第4章:彼女と、風の匂いと、二匹の猫たち
彼女と出会ったのは、バーをたたもうかと考えていた頃だった。
日々の暮らしに夜の光が足りなくなっていた僕の前に、昼の陽ざしのような彼女が、まるで風に乗って現れた。12歳年下。歳の差を気にしていたのは最初の数週間だけで、あとはただ、目の前にいる彼女の透明な笑顔と、何気ないひと言に救われ続けていた。
「朝ごはん、ちゃんと食べてる?」 「夜って、長すぎない?」 「猫がいれば、世界はうまくまわるよ」
彼女が連れてきたのは、キジトラの大きな猫だった。名前は「エレグア」。キューバの、十字路と扉の神の名だ。悪戯な神様は、最初こそ警戒していたが、数日もすれば僕の膝の上を当然のように占拠し、喉を鳴らして眠った。
そして、少し遅れてやってきたのがクロネコの「チャンゴ」。こちらは雷と嵐の神。エレグアよりさらに大柄で、どこか間の抜けた表情が妙に人懐こい。ふたりがいると、部屋の空気が変わる。窓辺に射す光まで、彼らの毛並みに包まれて柔らかくなったようだった。
猫たちが走り回るリビングで、彼女はよく本を読んだ。ときどき音楽を流して、小さく体を揺らしながら紅茶を淹れてくれた。僕はその音に包まれて、何も考えずにベースを爪弾いた。バースのリズムを口ずさむ。ミッドナイトじゃないブルースが、そこにはあった。
ある夜、彼女がぽつりと言った。
「あなた、前は夜の人だったんでしょ?」
僕は頷いた。
「でも今は、朝が好き。あなたといると、朝が待ち遠しいって思える」
彼女のその言葉に、僕の中で何かが決定的に変わった。夜のきらめきも、孤独も、気取ったセリフも、華やかな空間も、全部が回想になっていった。
猫たちは今日も元気だ。エレグアは彼女のベッドの足元で寝ていて、チャンゴは僕の書斎でぐうぐうといびきをかいている。
彼女は今、ダイニングで何かを書いている。たぶん、彼女の日記帳。ときどきペンが止まって、何かを思い出すように笑う。その横顔を見ているだけで、僕は「昼の真ん中にいる」と思える。
「明日、キャンプ行こうか」
僕がそう言うと、彼女は顔を上げて、「いいね」とだけ言った。
テントの中で猫たちが丸くなって眠る光景を想像しながら、僕はベースの弦をひとつ張り替えた。夜は、続きとしてでなく、余韻としてそこにある。