第1話
よろしくお願いします
草ひとつ生えない、空気の澱んだ大地。
薄暗く、黒く紫がかったもやが世界を包んでいる。
何もない世界の中央には、荘厳で威厳ある名前を持つ城がひとつそびえたつのみ。
時折聴こえる音は、城の隙間風か、それとも、誰かの叫び声か。
物音ひとつ立たない沈黙の世界。
それが、破滅を迎えたこの世界の成れの果ての姿であった。
ーーーーーー
「目覚めなさい、リリアーヌ・テンプターレ」
重く、淡々とした澄んだ声が響く。
リリアーヌと呼ばれたその女は、ゆっくりを瞼をあげた。
そこは、まっしろで何もない空間であった。
「ええと……誰?」
リリアーヌは混乱しながらも、声の主を探すべく語りかけることにした。
「私は、この世界を創りしもの。無から有を生んだもの」
「…もしかして、創造主アエトス様?」
リリアーヌがおそるおそる問いかけると、声の主は肯定を返す。
「そう呼ばれることもある。聴きなさい、貴女はこれから世界に命を吹き返す。最後に息絶えた玉座の間からではなく、城の外に移動させましょう。賢者を蘇らせ、あなたの罪と向かいながら玉座の間を目指しなさい。それが…貴女と世界の運命となるでしょう」
創造主アエトスは、言うだけ言ったと思えば、リリアーヌを再び暗闇の中へと落とした。
リリアーヌが目を覚ますと、そこは真っ黒に変色し、時折焼け落ちた後がある城の門の前であった。
不気味な声が響くその城の周りは、ただの荒れ地となっている。
「これが…エリュシオン城?」
リリアーヌは自分の目が信じられなかった。かつて栄華を誇った国の象徴が、こんなにも無残な姿になっているとは思えなかったのだ。頭痛が彼女を襲う。彼女は死から強制的に戻らされたようなものだった。
リリアーヌは、セレニア王国の公爵家の娘として生まれた。彼女は衣食住には何一つ困ることなく、豊かな生活を送っていた。しかし、両親はリリアーヌをただの政治の駒としてしか認識していなかた。第一王子の婚約者に据え置いたと思えば、3歳の頃からあまりにも厳しいお妃教育が始まったのである。
リリアーヌは愚直な人間であった。親に愛されるために勉学に励み、稽古に励み、殿下との交流にも励んだ。しかし、それが認められることはほとんどなく、両親はそれが当たり前のものだとみなし、殿下からは何を考えているのか分からず、堅苦しいと避けられるようになった。
自分の意思で何かを行ったことはなく、貴族が必ず通うことになっている学園に入学してからはなお一層苦しむことになったのである。それは、リリアーヌの婚約者であるはずのカシアン・レグルス第一王子が特待生、セラフィナ・アモリスに傾倒するようになっていたためだ。リリアーヌは、元々カシアン殿下に恋心を抱いている訳では無かった。ただ、両親に応えるためには彼に愛して貰う必要があったし、リリアーヌも何となく自然とそうなるものだと思い込んでいたのだ。
リリアーヌは、自身に選択する自由がないことを、そのままカシアンにも求めた。公爵令嬢として自分が縛られているのであれば、カシアンもまた、第一王子として自由が縛られるべきだ、と。
しかしその思想が異常であることに当時は気がつくことができなかった。セラフィナという貴族の暗黙の了解も知らない平民が、ずけずけとカシアンを誘惑したのだと決めてかかった。結果として、カシアンは第一王子としての権力をしばし乱用してまで、徹底的にリリアーヌとセラフィナを遠ざけた。
リリアーヌは、居場所も自信もなくしていった。自分は何もできない、役に立たない人間だという考えが彼女を支配して、そこを悪魔につけいられたのだ。この世界には、魔力や異界のものが存在している。人々は元来悪魔や魔物と戦い、その役割は主に魔力の多い貴族が請け負ってきた。幸いにも世界のバランスはかろうじて保たれており、時折悪魔の侵入を許してしまうこともあれど、迅速な対応と徹底した防衛システムで成り立っていたのだ。
だが、それをリリアーヌは壊した。悪魔は彼女の悲しみと憎しみを増幅させ、潜在的に持っていたリリアーヌの膨大な魔力を引き出した。リリアーヌはタンプターレ公爵家の血統魔法である干渉魔法が使えた。先祖返りが起きたのか、それとも別の要因があるのか、リリアーヌは魔力の多さも相まって、両親が使っているようなただの魔力妨害の干渉魔法だけではなく、大規模な通信魔法を妨害するような干渉魔法、ひいては人間の神経系への干渉、世界の理への干渉魔法までも実行できてしまった。
このことは、リリアーヌ自身は知らなかった。両親は気がついていたのかどうかは不明だが、すぐに第一王子の婚約者にした動きからは、少なくとも魔力の多さは知っていたのかもしれない。悪魔はどこから知り得たのかは分からないが、巧妙にリリアーヌを誘惑し、利用したのだ。
悪魔は世界に干渉するリリアーヌの力を使って、空気中に漂う魔力を歪ませた。次に、悪魔自身の魔法なのか、人々に絶望や恐怖心を抱かせていった。カシアン殿下や、聖女として選ばれたセラフィナが魔力の強い貴族令息令嬢と共に悪魔を浄化するべくやってきたが、その頃には悪魔は王を殺害、この世界の王として君臨していた。リリアーヌは見かけ上は悪魔の妃と称され、黒いドレスに包まれたままただひたすらに魔力を行使され続けた。
悪魔は繰り返し囁いてきた。「この世界は停滞し、腐っている。誰もお前に価値も自由も与えない。お前は私に使われるために生まれてきたのだ。共に世界を造り替えようじゃないか。私達が創造主となるのだ。それが真の悪魔と人間の平穏であり、この世界の理想郷だ」と。リリアーヌが答えることはなかったが、かといって魔力を使うことを拒否することもない。悪魔はそれだけで満足そうに微笑んでいた。
そうして、玉座の間にて殿下一向と悪魔とリリアーヌは邂逅することになった。かつて人々が思い描いていたであろう皇帝と妃はそこにはおらず、一方は怒りの表情で、もう一方は何の感情もない人形のような顔をしていた。
戦いは何日にも及んだが、ついに決着の時。その時にはもう、殿下もその一行はほとんど殉死しており、最後の魔術師が息も絶え絶えながら立っているだけであった。悪魔の方も決して無事ではなく、魔法の棘で拘束され、血を流しながら憎しみを帯びた目でその魔術師を睨み付けていた。リリアーヌは、その姿を床に突っ伏したままぼんやりと見ていた。
「…この惨状は、私が招いたもの」
そう呟いた時、魔術師はおそらく彼の命を使い果たすほどの魔力をため、この城に生存している全ての物を封印したのであった。
あれから何年が過ぎたのかは分からない。そもそも封印された時、この世の中の生存している生き物は、あの城の中にいた数人だけだったのかもしれない。少なくとも、今蘇ったこの世界に、私以外の人間の存在は感じられないし、そうでなければ創造主が私に試練を与えることもなかっただろうと思う。
「創造主…アエトス様は、私に玉座の間を目指せと言ったけれど…。賢者って何かしら」
うーん、と頭をひねらせるが、たたき込まれた知識の中に賢者と呼ばれる人はいなかったように思う。
「とりあえず…エリュシオン城に入るしかない訳ね…」
アエトス様は私に再度命を与えた。そして、私に罪と向き合いながら玉座に向かえといった。私は……あの時、この国が、ひいてはこの城がこんな惨状になったのは、私のせいだと思ったのだ。
リリアーヌは後悔していた。まだ漠然とした申し訳なさと、所在のはっきりしない罪悪感からであったが、少なくともここで、創造主の与えてくれたチャンスを逃すのは愚かであると思ったのだ。
リリアーヌは重たい門を開け、中に一歩踏み入れたのであった。




