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第2話



しんと静まりかえった城の回廊を歩く。飾られていた花は朽ち落ち、ひび割れた壁のレンガが歩く振動でパラパラと音とたてて落ちる。もっと遺体や骸骨などが溢れていると思ったが、一切それらが見当たらないのは、誰かが意図的に移動したか、魔力による何かしらの影響を受けているのだと考えられる。


薄暗い中を黙々と歩いていると、気も滅入ってくるようだ。この広い城のなかで、リリアーヌは誰ともすれ違わないことにうっすらとした恐怖さえ感じていた。


更に2時間ほど歩いただろうか。ふと顔を上げると、前を歩く人影が見えた。


「待って!そこの方!」とリリアーヌが走り寄ると、その男性はリリアーヌに気がついたようで、振り返る。


「僕?何かなって…って、あれ?君どこかで見たことあるような…」


リリアーヌは、ようやく人に会えたという気持ちもつかの間、絶句してしまった。彼の体は透けており、影もなかった。走り寄る前に足音さえも聞こえなかったのは、彼が実体を持っていなかったことが理由なのであろう。


「あの…ええと…」


リリアーヌがうろたえている間に、彼はじっとリリアーヌの顔を覗き込んで考える仕草をする。


「ああ!テンプターレ公爵令嬢じゃないか!久しぶりに見たからすっかり忘れていたよ」


朗らかに会話を進めているが、リリアーヌは曖昧に頷くことしかできない。だが、彼はその朗らかな顔を崩さないまま、しかし冷淡な声のトーンにガラリと変わる。


「で?こんなところでお姫様は何をしてるのかな?」


彼の優しげな亜麻色の髪が風にのってふわりと揺れる。彼は私を警戒しているように見えた。当たり前だろう。おそらく私は、この世界を滅ぼした張本人なのだから。だからこそ、リリアーヌはあえて笑顔を作った。


これは警戒を解くための笑顔。妃教育の賜物である。


「私は、創造主によってチャンスを与えられました」


「チャンス?」


彼はまだ訝しげな顔をしている。当たり前だろう。創造主と会話したことのある人などいない。御伽話のような存在なのだから。


「信じられないかもしれませんが、事実ですわ。私は一度死に、再び神に生を与えられた。創造主はこう仰いましたわ。『最後に息絶えた玉座の間からではなく、城の外に移動させましょう。賢者を蘇らせ、あなたの罪と向かいながら玉座の間を目指しなさい』と。


…私には、賢者が何かも、玉座の間に向かって何ができるのかもわかりません。けれど、私は私の罪を償わなくてはなりません。一度死に、それだけははっきりとしたのです」


この言葉は、本当は自分に向けた言葉だったのかもしれない。でも、男性は私の言葉をきいて、興味深そうに頷いた。


「よくやるね、そんなめんどくさそうなこと」


しかし、男性から出てきた言葉は思っていた言葉とは別のものであった。責められるか、呆れられるか、そんな反応をリリアーヌは予想していたため、面を食らってしまう。


「めんどくさそうなこと…?」


「だってそうだろう?君は以前からずっとそうだ。誰かのためにとか、命じられたから、とか。僕には到底理解できない、そんなめんどくさいことに関わる暇があるなら、さっさと今の爵位でもなんでも捨てて自由に旅に出たいよ」


男性の言葉にリリアーヌは困惑する。そのような考えを持ったことがなかったリリアーヌには、まさに彼の言った言葉そのまま、到底理解ができなかったのだ。


男性はなおも続ける。


「そもそも、その言葉を言ってきた人物が本当に神様だって信じられるの?まあ別になんだって良いんだけどさ」


男性は話は終わりだ、と言うようにその話題を切り上げた。


「君、僕のこと覚えてないでしょう?」


「え?お会いしたことが…?」


「ううん、別にちゃんと話したことはないけどね。カシアンとか、目的ばっかり目がいって、周りの世界に気が付かないなんて勿体無いと思うよ。


僕はフリオ。今はただのフリオだけど、一応家名はアルヴァン」


「ああ!アルヴァン家のご子息様でしたか…!アルヴァン家の皆様には父が大変お世話になっておりまして…」


リリアーヌが反射的に社交辞令を伝えようとすると、フリオはふっと少し小馬鹿にするニュアンスで笑った。


「いいよ、そういうの。僕はやっとただのフリオに戻れたんだ。僕の父さんだって、本当は貴族社会になんていたくなかったはずだ。だから君もフリオって呼んで」


「わ、わかりました…」


「敬語もいらないよ、僕はただのフリオ。君は…まだテンプターレ公爵令嬢みたいだけど、ね。残念、実体があれば感動の再会のハグでもしてあげたんだけどさ」


「な…!?抱擁は年頃の男女がするものではありませんわ」


「いいじゃない、君は一度死んでるし、僕はもう死んでる」


フリオの悲しみを含んだ自虐的な言葉に、リリアーヌは再び罪の意識を思い出した。


「…そんな顔をしないで。悲しませる意図はなかった。…そうだ!良いことを教えてあげるよ。着いてきて」


音もなく歩き出したフリオの、フラフラと揺れるような後ろ姿を眺めながら、リリアーヌはぼんやりと考える。悲しそうなフリオの顔や、こうして私を励まそうとしてくれる様子からは、彼が基本的には善良な人間性を抱いていることが窺えた。人を値踏みしようとするのも良くない癖だな、とリリアーヌは自己嫌悪を抱く。


フリオは幽霊としてこの城の中を彷徨っているみたいだったが、それは彼だけなのだろうか、という疑問もある。もしかすると他にも幽霊になった人がいるかもしれない。賢者についても、ここの城に遺体がないことについても、大人数が集まれば分かることがあるかもしれない。淡い期待を抱きながらフリオに案内された場所は、中庭であった。


「この中庭を探索してみるといいよ。じゃあね〜」


「え!待って!」


フリオはてっきりこの後も一緒に行動してくれると思っていたので、リリアーヌは驚いて引き留めるが、フリオは壁を通り抜けてどこかに行ってしまった。


再び彼を探し出すことは時間がかかりすぎる。そう判断したリリアーヌは諦めて中庭を探索することにした。


すっかり草も木も枯れ落ちた中庭は、風が吹くと砂埃が舞っていた。かつては薔薇園があった名残で、金属製のアーチが残されていたり、崩れ落ちた柵があったりもする。


しばらく歩いていると、開けた広場にたどり着いた。広場といっても噴水も枯れており、何か獣を模った彫像が置いてあったようだが、面影がない。


ガサっと、物音がしたのでそちらの方へと恐る恐る近寄る。念の為、防衛魔法でシールドを張っておいた。


そーっと獣の彫像の裏を覗き込む。そこには鎧を着た女性が像の土台にもたれかかるようにして倒れていた。ヴァレリナ・フェルディナンド伯爵令嬢。代々騎士の家系で国に奉仕をすることを使命だと宣言しているお家柄の一人娘である。


本来なら女性は騎士に採用されないが、血統魔法が戦闘に特化しているため、特別に任命されている。


…生きているのだろうか、とリリアーヌはぼんやりと考える。人の遺体を見たのは初めてだ。…いや、私が死ぬ直前に倒れていたカシアン一行はすでに亡くなっていたのかもしれないが、少なくともしっかりと遺体と向き合うことはなかったので、少なからず動揺していたのだろう。


「あ、あの…」と、そっと手を伸ばす。すると、今まで微動だにしなかったヴァレリナの手が、リリアーヌの右手を掴んだ。


「え!?」


驚きのあまり手を引こうとするが、掴まれたまま離されることはない。よく聞くと、ヴァレリナはぶつぶつと何かを呟いているようだった。


「な、なに…?」


仕方がないので少し近づいて耳を澄ます。すると、だんだん言葉となって聞こえてきた。


「…は………わい」


「え?」


「わたし…よ…い?私は…弱い?わたし、私は…私は、弱い弱い弱い弱い弱い…」


「ヴァレリナ、様?」


ぶつぶつと繰り返される言葉が不気味に感じて、リリアーヌは思わず声をかける。しかし、それが良くなかったのかもしれない。ヴァレリナはぐっと顔を上げて、憎しみに支配された目でリリアーヌを睨みつける。しかし、その顔に生気はなく、よくみると鎧の下の体は傷だらけで到底生きているとは思えないほどであった。


「弱いわけがない、弱いなんて許さない、許さない、許さない!!お前が悪いんだ!お前を殺す、全部壊す!何もかも壊れて仕舞えば良い!!私を知る全てを壊し尽くして、壊して、壊して、なくなればいい!!!」


リリアーヌはぞっとした。ヴァレリナの手は冷たく、その声はまるで死者の叫びであった。彼女の機械のような美しさが唯一、生々しい現実感を緩和させている。その瞳は獅子のように獰猛で、しかし黒くよどんで見えた。


ぎりっと、掴まれた手が折れそうなほどの強さで握られる。


「いっ…!」リリアーヌから苦痛の声が漏れるが、ヴァレリナの様子がおかしい。「グ…グァア…」と苦しむような声を発したかと思えば、口からは牙が生え、掴まれた手の指先からは鋭利な爪が生え、まさに獅子のような髭が生える。


「ガアアアアァァア!!!」と咆哮を上げるヴァレリナの様子に本能的に危機感を感じたリリアーヌは、防衛魔法を用いて強制的に手をはねのけ、距離を取る。


「何…!?ヴァレリナ様!しっかりなさって!」


リリアーヌの精一杯の声も届かず、ついには両手を前足のように使ってヴァレリナは立ち上がった。明らかに異形である。


「あーあ、やっぱりヴァレリナ嬢は同一化しちゃったんだ」


「え!?」


唐突に横から声が聞こえて驚くと、リリアーヌの横にはフリオが立っていた。


「フリオ!これはどういうことですか!?」


「見たままだよ。ヴァレリナ嬢はただ生きるために、精霊を自分の身体に降ろしたんだ。多分…悪魔と僕達が戦った日から、ずっと…」


フリオは冷静に説明しているように聞こえるが、その声色には深い悲しみが宿っていた。


「…ねえ、テンプターレ公爵令嬢。彼女を楽にしてあげてよ」


「楽にって…、それはつまり…」


「…どうせ死んでいるようなものだよ。今の彼女は既に以前の彼女じゃない。人格さえ壊れた果てに、死ぬこともできずに執着の塊になっているだけだ」


「ヴヴヴヴヴ…グァア!!!」


リリアーヌがフリオと話していると、ヴァレリナが飛びかかってくる。慌ててリリアーヌは魔法の壁を作るが、フリオは彼女の爪にかき消されてしまった。「…じゃ、頼んだよ、またね」と消え際に残した言葉から、リリアーヌは単にフリオがここからいなくなっただけだと悟り、安堵する。


「…安心する、だなんて。フリオもヴァレリナ様も、私が殺したようなものなのに」


ぽつりと呟いた言葉は、誰に届くわけでもない。


「ヴアアアア!!殺す!殺す、殺す殺す殺す!!全部!ぜんぶ!ゼンブ!!」


叩きつけるような言葉に、リリアーヌは足がすくむ。しかし、手のひらを強く握りしめて、目の前のヴァレリナを見つめた。


「ヴァレリナ様。全部殺した私からのアドバイスですわ。…全てを喪った先にあるのは、ちっぽけな自分と、なんの役にも立たない罪悪感、ですわよ」


「うるさい!私は、役に立つ!私は弱くない!私は…ワタシハ…ヴァレリナ・フェルディナンド…………ガアアアアア!!!」


リリアーヌの言葉がきっかけとなったのか、もはや言葉が届かないほどにヴァレリナの人格の荒廃が進んだことが分かる。


目が熱くなり、涙が頬をつたうが、リリアーヌは臨戦態勢を取った。両手を身体の前に持ってくる、正式な魔法士の構えだ。


「…全力でいきます。ヴァレリナ様…!お覚悟を!」


その言葉を皮切りに、ヴァレリナはリリアーヌに襲いかかった。

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