Scene-8 新しい命~好きになってもいいですか?(それから…)~
奈津子は最後のチャンスだと思っていた。年齢的にも。
既に4人の子供がいる。上の二人は再婚相手の連れ子で、長男は二十歳を過ぎている。一番下の子でさえ、中学3年生だ。
俊哉と再婚してすぐに奈津子は妊娠した。その子を奈津子はどうしても産みたいと思った。
それは、陽子―再婚した俊哉の前妻―の願いでもあったし、自分自身、俊哉の子を産みたいと思っていたから。
子供が出来た事を俊哉に話すと、喜んでくれた。
「でも、無理はしないでくれ」
俊哉はそう言って、奈津子の肩を優しく抱いてくれた。
「どうしてもあなたの子供が欲しいの」
「僕もみぃこの子が欲しい」
この子は陽子の生まれ変わりだと奈津子は思う。自分の命が残りわずかだと知った陽子は俊哉の事を奈津子に託した。そして、こう言った。
「俊哉の子を産んで欲しい」
それが陽子の最後の言葉だった。
夏の残暑が残る9月の末。新しい命が誕生した。女の子だった。
「みぃこに似て可愛い女の子だね」
俊哉はそう言って奈津子を労った。
「ううん、トシさんにそっくりよ」
毎日入れ替わり立ち替わり、色んな人が見舞いに―というより赤ちゃんの顔を見に―来てくれる。赤ちゃんが保育器から部屋に戻って来ると、子供達は赤ちゃんを抱っこしたがった。
「気を付けてね。まだ首が座ってないから」
「分かってるって」
この病室は笑い声が絶えない。この子はきっと感情豊かな明るい子になるに違いない。
奈津子の母も久しぶりにやって来た。
「俊哉さんに似ていい顔をしているわね。もう、名前は決めたの?」
「ええ、もう決めているわ。彼にはまだ話してはいないのだけれど…」
その日の夜、仕事を終えた俊哉が病室を訪れた。手には『良い名前の付け方』の本を持っている。
「この子の名前なんだけど…」
俊哉が言いかけた。
「ごめんなさい。もう決めているの。これだけは私に譲って」
奈津子は俊哉の言葉を遮るように言った。自分が決めている名前以外の名前を俊哉が口にする前に。
「なんだ、そうなの?」
俊哉は少し残念そうだったけれど、すぐに微笑んで赤ちゃんの顔を眺めて話しかけた。
「ママがもう名前を付けてくれたんだって」
その瞬間、わずかに風が病室を吹き抜けたような気がした。
そして、俊哉は奈津子に向き直った。
「まさか…」
奈津子は頷いた。
「はい。“陽子”にしたいと思う」
この子は陽子さんが私に授けてくれたのだと思う。だって、この子が生まれた9月24日は陽子さんの誕生日と同じなんだもの。 彼もきっと、そうするつもりだったはずだわ。
私の隣で“陽子”は静かに眠っている。少しだけ開けられた窓からは爽やかな風は入ってきた。あの日、陽子さんの病室に入ってきた風と同じにおいがする。
風がキャビネットの上に置かれた本のページをめくっていく。彼が買ってきた『良い名前の付け方』の本を。そして、開かれたページには“陽子”という名前に丸印が付けられていた。