第6章:そして猫は、すべてを見ていた
猫はよく見ている。思い出すように瞬きをして、黙ってすべてを受け入れている。
彼らはいつの間にか僕ら夫婦の会話の合間に入り込んで、まるで前からいたかのように家の空気を支配していた。
ある夜、僕が風呂上がりにリビングでストレッチをしていると、ゴローちゃんが僕の背中に前足をのせた。そして、何も言わず(当たり前だが)じっと僕の顔を覗き込んだ。まるで、「お前、ほんとに変わったな」と言っているみたいだった。
そう、変わったのだ。ずいぶんと。
25年前の僕なら、こんな夜はクラブのスピーカー前でラムをあおっていただろう。あるいは、友人のライブバーで誰かの演奏にイチャモンをつけながら、女の子の連絡先を携帯に打ち込んでいたかもしれない。
けれど今は、ストレッチをして、ノンアルのジンジャーエールを飲みながら、Youtubeで旅番組を見る。妻はソファで足を伸ばし、シロさんは彼女の足に体を預け、ゴローちゃんはモニターの横で香箱を組んでいる。
「ねぇ」と妻が言う。
「もし、またバーやりたいって言い出したらどうする?」
僕は首をかしげて笑った。
「うーん……たぶん、すぐ眠くなるよ。0時まで起きてられる自信がない」
妻はくすっと笑って、「だろうね」と言った。僕も笑った。そしてそのとき、シロさんがふにゃんと鳴いた。
きっと、猫にもわかるのだろう。この空気が、もうずっと前からそこにあったものだということが。
夜は、もう続かない。でもそれでいい。
猫が2匹。妻がひとり。そして、昔の自分とは違う僕。
昼のまんなかで過ごす時間は、かつての夜よりずっと静かで、ずっと温かい。
時計の針は午後9時をさしているけれど、僕にとっては、まだ昼のつづきだ。眠くなるまでの、穏やかな昼の残照。