最終話 星の声が聞こえるとき
それから、幾年の月日が流れました。
あの村にも、少しずつ変化の風が吹きました。
港に新しい船が来るようになり、若者たちは町へ働きに出て、道には灯りがつきました。
それでも、灯台だけは、変わらずそこに立っていました。
いまでは、丘の中腹に小さな東屋ができ、夕暮れになると、村の人びとが集まってきます。
子どもも、大人も、老人も、誰からともなく、星の歌をくちずさむようになりました。
その歌は、もはや誰が作ったのかも忘れられていました。
ただ、「昔、灯台に星の声が降りた」ということだけが、静かに語り継がれていたのです。
トオルは成長し、村の小さな学校で子どもたちに読み書きを教えるようになっていました。
夕方になると、決まって灯台へ足を運び、磨いたレンズに油をさし、静かにランプに火をともします。
それは、もはや「星の声」を聞くためではありませんでした。けれど、光がともると、不思議と心がやわらぎ、風がやさしくなるような気がするのです。
ある年のことです。
遠い町から、ひとりの旅人が村を訪れました。
白髪を風になびかせた老人で、細い杖をつきながら、丘の上をゆっくりと歩いていました。
誰もその名を知る者はいませんでしたが、トオルだけはすぐに気づきました。
ヒムラ博士。
その瞳はすっかり年老いていましたが、どこか少年のような光をたたえていました。
トオルは何も言わずに、灯台の鍵を手渡しました。
博士はゆっくりと階段をのぼり、灯室に入ると、しばらくのあいだ、窓の外の星空を見つめていました。
そのあとで、静かにこう言いました。
「きみは、まだ灯りを守っていたのだね…。わたしも、ずっと考えていた。あれが“虚構”だったのか、それとも“祈り”だったのかと。」
トオルは笑って、首を横に振りました。
「答えなんて、とうに忘れましたよ。
ただ、子どもたちがこの丘に来て、誰かの歌を思い出してくれるなら、それで、じゅうぶんです。」
その夜、灯台の光はひときわ美しく、ともりました。
風が吹き、海がさざめき、星々がまばたきを返すようにまたたきました。
誰かが、「星の声が聞こえた」と言いました。
けれど、もうそれをたしかめる者はいませんでした。
なぜなら、その声が“ほんとうかどうか”よりもそれを信じて語り継ごうとする誰かがいることのほうが、この村にとっては、ずっと大切なことだったからです。
こうして、灯台の丘には、いまも静かに光がともりつづけています。
それは、世界のどこよりも小さな“神話”けれど、だれよりも強く、あたたかい光です。