ごめんねのその先を
初めから知っていたんだ。
優しい声、優しい眼差し。
心地良いそれが、私だけに向けられたものじゃないってこと。
「ごめんね」
わかってる。
「水野さんのことは、そんな風には見れないんだ。本当に――」
わかってたんだよ。
「――ごめんね」
わかってるから。だから、そんな虚しい言葉を繰り返さないで。謝って欲しかったんじゃないの。一世一代の告白で、好きな人に困った顔をされてしまうなんて。これ以上に最悪な告白がどこにあるんだろうか。
期待なんて最初からしていなかった。
学園内で1、2を争う人気者の藤崎くんと。平凡で、どちらかと言えば地味。そんな私に、彼が恋してくれる可能性は、皆無だった。
期待していた綺麗なフラれ方をしていたら、こんな悲しまなかったかもしれない。もっと良い断わり方もあったんじゃないのか。
告白してスッキリ諦める。片想いの最善の忘れ方をする筈だったのに。スッキリどころか、逆にもやもやとした疑念が残ってしまった。
――あんな、使い古された安っぽいドラマのような、心ない台詞を言うなんて。
だって私は、数日前にも同じ台詞を言う藤崎くんを、たまたま見てしまったのだから。
みんなに同じ台詞を言い、みんなに同じ笑顔を向ける。
藤崎くんには、好きな女の子なんていないんだろうな。
多分、私の憶測は当たってる。
彼の前で涙を流さなかったこと、誰か褒めてよ。
どこをどう走ったのか、覚えている訳がない。だけど、誰とも接触することなく、教室に戻って来れた。告白の場所に使った人通りの少ない渡り廊下は、俯いて走るのに最適だったのかもしれない。
「水野さん?」
落ち着いた低い声に、はっとする。
振り向いてみると、クラスメイトの筒井くんだった。筒井くんはサッカー部でゴールキーパー、という肩書きしか知らない程度で、話したことは勿論なかった。サッカー部員らしい、ガッチリとした体なのに、笑顔が可愛い子犬みたいな人。私たち女子の中では、そんなイメージだ。子犬というのは彼の持つ雰囲気のことで、顔が幼いとかいう訳ではない。顔は所謂甘いマスクってやつだろう。他校生に告白されている現場を何度か見た。
考えることで、私は少しだけ平常心を取り戻した。筒井くんが居心地悪そうにして立っているのは、一列目の廊下側の席だった。入ってきたときも、そこだけ鞄があったように思う。
あまり記憶にないが、あそこは筒井くんの席だろう。私がいるのは、自分の席。一列目、窓際の席だ。私と筒井くんとの間に5人も入るので、知らなくても不思議ではない。
「泣いてるの?」
泣いてる?
さっきから、訳知り顔の筒井くんに何かが引っ掛かる。この距離では、表情も分からないのが普通なのに――?
「あの、ごめん、俺……たまたま通りかかって、見……」
また、『ごめん』。そのひとことに、何故か腹が立った。
申し訳なさそうな顔。だけど、その裏に見えた同情の色。気付いたときには、手に持っていたものを投げつけた。
それが思ったより凄い音がしたのを知ったのは、廊下に一歩踏み出したとき。だけど私は振り返ることもせず、そのまま走ってしまった。
外は雨。
目の前の運動場には、水溜りがたくさん出来ている。そこに、大粒の雨が新たに落ちて、だんだんと大きな水溜りができてゆく。その様子を、校舎の中からじっと眺めていた。
下校時間を過ぎた校庭には、誰もいなかった。何だかんだ言っても、うちの高校はこの辺りの学区では一番優秀らしい。
陸上部が使う大きなトラックと砂場。校庭の隅にはテニスコートが6面もあって、私達帰宅部からすれば、本当にこんなにたくさん使うんだろうかと疑ってしまう。そして、一番手前とその奥には対になったサッカーのゴール。筒井くんは、いつもここで練習するんだろうか。そこまで考えたとき、何を思ったのか、この雨に打たれてみたいと感じた。
一歩、また一歩雨の中へと足を踏み出す。ぽたりぽたりと頭上に落ちる、雨粒が冷たい。その冷たさが芯まで通ってきたとき、ついさっき藤崎くんにフラれたときのことを思い出した。そう、雨に打たれたときの冷たさは、あのひとことを聞いた瞬間の絶望と一致する。
ようやく後悔し始めた。
普段の私はおとなしい方だったから、筒井くんは驚いているだろう。筒井くんだけじゃなく、男子と話すことの私。印象が薄かっただろうから、今日のことは簡単には忘れて貰えないかもしれない。いろんなことを考えても、やっぱり最後に行きつくのは――私が悪かった。あんなこと、したらいけなかった――そんな自己嫌悪。
くす、と小さな笑いが聞こえた。振り向く前に声がかかる。
「こんなところにいたんだ?」
筒井くんだ。あんなことをした手前、顔が見れない。
「さっきはごめん」
「あ、謝らなくちゃいけないのは、私の方だよ!」
思わず振り向いて叫んでしまった。
「あ……」
それが自分でもびっくりするほど、大音量だったんだから。
筒井くんも目が点になっていた。恥ずかしくって申し訳なくって、意味もなく顔が真っ赤になる。すると、筒井くんが急にお腹を押さえたんだ。
「ど、どうしたの?」
は、腹痛?
背中をさすってあげようと、手を伸ばしたら、筒井くんが震えだした――大声で笑いながら。
「え……?」
「み、水野さ……面白すぎ…………ぶっ」
『ぶっ』って、筒井くん。もしかして、嘘ついたの?
「嘘だったなんて、ひどい! 心配したのに!」
「……悪かったよ。だって今日の水野さん、いつもと違うからさ」
「それは……」
不自然に会話が止まってしまう。筒井くんとの間に、重たい空気が流れた。
「……あ、あのね?」
不自然極まりないけれど、耐えられなくなって話しを変える。
「筒井くんはどうして、来てくれたの?」
「ちょっと心配になったんだよ。水野さんが、今にも消えそうな顔だったから」
そっか。
繕わない筒井くんの言葉が、今の私に一番優しいように思った。飾らないいつだって自然体の筒井くんが、羨ましいと思った。今日まで話したことない人なのに、素直に尊敬できる。
「ほら、今も雨に濡れてるし」
そう言って、優しく微笑む。自然すぎて、思わず私も笑おうとした。
すると、いきなり手を掴まれた。
「え?」
そのまま、ぐいっと手を引かれて、よろめいてしまう。
「自暴自棄になって、雨に打たれようなんてダメだよ」
私には、返す言葉もなかった。
「それに」
「それに?」
「水野さん、俺に鞄投げただろ?」
だから、ハイ。そう言って渡された私の鞄は、お、重い。
「筒井くん……あ、あの、私! なんて謝ったら良いの……そ、そんな普通に渡されても……」
「大丈夫だって! 俺、サッカー部でゴールキーパーだし」
よしよしと撫でられると、なんだか鼻の奥がつんとした。やばい、また泣きそう……。
「泣きやむまで、付き合うよ」
「どうして?」
そんなに優しいの。言葉は最後まで続かなかった。
「見ちゃったお詫びかな?」
それでも、彼には通じているようだった。ちょっぴり申し訳なさそうな顔が面白くて、少しだけ笑ってしまう。
笑いながら、私は今日初めての涙を流していた。
「水野さんはさ、新しい恋をしたらいいと思う」
新しい、恋。
「きっと、幸せになれるよ」
ふと見上げれば、満面の笑み。
こんなに優しい笑顔ができる人なんて、彼以外にいない。
あ、どうしよう。
体中に張り付いた水分が、少し熱い。胸が、心臓が、心が――アツイ。
あたしはきっと、これが欲しかったんだ。
藤崎くんはいつだって優しかった。だけど、その優しさ、笑顔を私に向けることはなくて。他人行儀な態度が、切なかった。辛かったんだ。
涙は、いつのまにか止まっていた。外の天気も、気がつけば少しだけ晴れていて。
今日の空は、私と気が合うみたい。
あんなに好きだった藤崎くん。憧れなんかじゃなかった。それは今でも言えること――本気だったのに。私は、私の想いは、変わってしまった。
ひとつの恋は終わった。あまりにもあっけなく。
何にも進展しなかったけど、悲しくない。
俯いた私を、泣いていると思って、撫でてくれる大きな手。
これって心変わりが早いのかもしれない。また失恋してしまうかも。だけど、感じたの。
今度こそ大丈夫って。
「さっきは、ごめんね?」
「いいよ。ま、俺としては、ごめんよりも、もっと違う言葉が欲しいけど?」
そう言って微笑みかけられたとき。この人となら――って、考えてしまった。
新しい恋なんていらない。だって、それはもう、目の前にある。こんなにも傍にあるから。
また片想いで終わっても、大人になって良い恋だと言えるだろう。素直にそう思えたんだよ。
「筒井くん、ありがとう」
ごめんのその先を、あなたは教えてくれたから。
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