくれることで。
助けられた先について、想いを巡らせたことはなかった。
助けられることだけが、望みで、願いで、奇跡だったから。その先が続いたことは、なかった。その先はなかったから。
想いもしなかった、助けられた、先。
自分が、誰かを助けるということ。
助けられた、自分が。
「―――はいっ、頑張りますぅ!」
この、先へ。
助けられた、奇跡の先へ。
行きたい。行ってみたい。
―――自分を助けてくれた、自分に助けを求めてくれた、この人とともに―――