第5話
ーーーーーー中庭で、くどくどと幼いヴァレリナを叱っているメイドがいる。リリアーヌはそこに歩み寄り、声をかけた。
「淑女たるもの、というのであれば、ヴェノラ、あなたもいちメイドの役割を超えているのではなくって?」
突然間に入ってきた見知らぬメイドに、ヴェノラは見るからに不愉快そうな表情を返す。
「…何かしら。私はヴァレリナ様のためを思って教育しているのですが」
「ヴァレリナ様は旦那様に直接聞きにいかれればよいわ。兄君にもそう言われていたでしょう?」
リリアーヌの言葉にヴァレリナはうなずくが、ヴェノラはそれを阻止せんとばかりに間に入ってくる。
「旦那様は忙しいんです!そんなくだらないことに時間を使ってはいけませんわ」
「…その発言もメイドの域を超えているわ。あなた、ヴァレリナ様に使える身分であること、忘れているのではなくって?…ヴァレリナ様、ほら、行ってください」
さっさとヴァレリナを行かせてしまえば、ヴェノラは憎たらし気にこちらをにらみつけてはいたが、他の使用人の目を気にしたのであろう、それ以上追及することはなかった。
ーーーーー書斎で、ティーポットをリリアーヌが持っている。ヴァレリナの父親とヴェノラもまた、そこにいた。
1回目ここに来た時には気が付かなかったが、ヴァレリナの父親を狂わしたであろうお香がすでに薄く炊かれていた。
じわりじわりと香りになれさせて、気づかれないように精神を不安定にしていたのだろう。
リリアーヌがお茶を置き、おもむろに窓を開けて喚起を始めると、2人がぎょっとした顔でこちらを見る。
「どうして窓を?」ヴァレリナの父親が問う。
「そうよ、今日は冷えるから開けなくて良いわ」ヴェノラもまた、咎めるようにいった。
「…そのお香、少々甘すぎますわ。この甘い香りが部屋中に充満していて、中毒になりそうでしたので」
リリアーヌの言葉に、旦那様はお香を手に取って確認する。
「…ん?これは……普通のお香に薬が配合されているじゃないか。誰だ、この香を手配したのは!」
「ま、まあ、大変ですわ…!誰でしょう、すぐに探してまいりますわね…!」
旦那様の怒号に、ヴェノラは慌てて部屋を飛び出していく。
扉の外にはヴァレリナが立っており、驚いた顔で部屋に入ってきた。
「父上?何事ですか?」
「ああ、ヴァレリナ、お前は危ないから部屋には入らず外にいなさい。どうやら我が屋敷に薬を持ち込んだものがいるらしい」
「そ、それは一大事じゃないですか!…父上、兄上を呼び戻しませんか?時期領主となる兄上がいてくださった方が、動きやすいのではないでしょうか」
「そうだな、そうしよう」
そのあとも二人は今後の対策について作戦を練り始めた。
ーーーーーー屋上に、ヴァレリナとリリアーヌが向き合って立っている。
「よく追ってきたわね。あなた、先日お香を見つけたメイドでしょう?父上が褒美を、と言っていたわ」
「……いえ、結構です」
「夜中にこそこそしていたのは悪かったけど、怪しい人間を見つけだすためよ、見逃してくれるかしら」
「ええ、まあそれは…大丈夫ですが。…ヴァレリナ様、次期領主は兄君に?」
「え?ええ、…そうだけど」
「ヴァレリナ様の方がお強いのでは?」
「ああ、我が家の家訓のことね。でも私はまだ聖獣と会ったことがないし、兄上だって私よりほんの少し弱いくらいだもの、遜色ないわよ」
「聖獣というのは……どういう条件で会えるものなのでしょうか」
「条件、というほど明らかなものはないわ。……あなたにだから教えるけれど、想いの強さに聖獣が応えてくれる、とか聞いたことがあるわ。実際兄上は戦禍で死ぬ間際に会えたというし、父上は母上と出会ったときに、ひとめぼれすると同時に聖獣と会えた、なんて言っていたわね」
「となると…思いさえ強ければ種類は問わない、ということですか?」
「もしかするとそうかもしれないわね。聖獣についてはよくわからないことも多いのよ。気まぐれだから」
「なるほど…」
リリアーヌはしばらく考えた末に、一つの結論にたどり着いた。
(ここに私がいることですでに干渉は始まっている。ならば、ここで投げ出さずによりヴァレリナ様が生きやすくなるために、干渉の責任を持たないといけない)と。
雰囲気が変わったリリアーヌの様子を見て、ヴァレリナは「…何?」と警戒を抱く。好都合だ。
「ヴァレリナ様。お香を置いたの、私ですのよ」
「は?」
「お父様を亡き者にして、私がこの家の主人になろうと思いましたの」
リリアーヌの言葉に混乱が隠し切れない様子のヴァレリナは、それでもしっかりと剣の柄を握っていた。
「面倒なのは飽きてしまったので、今ここで、ヴァレリナ様を殺して家ごともらいますわ」
「何を言って………え!?」
リリアーヌは屋根の飾りとして置かれていた獅子の彫像が、咥えていた剣を抜き取る。そのままではただの石の剣であるので、最初にリリアーヌと戦った時のように、魔力を流し込んで新たな性質の剣を作りあげた。
「魔剣…!?って、うわっ!?」
あっけに取られているヴァレリナに向かって、明らかに仕留める手つきでリリアーヌが剣を突き出すと、ヴァレリナはとっさの判断でそれを避けた。
「…全力でいきますわ」
リリアーヌの言葉を聞いて、ヴァレリナも本気だと悟ったのであろう。
「…いいわ、来なさい!返り討ちにしてあげる!」
その叫びを皮切りに、闘いが開始された。
しかし、今のリリアーヌは17歳、今戦っているヴァレリナはおそらく14歳前後であろう。年齢を重ねて鍛錬を積んできたリリアーヌが、数年前のヴァレリナに負けるはずがなかった。
あっという間にリリアーヌが優勢になり、ヴァレリナは防戦一方になる。
「ねえ、ヴァレリナ様。このままだとあなたも、あなたの父君も、兄君もみんな仲良く土の下で眠ることになるわよ!」
「うるさい!そうはさせない!」
「それはどうかしら、もうすでに父君には毒を盛ってあるもの」
「は?何を言って…」
「あら、気が付かなかったの?お香は囮よ。あの時私が持っていた紅茶のティーポット、あれに致死量の毒が仕込んであるの」
「紅茶…!?あれに!?」
「もうそろそろ飲んだころかしら。毎晩紅茶を飲まれるものね。ここ数日は忙しくて飲む暇すらなかったようだけど」
その言葉を聞いた途端、ヴァレリナは屋根から屋敷に戻ろうとするが、リリアーヌがそうはさせない。
素早く回り込んでヴァレリナの首元に剣を突き付けた。
「…残念、これでもう終わりね。さよなら。ヴァレリナ様。あなたのせいで皆死ぬわ」
リリアーヌがそう冷たく言い放つと、ヴァレリナの顔がカッと赤くなる。
「許さない…!絶対に、させない…!」
「そうやってわんわん吠えるだけでは、何にもならないわね。負け犬一家は、滅びゆく定めよ」
リリアーヌの言葉に、ヴァレリナの肩が震え始める。
「私は……フェルディナンド伯爵家、ヴァレリナ・フェルディナンドだ…。犬ころ如きと、一緒にするな…!!」
令嬢としての仮面も剥がれ、怒りと誇りをあらわにするヴァレリナ。
ごうごうと集まる魔力が渦を巻き、獅子の声か雷の音か、地響きのような低い音が聞こえ始める。そして、ヴァレリナは聖獣をその身に下ろした。
ヴァレリナからの怒りに任せた攻撃は、聖獣と一体化した四肢からなされている。その猛攻をリリアーヌはいとも簡単にいなしていた。
「ガァ!グゥルルルル」
攻撃が通じないことにヴァレリナが苛立ちを募らせる。もはや心のあり方も聖獣に支配されているのかもしれない。ヴァレリナは聖獣を支配しているようで、その実支配されてもいるのだ。
「そんな単純な力任せの攻撃、何の意味もありませんわ」
リリアーヌはそう言って、ヴァレリナの喉元に切先を突きつけた。
「ヴゥッ…」
ヴァレリナはそう低く動くが、動くことができない。
「…そう、それじゃあ、意味がないのよ。ヴァレリナ様」
リリアーヌは悲しげに笑うと、左手で干渉魔法を作り上げる。ヴァレリナは直感的に死を覚悟した。動いても死ぬ、動かなくても死ぬのだ、と。
リリアーヌは作り上げた魔法を掲げて、大きく息を吸った。ヴァレリナが思わず目を閉じる。すると、とんでもない音量で声が響いた。
「きゃああああ!ヴァレリナ様が!ヴァレリナ様が!!誰か!!旦那様!?アルマ様!?今すぐ中庭に出てきてください!!!」
驚いた猫のようにヴァレリナの目が見開かれる。そこには、月明かりの逆光に照らされたリリアーヌが不敵に笑い、「ほら、教えてもらってくださいね」と下のざわつきを確認した後、ヴァレリナを屋根から突き落とした。
咄嗟のことで硬直したままのヴァレリナは、真っ逆さまに中庭へと落ちる。
「ヴァレリナーー!!」
そう叫ぶ声と共に、中庭へと慌てて出てきた旦那様…もとい、ヘリオス・フェルディナンドと、ヴァレリナの兄、アルマス・フェルディナンドがそれぞれヴァレリナを受け止める体制に入る。2人の魔法で柔らかく着地することができたヴァレリナを見て、ヘリオスとアルマスはそのまま床にへたり込んだ。
「危なかった…声をきいて何事かと思えば、まさかあのヴァレリナが落ちてくるとは」
父であるヘリオスの言葉に、アルマスも頷く。
「どうした?いつもなら足を滑らすことなどないだろうに。…そもそも、何故屋根に登っていたのかを問い詰めなければならないが」
2人はそう言いながらも立ち上がり、中心に座っているヴァレリナに近づき、ヴァレリナの姿を見て驚いた。
「ヴァレリナ…お前、まさか…!!」
「父上これは紛れもありません。聖獣とヴァレリナが、ついに相見えたのですね…!」
「ガァ!?グルルルル…!!」
感極まる2人に、威嚇をするヴァレリナ。しかし、ヘリオスとアルマスは狼狽えない。
「よしよし、どう、どう。心配しなくてもいいぞ、ヴァレリナ。それから聖獣様。我々が上手く血統魔法の使い方を伝授して参りますからな」
「その御身だと、獅子の聖獣か…!これは随分と大物をヴァレリナは招きましたね」
「その分魔力の扱いが難しいのだろう。我々の馬の聖獣様は穏やかな性質をお持ちのことが多いからなぁ」
そう言ってヘリオスは手をかざした。手につけている指輪には太陽を感じさせる真っ赤なルビーが埋め込まれており、馬のいななきが聴こえたかと思うと、ヴァレリナから聖獣が離れていく。
ヘリオスとアルマスは跪き、顕現した獅子の聖獣に頭を垂れる。
上機嫌な様子の獅子に、ヘリオスが述べる。
「聖獣様、この度は我が娘ヴァレリナの想いに応じてくださり、ありがとうございます。ヴァレリナはなにぶんまだ幼い身、獅子である貴方様の魔力を使いこなすには鍛錬が必要なのです。今後、幾たびか及び奉ることがございますが、何卒よろしくお願いいたします」
ヘリオスの言葉をじっと聞いていた獅子の聖獣は、怒ることなく最後まで聴き遂げ、光の粒子となって消えた。
「…あれは、父上の言葉を承知してくださったのでしょうか」
「おそらくだがなぁ。何、ヴァレリナなら上手くやるさ」
穏やかに笑い合う親子を屋根から見下ろしていたリリアーヌもまた微笑み、時空の彼方から元の崩壊した世界へと戻されるのであった。




