第四 kick star☆
眠りに落ちる前に、僕はお盆の上の平面な大地を想像する。
大陸を取りかこむ海は大きな滝で、太陽や月や星は天を毎日のろのろと移動している。別にコペルニクスやガリレオの考えを否定したいわけでもない。でも僕にとって、大世界なんてそんなものでいいのだ。別に地の果てに行きたいわけでもない。出来ることなら僕はこの日本で、いやもっと言うなら、生まれ育ったこの町内だけで年を取って死んでいきたい。
小学校のとき、そんな考え方を作文に書いたら担任から呼び出された。
「清俊くんねー、しょうらいのゆめって題でゆめのない話を書いたら、きみ、女子にモテナイよー」
いつも余計なことを言っては児童に陰で失笑されている、チャラチャラした男教師だったことを覚えている。そんな物言いをすれば子供が自分の思い通りのポエミーな作文を書いてくるとでも思っているのだ。
多分狩穂だったらムカついてそのまま突き通しただろうことを、僕はあっさり適当なゆめを書き直すことで難を逃れた。
この担任は僕が知る限り表面的なチャラ臭さとは裏腹に、彼の期待した態度を児童が取らないと、いつまでもしつこく思い通りに動かそうと煩く絡みついた。それで最後には親を呼んで何時間もヒステリックな説教を行う、ある意味今時珍しいモンスターペアレントならぬモンスター教師だった。
「しょうらいは、サッカーの選手になって、Jリーグで活躍したいです」
もちろん、僕の運動神経は並程度で、サッカー部にも所属なんかしていなくて、体育の時間につきあいで遊ぶ程度だった。ゆめはゆめのままでいいんだよ、と、担任の浅い腹はそう僕に語っていて、僕は知らぬふりでそれに素直なふりをしていただけだった。
小さなゆめ。
僕はそんなに大きな夢を持とうとはしていなかった。亡くなった祖父から「清俊は遠慮ばかりする子だなあ」と言われたことも覚えている。真実は真実で別にいい。だけど現実に必要な知識なんてそんなに多くはないんじゃないか、と僕は思っていた。
ふっと頭に今日の狩穂の言った「動物タイプの小人」が思い浮かぶ。ホーリー・アニマルズのなりをした、何かなんだろう。姉が少し頭をおかしくしている線もやっぱり捨てきれないが、僕は少し気持ちが変わった。
「なあ、四つ耳のウサギ、聞いてるか」
僕は、虚空に向かって言った。
当然、返事はどこにもない。
僕は構わず、続ける。
「ウサギ、お前にお願いがあるんだけど、僕の言うことは聞いてくれんのかな。もし大丈夫だったら、何年か前にこの部屋でなくした小学校時代の愛用のシャーペンを探してくれないかな。真っ青でさ、ボディに『kick star☆』とか白文字で書いてるやつ。あれサッカー部のキャプテンから貰ったんだよ、僕の小学校ってサッカー強かったからさ、どっかの大会で優勝したときインタビューした誰かから貰ったとか」
サッカー部の強さは地元でも轟いていて、キャプテンのところには子供なのに地元の新聞社からインタビューがよく来ていた。どこの記者の気の回しだったかは分からないし、そのシャーペンをどうして僕が貰うことになったかもよく覚えていない。もしかしたらどちらとも気まぐれで、シャーペンは本当なら別の人のところに行ってたかもしれないけれども。
ただ、それを僕がある日突然なくしてしまったのは、なぜか無性に悲しかった。
あるはずのものがなくなる。日常が、ナニモノかに攫われる悲しみ。
極端に執着癖があるわけでもないと思ったけれども、多分、僕はそういう、小さくて何気ない幸せが目の前から掻き消えることにそんなに強くはないのだ。
僕はもう部屋の暗闇の、どこも見ようとは思わなかった。
そしてただ、眠ろうとする。
まどろみから、意味の繋がらない脳裏の画像へ。そしてそれすらも感じられない、眠りの奥の世界へ。――
――翌朝、いつもより五分早く目が開いた僕は机の上にあるものを見て、眠気が一発で醒めた。
真っ青な「kick star☆」のシャーペンが、そこにころりと転がっていた。
「……いる……!」
生唾をごくんと飲み込んだ僕はもはやシャーペンを手に直立するしかなく、二階にあがってきた狩穂がノックと同時に部屋に入ってきても、「おや、珍しいもう起きてる」とか「今日の朝ごはんはー」とかの言葉にも無反応で、姉を心配させることになっただけだった。