第5章:遠ざかる夜、近づく昼
かつての夜は、泡のように立ちのぼり、何の痕跡も残さず消えていくものだと思っていた。
グラスの縁を滑るリキュールの粘度、酔いで赤く染まった瞳、肌の温度と湿度、忘れたふりをした名前たち。そうしたすべてが、夜の底に沈んでいく。そうやって、僕はひとつずつ、夜のしがらみを切ってきたつもりだった。
けれど、今、明るい午後の縁側で、ふたりの猫が重なるように丸くなって寝息を立てているのを見ていると、その夜たちは消えてなどいなかったのだと思う。確かにそこに在って、僕をここまで運んでくれた。
あれから猫は代替わりし、今一緒に暮らしているのはキジトラの「ゴローちゃん」と茶トラ白の「シロさん」だ。
キューバの神々ではなく、大好きなグルメドラマの主人公たちの名前。
妻との暮らしが始まって数年経ったいま、僕は複雑なポリリズムや理論が必要な音楽ではなく、仲間との気楽な音楽を楽しむバンドで演奏している。もう、自分を“ミュージシャン気取り”でいる必要もないと思えたのだ。
演奏は、たまの仲間との小さなライブで充分だった。ギャラも、スポットライトも、満員の客席もいらない。音が生まれることと、誰かの表情がほころぶこと。そのふたつがあれば、もう何もいらなかった。
ある日曜日、近所の小学校のグラウンドで開かれたイベントで、僕は一本のアコースティックギターを持って、小さなステージに立った。
演奏したのは、昔のアニメソングをジャズアレンジしたもので、軽快なイントロに子供たちが手を叩いて笑った。妻は客席の隅で、猫柄のエコバッグを膝に抱えて僕を見ていた。
その視線に、僕はバーのカウンターで向かい合った無数の“女性たち”の影をふと重ねた。でも、それは一瞬のことだった。彼女は誰とも違って、唯一だった。過去の誰とも比較されることなく、僕の現在をかたち作っていた。
家に帰ると、シロさんがテーブルの上の紙袋を引っ掻いていた。「それ、さっきのイベントのパンフレットよ」と妻が笑う。ゴローちゃんは文庫本を枕にして椅子に寝そべっている。
「昔はさ、こういう穏やかな午後なんて、考えられなかったんだ」
僕が言うと、彼女は「そうだろうね」と少し意地悪く笑った。
「でも、今は考えられる?」 「うん。今は、当たり前のように思えるよ」
そのやりとりのあと、僕らは猫を膝に乗せて、しばらくソファで静かにしていた。時計の針が、夜を迎えに行く時間。けれど、そこにはもう「夜のつづき」はなかった。
今、僕がいるのは「昼のまんなか」だった。あの頃、夢みたことすらなかった、穏やかな時間の真ん中に。