第二話:八月二十三日、祭囃子と残像
そっと目を開けた。
部屋の窓が、遠くの祭囃子を微かに拾って震えている。今日は近所の神社の夏祭りで、町内が浮き足立っている日だ。正直なところ、今の自分にはその喧騒は不釣り合いなものに感じられる。しかし、中学からの友人らに半ば強引に誘われ、重い腰を上げた。
境内に続く参道は、裸電球の温い光と、屋台から立ち上る甘い匂いで満ちていた。友人たちは久しぶりの祭りに高揚しているようだが、どうにもぼくはその輪に入りきれない。人の波に身を任せながら、意味もなく金魚すくいを眺めたり、りんご飴の色をぼんやりと見比べたりした。
その時だった。
射的の屋台の向こう側、人垣の中に、見慣れた横顔を見つけた。
齋藤沙良だった。
彼女は、ぼくの知らない女子数人と楽しそうに笑い合っている。浴
衣姿の彼女は、制服やTシャツ姿とは全く違う、大人びた雰囲気をまとっていた。ぼくのいる場所からは、十数メートル。声も届かないが、その楽しそうな様子だけは嫌というほど伝わってきた。
一年前の今日を回顧する。
この夏祭りの特設ステージで、我々吹奏楽部は依頼演奏をしていた。部長と副部長として、ぼくと彼女は本番直前まで進行の確認や部員のケアに追われていたのだ。あの時は、隣にいるのが当たり前だった。同じ目的のために隣にいることに、何の疑問も抱かなかった。あれは、部活動という強固な繋がりがあったからこその距離感だったのだと、今更ながらに思う。
やがて、ひゅるり、と風を切る音がして、夜空に大きな光の花が咲いた。打ち上げ花火だ。
集まっていた人々から、歓声ともため息ともつかない声が漏れる。皆が空を見上げていた。ぼくも、友人たちも、そして、人垣の向こうにいる彼女も。
花火は、その一生を他人に委ねている。いつ打ち上がり、いつ消えるのか、自分では決められない。ただ、与えられた一瞬を、持てる力の限り燃え上がらせる。それは、コンクールスの舞台に立った我々の姿に酷似しているのではないか。たった十二分間のために全てを捧げ、そして終わる。その後のことは、誰にもわからない。
いくつもの花火が、次々と夜空を彩っては消えていく。
ひと際大きな花火が空を真昼のように照らした瞬間、ぼくはもう一度彼女の方を見た。その時、彼女も、まるで何かに気づいたかのように、ふとこちらを振り返った。
光の中で、ぼくたちの視線が、確かに交差した。
彼女は少しだけ目を見開いたように見えた。しかし、次の花火が上がるまでの束の間の暗闇で、彼女はもう友人たちの方へ向き直ってしまっていた。
やがて最後の花火が、ひときわ大きく、そして静かに散っていく。
祭りの終わりを告げるアナウンスが流れ、人々のざわめきが戻ってきた。友人たちが何か話しかけてくるが、その言葉はぼくの耳には届かない。
瞼の裏に焼き付いているのは、閃光の中に見た彼女の顔と、そのあとすぐに訪れた、深い闇。
ぼくは、静かに目を閉じた。