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夜半過ぎ

作者: 亜伊宇江雄

 喉の渇きで目が覚めた。部屋は暗い。

 起き上がって水を飲みたかったが、気怠さで体を起こすこともままならない。そこで、いつも用意してある水差しを取るために、上半身をゆっくり左に捻じりながら右手をサイドテーブルに伸ばした。カーテンの隙間から月が見える。それは病に侵された少女の肌のように青白かった。手にした水差しはその光を宿して煌めいている。

 わたしは水差しの水を一息で飲み干した。生ぬるい水でも乾いた喉を潤すには十分だ。急いだせいで、少しの水が口から溢れて口角から細い筋となり左の頬をつたってシーツに落ちた。わたしは空になった水差しを元に戻し、再びベッドに仰向けになった。

 カーテンの隙間から射しこむ月の光はまるで薄明光線のようである。その光の筋が天井の柄をうっすらと映し出していた。それは幾何学模様と思われる。大小からなる幾つもの正円が一定の間隔で円線により繋がれている。それを複数を組み合わせたものが天井全体に描かれているのであろう。さながら、その配列や構成は宇宙の組成のようであり、曼荼羅のようでもあった。わたしはその小宇宙が少しずつ自分に向かって降りてきているように感じた。

 どれくらいの時間が経っただろうか。わたしはまんじりともせず、なかなか降りてこない小宇宙をじっと眺めていた。依然として頭はぼんやりしているものの、眠気は覚めてしまったようである。

 そこでテレビでも観て睡魔を呼び戻すことを考えた。テレビの方を向こうと緩慢に顔を右に傾けると、不思議なことにテレビは点いている。もしかしたら、頭を動かしたときに枕元のリモコンに触れてしまったのかもしれない。テレビは微弱な青白い発光で、一人の女優を画面いっぱいに映し出している。彼女は笑顔だった。

 この部屋のテレビはかなり小さい。そのうえベッドから離れている。そして不明瞭この上ないわたしの頭である。その女優の名前が全く思い出せない。いや、名前だけではない彼女が女優であることも甚だおぼろげである。

 それにしても彼女の微笑みには、人の心を動かす何かがあるような気がする。それは表現することを生業としている彼女の実力でも、才能によるものでもなく、人となりからにじみでるものであろう。だからこそ画面の中の人物にも関わらず、これほど身近に感じるのだろう。癒し系という言葉が過去にもてはやされたことがあったが、わたしにとってそれは彼女であったはずなのだ。

 しかも、その彼女は日本屈指の有名な女優であることに間違いはないはずである。それなのに、なぜ彼女の名前が出てこないのだろうか。焦燥感と苛立ちに全身を包まれて、部屋の温度が下がったような気がした。

 わたしは顔を天井に向けなおすと、じっと小宇宙を睨みつけた。どうしてもこの女優の名前を思い出したい。いや、思い出さなければならない。これは突然芽生えたある種の強迫観念である。なぜそんな思いにとらわれているのかが自分でもわからない。

 今や天井の模様は、あらゆる情報を蓄積した神経細胞の集合体のように思える。そこに自分を直結させて、彼女の名前を引き出せればいいのに。

 そんな夢想をしたところで、当然のことながら彼女の名前は思い出せない。悔しさと遣る瀬無さが体の中を駆け巡り、わたしを急き立てる。出口を求めたそれらは眉間に集まり、毛穴を押し開くと微細な塵芥となって立ちのぼり、この空間に満ちていった。それがこの部屋に射しこむ月の光を、より青白いものにしているのだろう。それでもいっこうに彼女の名前は出てこない。ただ空虚な時間が流れていく。

 ふと気がつくと月は歩を進めたらしく、天井の光の筋はその角度を変えていた。顔を左に傾けても、カーテンの隙間から月を見ることができない。水差しも暗くなった。

 わたしはもう一度、彼女を見ようと顔をテレビへ向けた。すると画面には彼女ではなく、子役の女の子が映し出されていた。既に場面は切り替わってしまったようである。その子の笑顔を見ているうちに、さっきの女優とこの子が数多く共演していることを思い出した。家族をテーマにした映画やドラマに母娘の役で出ていることが多かったはずである。

 それで、この子の名前をまず思い出そうと思った。それがきっかけでさっきの女優の名前も思い出すかもしれない。

 笑顔が本当にかわいらしい女の子である。年の頃で六、七歳だろうか、ぱっちりした綺麗な二重瞼と天真爛漫であることを感じさせる横に広い口。その愛嬌ある表情はどこかにあの女優の面影を感じさせた。なるほど、二人が母娘を演じることが多いのも頷ける。

 確か二人が共演する作品の多くは不幸な家族の物語ではなく、幸せな家族が困難に立ち向かうことによって、さらに絆を深めてゆくといったものが多かったはずである。その中でも特に印象に残っているのは、問題を抱えた夫婦が幼い我が子の純粋で無邪気な言動によって救われ、やがて解決の道を歩んでいくという映画だ。親であれば誰しも、我が子がこんな子であったならと思うに違いない。わたしも大いに共感や感動を味わわせてもらった。もしもこの家族の中に身を置くことができるならば、人だからこその本当の喜びを知ることができたに違いない。そう思ったことを覚えている。

 人が本当の意味で幸せを感じることとは非常に明解で、人と人との結びつきから得られる愛だという。それを体現した彼女たちの作品を見て、多くの人は慰められ勇気を得たに違いない。かくいうわたしもそのうちの一人だったのだ。

 気が付くといつの間にか目をつむっていた。少し歯がゆさを感じながら瞼を開けてみると、そこには闇しかなかった。ついさっきまで存在していたはずの光が全く消失している。この濃密な空間は深淵である。動悸も、息が荒くなることも、目が見開かれていくことも止めることができない。瞳孔が一気に開いてゆく音が聞こえるようだ。涙が溢れた。

 そう、今やわたしは彼女たちの全てを思い出していた。わたしが誰であるのかも。そしてそれがすでに何一つ意味を持たないことにも気がついていた。帰らざる日々の中で、わたしは彼女たちに救われていたのに救うことはできなかったのだ。この部屋に光が訪れることは二度とないだろう。この瞳孔がもう一度光を通すことも。

 それでいい。いや、そうでなければならない。そして、忘却し得ない記憶を魂ごと虚無へと投げ込むのだ。

 力を振り絞って彼女たちの名前を呟いたが、自分の声を耳にすることはできなかった。それで、今や眼前の小宇宙は闇の中を降りてきつつあることを知った。

 このまま身を任せればいい。そうすればわたしは救済される。それからわたしは目を閉じた。

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