第4話
「兄上!どうして私だけ行ってはいけないのですか!」
時間も空間も曖昧なかなたに沈んでいくリリアーヌに、幼い少女の叫びが聞こえた。
目を開けると、そこはどこかの屋敷の中庭で、リリアーヌはメイドの服を着て、ほかの使用人とともに端に控えているところであった。
「ヴァレリナ、フェルディナンド伯爵家たるもの、そう心を外に示すものではない。これは父上の決定だ。まだお前には早すぎる」
「…ですが、兄上。父上は、私が女だから、と言っていたように思います。私は同じ年の男子よりも強い!聞けば、公爵家のご令嬢は参加するそうじゃないですか!どうして私だけ…!!」
リリアーヌはその言葉を聞いて、あ!と内心腑に落ちる。
これは過去の世界の出来事か、あるいはヴァレリナの記憶の世界だろう、と。リリアーヌとヴァレリナは同じ年で、初めて参加する剣術大会は優勝であった。
しかしそれは、ヴァレリナが参加していなかったからだ。カシアンに優勝したことを褒められるかと思えば、「ヴァレリナ令嬢は不参加だったのか…」と言われたことを覚えている。
その言葉をきっかけに、さらに稽古に打ち込むようになったのだ。実際、ヴァレリナが参加するようになってからの剣術大会で優勝したことはないため、カシアンの評価は正しかったのだと後から思い知ることになった。
「思いあがるな、ヴァレリナ。父上がお前にはまだ早いと判断したということは、お前はまだ弱いということだ。今のお前では件の公爵令嬢には勝てない。お前は弱い、ということだ」
「そんなの、やってみなければ分かりません!」
「はあ…くどいぞ。これ以上は話の無駄だ。後は父上に直接言いなさい」
そう言うと、ヴァレリナの兄は去っていった。ぽつんと、ヴァレリナは一人残される。
するとリリアーヌの横に控えていたメイドがヴァレリナの傍へと歩いていった。
「ヴァレリナ様」
びくっと名前を呼ばれたヴァレリナの方が跳ね上がる。
リリアーヌはその様子を見て、違和感を覚えた。いくら驚いたとはいえ、武術を学んでいる人間があんな風に驚くものだろうか。
返事をしないヴァレリナに、メイドはさらに一方的に話し続ける。
「いい加減になさってください。あなたはご兄弟とは違う、あなたはこの家の一人娘として女性らしくあらねばなりません。剣術は一つの格をつけるための手段として旦那様は許容なさっているようですが、あろうことか公爵令嬢に挑もうとするなんて、身の程をわきまえなければなりませんわ」
「父上は…強くなることは良いことだと言ってくださったわ…」
「お父様、でしょう?」
なおも高圧的なメイドの態度は続き、ヴァレリナの言い分をことごとく潰していった。
火が揺らめくように、視界が揺らめき、今度は夜の書斎にリリアーヌは立っていた。手元には紅茶のティーポットを持っていたので、何となく目の前の男性の前に置かれたカップに注ぐ。
「旦那様。お嬢様は相変わらず剣術に夢中なようですが…最近は淑女としての教育も熱心に受けておられますのよ」
同じく書斎にいる一人のメイドが、リリアーヌの存在を気にせずに話しかけ始めた。先ほどのくどくどと叱っていたメイドであることから、時系列の異なるヴァレリナの屋敷にいるのだと判断がついた。
「そうか、ヴェノラにはいつもヴァレリナが世話をかけてすまないな」
「とんでもございませんわ。私、亡き夫人の代わりとなるよう、精一杯務めさせていただきますの」
この会話を聞いているリリアーヌの内心はげんなりしていた。
妖艶さを感じさせるその言葉の背景には、どう考えても色時崖の意図が含まれていたのだ。どうやらフェルディナンド夫人は亡くなっているようだが、その後釜に座りたいのだろう。先ほど見たヴェノラとヴァレリナのやりとりからは、到底ヴァレリナに対する親愛の気持ちなど感じ取れなかったというのに。
「しかし、ヴァレリナが騎士になりたいと言うのであれば、そうさせてやるのもいいのかもしれないな、と思うのだ」
「まあ!なんて心優しいのですか…。ヴァレリナ様は我儘なところがありますから、騎士の忠誠は難しいと思うのですが…」
「しかし、あの強さであるからなあ…すっかり息子たちを抜いてしまって、今や私でも勝てるかどうか…我が伯爵家は代々最も強い者が継ぐ決まりだ。この際、はっきり立場を明らかにするほうが良いのかもしれん」
「あら、それは早急なのではないでしょうか。どうあっても令嬢が家を継ぐなんて聞いたことがありません。むしろ、手綱はしっかりと握っておかなければなりませんわ」
「しかしなあ…」
「ねえ、旦那様…何も強さだけが全てではありませんわ。女性として生きる喜びをヴァレリナ様から取り上げるのは酷ですわよ…」
「そうかもしれんなあ」
リリアーヌはこの反吐が出るやりとりを聞きながら、扉の外にいる存在に気を配っていた。誰かがこの話を盗み聞きしているのである。リリアーヌはそっとティーポットを置き、違和感のない程度に気配を殺しながら、書斎から出る。外の気配の主はリリアーヌが書斎から出ることを察して、走り去っていたが、ちょうど廊下の角を曲がるところを見つけたので、リリアーヌは追いかけることにした。
廊下の曲がった先には階段があり、どうやらそこを登って行ったようだった。そのまま走っていき、人影が廊下の行き止まりで追い詰められているのを見つける。これで話ができるとリリアーヌは思ったが、その人影は窓から飛び出し、屋根上へと昇っていった。
「身軽すぎる…まるで猫ね…!」
リリアーヌは速度を落とさず、人影を追いかけて屋根上に同じように上った。屋根の上には、ヴァレリナがいた。
「嘘…!ここまで追ってきたの?」
金色の瞳が月の光に照らされて宝石のような輝きを放っている。
「ええ、どうされたのかと思って」
リリアーヌが淡々と返すと、ヴァレリナはふん、とそっぽを向いた。
「あなた、私がさっきの会話を聞いていたことに気づいたのでしょう?…まあいいわ。私はあのメイド、嫌いなのよ」
そうでしょうね、と肯定することもなく、リリアーヌは頷く。
「お父様も懐柔されているし、お兄様は仕事で家に寄り付かない。…私は別に淑女としての幸せなんて求めていないのに」
「…なら、御父上にさっさとその気持ちをお伝えになったらよろしいのではなくって?」
「……あなた、生意気なメイドね。でも、それはできないわ」
「どうして?」
ヴァレリナははあ、と息をはいて、柔らかにくせがかった金色の髪をかき上げる。おしとやかなお嬢様に一見見えるのだから、不思議なものだ。
「あなたもこの家のメイドなら知っているでしょう?私はまだ聖獣と会えていないの。この家の血統魔法も使えないのに、領主になりたいなんて言えないわよ」
「…ああ、血統魔法が」
どおりで、と納得しているリリアーヌを訝しむようにヴァレリナはリリアーヌの顔を覗き込むが、そもそもいちメイドにそこまで関心がないのであろう、すぐに興味を失ったようだった。
「でも、私は絶対にいつか使えるようになるわ。そのためにももっと鍛えて、もっと強くならなくちゃ!話はここでおしまい、他言無用だから、誰かに話したら打ち首よ」
ヴァレリナはからかうようにそう言って、再び窓から廊下に戻っていった。
月の光を見ると再び世界が揺らめき、そこはフェルディナンド伯爵家当主の寝室であった。
「どうして…!そんな…!お父様!お父様!!」
何度もそう叫ぶのは15歳前後のヴァレリナであろう。学園の制服を身に着けていることから、入学後であることがわかる。部屋にはメイドの格好のリリアーヌ、ヴェノラ、ベッドにて息を引き取ったであろう父親の姿があった。なぜ他の使用人がいないのかはわからないが、この部屋には独特の甘い香りが立ちゆき、それが毒性を持つものだとリリアーヌは理解した。
涙するヴァレリナを見つめながら、ヴェノラがにたりと笑う。どうやら彼女の策略らしかった。
「さあさあ、ヴァレリナ様、学園の時間ですよ」
上機嫌にヴァレリナを外に追い出そうとするヴェノラに、ヴァレリナが化け物を見る目でにらみつけた。
「お前…どうして…」
「何がですか?」
「お前、お父様を慕っていたのではなかったの?」
「まあ!ヴァレリナ様…いえ、ヴァレリナ。次期領主たるヴェノラに向かって、お前とは、身の程を知ってくださいな」
「次期、領主…?何を、いって…」
「ほら旦那様の遺書の、ここ、見てください。私の名前があるでしょう?」
「は…?」
ヴェノラが手に持っているのは、フェルディナンド伯爵の直筆の遺書であったが、そこには明らかにヴェノラの名前が書かれており、すべての権限を委譲する旨が記載されていた。
やられたな、とリリアーヌは嫌悪の気持ちが沸き上がる。徐々に精神状態を不安定にさせる毒を盛っていたか、魔法を使っていたのであろう。色仕掛けを使って旦那様を篭絡できなかったことから、遺書を書かせて体を弱らせる手段を選んだ。妻の不在のフェルディナンド家は、母親の役割を買って出てくれるヴェノラを手放せはしなかっただろうし、何年もかけて精密に組まれた策だ。
ヴァレリナもまた、色仕掛けの様子を見ていたために、ただ恋仲になりたがっているだけだ、とヴェノラを放置していた様子だった。父親への信頼とも取れるが、あんな風に接せられてなお、嫌いになりきれないヴェノラへの情も少なからずあったと推察される。
絶望に飲み込まれたヴァレリナの周囲に、魔力が集中し始めているが、ヴェノラは浮かれているようで、それに気が付いた様子はない。それどころか、領主の部屋の物色を始めたところだ。
「触るな……お前が、お父様の、父上の、書斎を、屋敷を、この領を、触るなああああああああ!!!」
一種の魔力暴走にも近いその想いに答えたのは、聖獣であった。
グォオオオオオ―――――――ンと、遠吠えにも鐘の音にも聞こえるその声が屋敷中に響き渡り、ヴァレリナが黄金の光を放つ。
「聖獣よ…応えよ!今この時から、お前の主は私だ…!!」
聖獣を支配するようなヴァレリナの叫びに応えるように、聖獣がヴァレリナに降りる。
ヴァレリナの爪が鋭く、牙が生え、リリアーヌが出会った城の中のヴァレリナと似た風貌へと変化を遂げた。
「死ね…!!」
あっけにとられているヴェノラをひと掻きで切り裂き、ヴェノラは床に倒れ落ちた。
しゅうううと、音を立てて聖獣の変化から戻っていくヴァレリナ。
床に座りこみ、父親のベッドのそばで呆然と座っている。
「…ヴァレリナ様」
リリアーヌが声をかけると、ヴァレリナは涙を流しながらぼんやりと答えた。
「…私が強ければこんなことにはならなかった。……どうして…今なんだ、フェルディナンドの聖獣…。私が、弱かったから…?もっと強ければ、お父様は死ななかった。…もっと、もっと強ければ、もっと早くにヴェノラを殺していたら…!もっと、わたし、が…!!!」
泣き叫ぶヴァレリナをリリアーヌは後ろから抱きしめる。
ヴァレリナはリリアーヌの腕にすがるように握りしめ、ずっとずっと泣き続けていた。
遠くからバタバタと叫びながら足音が近づいてくる。それがヴァレリナの兄のものだとわかったとき、リリアーヌは再び揺らめく時空間の中に落ちていった。
「ヴァレリナ様は…ずっと後悔していたのね。お父様を助けられなかった自分を。だから、あんなに力と強さに執着していたんだ…。私が世界を滅ぼした時、きっとヴァレリナ様は再びあの絶望を体験してしまったのだわ。だから、聖獣を自分に降ろしてまで、生きながらえた」
リリアーヌは、今溶けている魔力の中に、ヴァレリナの心の歪みを感じ取る。
今もまだ、ヴァレリナは苦しんでいるのだ。救えなかった自分に、弱い自分に。それは、あってはならないことだと、あまりにも苦しいことだとリリアーヌは思う。
「…干渉魔法」
本来人の人生に干渉するなんて、御法度かもしれない。禁忌ともいえるかもしれない。
だが、今のリリアーヌはどうしてもヴァレリナの心を穏やかなものにしたかった。自分が引き起こした世界の絶望の中で、一人悲しむことがないようにしたかった。もちろん恐ろしさもある。自分が干渉することで、ヴァレリナに新たな傷つきを起こしてしまったらどうしよう、と。
「責任を、負うのは私。判断するのも、私…」
リリアーヌはふーっと息を吐いて、心を決める。
そして、魔力をこめた。




