脅迫
何か現実離れした力を前に、少し、うん。少し困惑したが、事実起きてしまったのだから仕方がない。自分も似たようなものなのだからそういう事もあるのだろう。同郷?
何由来かはいいか。
この男の移動先を読むのは割と簡単。例え初速が目で追えなくても、今までスクスクと元気に育っていた草がいきなり潰れるのだ。これで方向が読め、そしてその先の本体を一度認識すれば後は目で追える。
真っ直ぐこちらに来ると思ったが、どうやら違う。こちらとは真反対に向かって草が反応した。ここに入ってきた時の傾斜がキツイあの坂だ。あれに向かって突っ込んでいく。先程よりも速い。
遠くでその姿がプツリと姿を消した。
この空間ループし、男は限界面で消失。つまり───
集中力と警戒心を限界まで貼り巡らせ、背後に現れた男を迅速に察知した。尖らされた枝を握り突き出された腕をギリギリで捌き、跳ね上げ、ガラ空きになった胴体。逃げられる前に男の足を踏み、拳を握りしめ、無防備の下顎に突き上げる!!!
「ゔがっ…!」
その瞬間、舞い落ちる木の葉の速度がハイパースローのようにゆっくりに変わった。なんとも不思議な光景である。
そのまま吹っ飛ぶはずだった体を己の足で固定された事でその場に留まり続けた。ただ下だけ固定されても上はフリーなわけで、男の体は当然の如く後ろに傾く。この不安定なバランスに追い打ちをかけるよう少しでも力を追加したら、それは当然倒れる。では思いっきり力を加えたらどうなるでしょう? 例えばそう、打撃とか。
顔面に追い打ちで叩き込まれた右ストレート。少しでも倒れるなら殴れば当然、勢いよく倒れる。逆さまにした振り子のように後頭部から倒れそうになるのを、支えるために武器を手から離し、後ろに肘から手を付き受身をとる。が、腹部ががら空きであるからして、
勢いよく空いた足で踏みつけた。
「ゔっ…ゔぅ…」
鼻からダラダラと血を流しながら苦しそうに呻く声が低速の世界に響く。
彼は目で補足できない速度で動くことが出来る。なら、何で避けないの? という疑問が浮かぶだろう。が、断言しよう。無理なのだ。
初めの攻撃。彼に噛み付いた時、初めて世界の速度が鈍化して見えた。
人体で一番強い筋肉は咬筋だ。大体噛む力は体重と同じくらいだと言われている。僕の場合、だいたい六十キロと言ったところだ。六十キロなら握力でも出だせるスコアだろう。しかし握力と違うところ触れる面積。歯であればその接地面は比べ物にならないほど狭くなる。力が点に集中するのだ。
そして、噛まれた側はその気になれば容易に噛みちぎられる事を直感で理解する。単純に言えば、焦る。
咄嗟の行動は自分がよく取る行動が反映されるものだ。能力者の場合、大抵咄嗟の行動は「己の能力の発動」を選ぶ。それが一番の武器であるから当然だ。
噛み付いている時、焦って引き剥がそうした時、能力を発揮させたと考えられる。
あの「世界の鈍化」は彼の能力。周りが遅いということは、はたから見たら今こちらは早くなっている事になっているだろうから挙動に対して辻褄があう。そして僕自身もその影響を受けた事から、物や人に触れてる状態で能力を使おうとすると、それらを巻き込む。
つまり、触れてさえいれば等速同士の殴り合いになるのだ。
「降参するならこれ以上はやらないけど?」
「…巫山戯るなぁあ゛ぁ!!!!!」
男は勢いよく回転した。ワニのデスロールを想像して欲しい。その上に乗せた足が、テーブルクロス引きのように蹌踉けさせられた。
「しまっ…」
接しているところが無くなった事で男だけが加速する。流暢に先程手放した武器も拾って。逃走? 違う。向かう先は十中八九アマナだ。何回も攻撃を当てたことで流石に向こうに対する集中は切れてるはず。だから真っ直ぐ隠れた所へ向かうなんて事は出来ない。が、あの速さなら見つかるのも時間の問題…自前であの速度に追いつくのは中々難しいだろうけどなぁ。
生憎、良いカードを最初に見つけたんだ。
下半身のみが変質する。足が黒く染まり。それは甲殻類のようで、それでいて靱やか差は保っている。姿勢を低く、空気の抵抗を極限まで押えて…踏み込む!!!
草が足にあたりカサカサと鳴る一方で、耳元でひゅぅっ風を切るような音が連続する。
それは予想を遥かに超えた圧倒的なまでの加速だった。
標的に追いつく。こちらに気がつくと目を見開いた。信じられないと言った様子だ。だがもう遅い!! 速度をそのまま拳に乗せる。
思い切り左腕を振り抜き─────
─────すり抜けた。
当たるはずだった攻撃が空振りに終わる。避けられたとか外したとかではない。位置が重なったのだ。それはまるで立体映像を殴ったかのようで…反動を期待した前のめりの体が、盛大に崩れ落ちる。
男はその隙を見逃さない。
倒れた体に逆向きで馬乗りになった男の持っていた武器によって左足の大腿部が深々と貫かれた。余った足で蹴りを入れるが、近距離過ぎる為あまり力が入らない。ダメージは薄いだろう。
ただ距離は離せた。枝を引き抜かれなかった事で出血量は抑えられている。致命傷にはならないが、この足は使い物にならないなぁ、なんてことを考えていた。
「さっきは良くもボコスカと…なんか気持ちわりぃ…頭打ったせいか? クソ、お前その足アンバランスだろ。もう一本行くか?」
「勘弁して欲しいなぁ…」
「…いや、やめだ。もう絶対近づかねぇ」
片足の損失は大きい。反撃狙いしかこちらの攻撃手段がない事に気がついたのだろう。
仮に追いつけたとして、また抜けたのでは意味もないのだが…あれ?
「…もしかして君、加速した状態のまま攻撃出来ない?」
「…」
「黙ったら図星なのバレバレだよ?」
ずっと不思議だった。何でわざわざ武器なんか使っているのかって。
本来であれば速度に任せて殴った方がダメージが大きいはずだ。あれだけの速度での打撃なんて食らったら一発で致命傷だろう。
しかし、攻撃する時は必ず同じ速度に、つまり能力を解除した状態にしていた。
もし、能力を発動したまま攻撃した場合…
向こうもすり抜けるのか。
考えてみたらそうだ。もしそのまま触れられるとして、あのまま出力を上げた場合、音速も、多分光速だって追い越せる。それがもたらす環境への影響…うん。動いた余波だけで地形が変わるだろう。
そんなの流石に許容範囲を超えすぎる。
だから彼の能力は、自分と世界の分離した上で適応されるのだ。…というか多分こっちが本命なのだろう。
納得だ。入った時、確実に僕ら以外に人は居なかった。つまり彼は後から入ってきたという事になる。なのにこの空間の仕様を知っていた。初見ではない、検証する時間はなかったはずだ。ならば─────
彼
の
こ 能
の 力
空 な
間 ら
を
・
・
・
「…少なくとも君よりも僕の方が能力というものに詳しいだろう。何か力になれることがあるはずだ」
「…なんだよ急に」
カバネはあまり人と関わることは無かった。いや、その必要が無かったと言うべきだろう。故に交渉というものがあまりに不慣れである。
「僕にできることなら助力しよう。そのかわり、君の力を貸して欲しい」
直後、男は頭を抑えて、力なくへたり込む。
「頭がっ…うっ…」
「あぁ…あれか」
「な、何を…」
「…毒」
「…は…? そんなん何時…」
「それを態々教えてあげる義理は…まだ無いかな?」
何時と聞かれれば最初である。
噛み付きは焦りの反応を見る目的もあったが、本命はこっち。捕食した蛇が保有していた毒を流用したのだ。問題は毒が回るまで時間がかかるところだが、能力の多用により、加速しているのだから通常より毒が回る時間は早い。それにあれだけ動き回ったら心臓も跳ねるように動いてるはずだ。血液も相応に巡る。
タイミングよく発動した布石、不慣れな交渉。カバネの取った行動は───
「もう一度だけ言う。力を貸して欲しい。それなら命は保証するよ?」
──脅迫。
「あぁ、クソ…わかっ…た…っ………」
そう言って脱力し、動きを止めた男を数秒間眺める。その口から出た肯定の言葉に胸を撫で下ろした。