好きって言えない距離
好きだなんて言わなければきっとこのままでいられる。
そう思って今日も私は笑う。
「ひより、凛知らねぇ?」
放課後の教室。
静まり返った空間に響いたその声に胸が大きく跳ねた。顔を上げなくても分かる。この声を聞き間違えることなんて絶対にない。
神谷くん。
「凛ちゃんなら図書室行ってくるって言ってたよ」
できるだけ平静を装って答えながらノートに視線を落とした。さっきまでまとめていたはずの内容がもう頭に入ってこない。ペンを動かすふりをしながらただ時間をやり過ごす。
「マジで?俺は何も聞いてない」
ガタン、と椅子を引く音。
気づけば彼は机を挟んで向かいに座っていた。
距離が近い。
「真面目だねぇ。休みの日も部活のこと考えてんの?」
覗き込むように顔を寄せてくる。
「休みの日もやらないと終わらないんだもん」
軽く笑って返す。
嘘だ。
本当はただ会えるかもしれないと思っただけ。
ここに残っていれば神谷くんに会えるかもしれない、
少しでも話せるかもしれないと期待してた。
「へぇー、さすがマネージャー」
感心したように笑うその顔に胸が締め付けられる。
こんなに近くにいるのに、
二人きりなのに、
どうしてこんなにも苦しいんだろう。
「あー、凛早く帰って来ないかなー」
ぽつりと漏れた言葉。
やっぱりそうだよね。
「もしかして凛ちゃんとデート?」
言いたくなかった。
なのに口が勝手に動いていた。
からかうような軽い調子で本音を隠すためのいつもの仮面。
「ちげーよ!せっかくの休みだからシューズ見に行こうってなってさ!」
少し頬を赤らめて嬉しそうに笑う神谷くん。
その笑顔に心臓が跳ねる。
でもその笑顔は私に向けられたものじゃない。
分かっているのに期待してしまう自分が嫌になる。
「なあなあ、そういえばさ!」
ふいに身を乗り出してきた彼に思わず息を呑む。
顔が近い。
ペンを持つ手が止まる。
「ひより、最近恋してるんだろ?」
「……え?」
頭が真っ白になる。
俺は知ってるんだぜって顔していたずらっぽく笑う神谷くん。
どうして、なんで、そんなこと。
「凛が言ってた。ひよりは恋してるから日に日に可愛くなってるって」
凛ったら。余計なこと言って。
「そ、そう…なんだ…」
声がかすれる。
「で、誰が好きなんだよ?」
まっすぐな視線。
逃げ場がない。
目の前にいる人だよ。
その言葉が喉まで出かかる。
でも言えない。
言ってしまったらきっと終わる。
この関係も、
この距離も、
全部壊れてしまう。
だから、
「秘密」
なんとか笑って誤魔化した。
「何でだよ!」
不満そうに頬を膨らませる神谷くん。
そんな仕草すら愛おしいと思ってしまう。
「教えたらつまんないでしょ?」
「えー、気になるって!」
笑い合う。
いつも通りの会話。
いつも通りの距離。
傍から見れば仲のいい友達。
もしかしたら付き合ってるように見えるかもしれない。
でも違う。
この距離は決して埋まらない。
私は知ってる。
彼の視線が向く先を。
彼が本当に見ている人を。
幸せな時間の終わりを告げるようにガラリと教室の扉が開いた。
「ごめん、遅くなった」
凛が戻ってきた。
「おせーよ!」
途端に立ち上がる神谷くん。
その声はさっきよりもずっと明るくて嬉しそうで。
胸が痛い。
「ほら行くぞ!シューズ見に行くんだろ?」
「ちょっと待ってよ、まだ時間あるでしょ」
軽口を言い合う二人。
その空気の中に私は入れない。
「ひよりも来る?」
凛がふとこちらを見る。
一瞬迷う。
行きたい。でも、
「ううん、やることあるから」
笑って首を振る。
「そっか、残念。また明日ね」
「うん、また明日」
二人が教室を出ていく。
扉が閉まる音がやけに大きく響いた。
静かになった教室。
さっきまであった温度が急に消えてしまったみたいで胸の奥がすうっと冷えていく。
ペンを握り直す。
書きかけのノート。
でもやっぱり何も頭に入ってこない。
「ズルいな、私」
ぽつり、と呟く。
笑えてしまう。
だって気づいてるくせに諦めきれない。
そばにいたいと思ってしまう。
友達でもいいなんて綺麗事を言いながら。
本当は、
一番になりたいくせに。
窓の外に目をやると苦しくなるくらい綺麗な夕陽が見えた。
言葉にできないままの想いが胸の奥で揺れている。
私はまたそのすべてを隠して笑う。
言葉にならない恋を抱えたまま。




