第一話 夜のうわさ
むかしむかし、海のそばの村に、人びとが心をばらばらにして暮らしていたころがありました。
畑の水をめぐって争い、魚の売り値で言い合いになり、祭りもとだえて久しく、村の広場にはいつも沈んだ影ばかりが落ちていました。
人びとは他人の目ばかりを気にして暮らし、だれも笑わず、あいさつのかわりにため息をこぼしておりました。
その村のはずれに、海をのぞむ小高い丘がありました。
そこには古びた灯台が、ひとりぼっちで立っていました。
それはもう何十年も前に役目を終え、火もともされず、誰にも顧みられないまま、風と潮の音を聞いておりました。
村の子どもたちは、その灯台に近づこうとはしませんでした。
「おばけが出る」「声がする」「天井が落ちる」そんなうわさばかりが先に立ち、だれもほんとうに確かめた者はいなかったのです。
ある嵐の晩のことでした。
激しい風が村をなめるように吹きすさび、木の葉が舞い、戸がきしむ夜のこと。
その夜、ひとりの少年、名をトオルといいましたが、家を抜け出して丘へ向かったのです。
家のなかに居場所のない少年でした。
母は重い病にふせり、父は無口で働きづめ、兄は遠い町へ出たきり戻りません。
誰にも気づかれないように、トオルは雨風のなかをとぼとぼと歩いていきました。
灯台のてっぺんにのぼると、海は黒く、空には星ひとつ見えませんでした。
けれど、風のなかに、確かに「声」があったのです。
あれは、おそらく風の音だったのでしょう。
けれど少年には、はっきりと聞こえました。
「きみたちは、忘れてしまったのだね……星の記憶を。
でも、まだ間に合う。灯台を見上げなさい。」
トオルは目を見開きました。
灯台の灯室は、誰もいないはずなのに、ふわりと淡い光を放っていたのです。
それは、星のひとつが降りてきて、そっと火をともしたような光でした。
翌朝、トオルは丘からおりてきて、ひとりごとのようにつぶやきました。
「星の声が、聞こえたんだ…」
そのことばは、あっという間に村じゅうにひろまりました。
「また子どものつくり話さ」「ばかばかしい」そう笑う者もいれば、「本当に見たのか?」と、目を光らせる者もありました。
けれど、ふしぎなことに、その晩から、丘にのぼる子どもが増えていったのです。
トオルに続くように、ひとり、またひとり。
耳をすませば、たしかに風のなかに、星のことばのようなものが聞こえたのだと言いました。
村の大人たちは、眉をひそめました。
けれど子どもたちは、灯台を囲んで星の話を語り合い、だれがいちばん声を聞いたかを競い合いながらも、いつのまにか、前よりも仲よくなっていきました。
それは、かすかに村に変化の兆しが訪れた最初の夜でした。