プロローグ
付喪神というものを知っているだろうか?
長年大切に使われたものには魂が宿り、妖怪や神に類になるというものだ。
言霊というものもある。言葉には不思議な力が宿っていて、発した言葉が現実に影響を与えるといった伝承だ。和歌や祝詞、呪詛もこの信仰から発展したものだという。
これらは何方も人の思いが強く関係する。
幽霊。やり残した事をやり終えたら成仏できると聞いたことがある。悪霊はそのやり残した事が復讐なのかもしれない。
心霊スボットは人の怨嗟が積み重なって根付いたものだとか。
怪談や都市伝説。その殆どはフィクションとして創作られ消費されるものであるが、火のないところに煙は立たぬともいう。そんな物語の中には、大きく脚色されていたとしても、種火があるものも確かにあるだろう。
そうでなくとも、「嘘から出た実」という言葉もあるくらいだから、物語が広がって事実になったりする事もあるかも知れない。
要するに、そんな現実の理に即わない力の殆どは、人の思いによって形作られるということだ。
さて、人の想像力とは時に人智を超えた力を生むものとして、そんな力の媒体が人間自身になってしまったらどうなるのだろうか?
◆ ◆ ◆
学校に足を運ばせたく無い理由は単純。いじめである。悪口を言う者、無視を徹底していない者として扱ってくる者、私物を隠したり壊したりする者、様々いるが、要は嫌われてるので行きたく無い。
「…全員死んでくれないかな」
憂鬱。布団に横になり、目を瞑る。いっそこのまま目を覚まさずに済んだならな。なんて事を思いながら就寝する毎日。学校行かなきゃいいだけかもしれないけど、虐められてますなんて言えないし。
目を覚ましては、行きたくないと拒絶する脳を黙らせ、無理矢理足を動かして学校に向かうのだ。
私がもし死んじゃったら…少なくとも家族くらいは悲しんでくれるのかな。
特技なのか体質なのかは不明だが、物心ついた頃には人の心が読めた。
幼稚園の頃に、心と発言のギャップに違和感を覚えて指摘してしまった事がある。というか、何度もやってしまっていた。自分にできる事はみんなできると思っていたし、そんな当たり前のことで一々驚いてもらえるのが面白くて仕方なかったからだ。
それが特別な事であると自覚した時には、既に不気味な子扱いになっていた。
時が経てば何とかなるだろうと耐え忍んだが、そんな事はなく、私の噂は小学校、中学校、高校へと風化する事なく流れ続けた。
何もしてないのに悪意を向けられ続けると言う理不尽に心がすり減っていく。何とか自分を変えようと努力しても過去が原因ではどうしようもない。
路上でイチャイチャしてるカップルを眼にするだけで吐き気がするほど、幸せというものへの嫉妬心が膨れ上がっていく。
それと同時に人の幸せを直視できない自分に嫌気がさした。
幸せになりたい。
御伽話のお姫様みたいに誰か私を助け出してくれないかな。と、変わり映えしない毎日に妄想だけが駆け抜ける。
趣味は可愛い服を集める事だった。見た目だけでもお姫様になりたかったからだ。貰えたお年玉なんかはフリルのたくさん付いた服に注ぎ込んだ。と言っても、可愛い服は値段も高いので、そんなぽんぽん買えたもんじゃないのだが…。それでも姿見の向こうの自分は可愛いので満足だ。
こんな事考えても意味のない事は分かってる。だから周りにはもう何にも期待していない。せめて、そう。現状維持さえ出来ればいい。
雨風凌げる家があって、可愛いお洋服を着れて、毎日ご飯が食べられて、お布団で寝られる。そんな当たり前のことでも充分幸せなはずだ。それさえあれば、まだ自分は人間なんだと納得できる。手元に残った幸せを愛でればいい。
「久しぶりに、ドライブ行かないか?」
ある日、父のその一言で、そんな細やかな望みさえも崩れ去った。
「何処まで行くの?」
心のどこかでその日が来るのは分かっていた。覚悟はしていた。だから備えていた。
「夜空が綺麗に見える山があるんだよ」
「…うん。じゃあ着替えてくるね」
貯めてたお小遣い、約五万円を財布に全ていれ、スマホ、買っておいたカッターナイフと家にあったライターを短パンのポケットにしまい込む。その上からスカートを履けば、これなら、パッと見は手ぶらに見えるはず。今、両親の思惑に気付かないふりをしつつ、出来る最大限だ。
…部屋を見渡し、ぬいぐるみが目に入った。昔、誕生日に買ってもらったクマのぬいぐるみだ。
「…それは?」
「久しぶりに、一緒に連れていきたいなって」
昔は毎日のように連れ歩いた。砂にまみれ、何度も洗っているせいか、少し色が褪せてきてしまっている。新しいものを買ってあげると言ってくれたが、それでもこの子が大好きだったため、断っていた。
しかし、口にはしなかったが、母はこのぬいぐるみを他人に見られたくないと思っていた様なので、あまり外に出さなくなったのだ。
「いいんじゃ…ないかな」
ぬいぐるみを小脇に抱え、車に乗り込む。
明るく表面上は明るく振舞って見せるが、いつバレるんじゃないか、もし勘づかれたら、その後はどうしようといった不安が伝わってくる。
一方母は、少女の抱き抱えている人形をぼーっと見つめ、押黙る。
不思議なことがあった。
『気持ち悪い』
人の噂も七十五日というように、自分の能力を隠していればいつかは風化し、収まるものだろう。予想通り、進学時やクラス替えの時環境が変わる時は少女にも友達ができる。だが、決まって一ヶ月もすれば『気持ち悪い』という内心に書き変わっている。そして一人になるのだ。それだけが謎で、辛かった。
山を暫く上がっていき、軈て車を停めた。どうやら目的地に着いたようだ。母は車に残ると言うので、父と少女の二人で車から降り、少し進んだその先には、見晴らしのいい景色が待っていた。
「ここは空気が綺麗だろう、星空もよく見える」
その星の輝きは、モヤモヤとしていた心根を一瞬だけ忘れさせてくれるような、そんな透き通った景色だった。時間を忘れて魅入ってしまう。
「ここには母さんとよく来ていたんだよ。いつか有愛にも見せたかったんだ」
感傷に浸ったようにそう語った。だが、思い出の場所だと言うのなら、なぜそんな場所にわざわざ連れてきたのだろうか。
「…さて、そろそろ母さんも連れてくるから、少し此処で待って居て」
「分かった」
持っていたバッグを少女に渡した後、姿が遠ざかっていく。もう父が、戻ってくることは無いだろう。父に今あるのは重荷を降ろせたような安堵と、緊張。そんな感情を見ていると、こんな現況に置かれても冷水をかけられた様に冷静になれる。
父は母と違い、後悔などは見せなかったのだから。
取り敢えず渡されたバッグの中身を確認してみる。水の入ったペットボトル三本と簡単な食べ物が入っていた。
夜更けに一人山の中というのは怖い。とりあえず木陰に腰掛けた。
きっと大丈夫、明るくなるまでじっとしていよう。スマホで時間を潰すのも考えたけど、ここは圏外だし、充電切れになってしまうのが一番怖い。
脳内で後悔の念が巡る。悪い方に悪い方に、思考が堕ちていき、ボロボロと目から雫が、少女の意思に反して零れ落ちた。
───ガサッ
そんな思考は一時的に、草木を分けいるような物音によって中断される。
危ない生き物だったらどうしよう。もしかしたら、お化けかもしれない。いや、もしかしたらやっぱり両親が戻ってきてくれたのかもしれない。
期待と不安を織り交ぜながら、その物音のする方向を固唾を飲んで見据える。
うっすら見えたのは人影だ。期待が大きく膨れ上がる。
だが、残念ながらそれは両親ではなかった。
そこに立っていたのは黒い髪、片目が赤で、もう片目が青色の青年だった。
青年と目が合うと思考が流れてくる。
『なんというか、気持ち悪い女の子だなぁ』
───ッッ!!
なんで、初対面の人間にまでそんな事思われなきゃいけないの!? 私の! 何がいけないの!?
気がついたら、走り出していた。一刻も早くその場から逃げ出したかった。
どうにもならない事だと分かっているのに、再び涙腺が潤み始める。
逃げて、逃げて、どっちが正しい道かも分からないまま出来るだけこの山を下るよう、走る。
脇道からガサガサとまた音がする。
今度は何なんだ。どうせまた、あれ? なんでさっき、あんなところに人が居たんだろう。こんな森の中に…
「え?」
それを見て、脇道に逸れた思考も一瞬にして戻される。
そこには見た事もないナニカがいた。真っ黒な人の様な、ただ、それは成人男性の二倍ほどの大きさがあり、その質感は半分霧のようにも見える。顔の凹凸は無く、のっぺらぼうの様で…回りくどい言い方はやめよう。三メートルくらいある黒い人型の化け物だ。明らかにこの世のものではない風貌のそれをみて、一瞬思考が停止する。
─────あぁ、これ見ちゃダメなやつだ。
それの無い顔が少女を捉え、敵意と殺意を剥き出しにしながら走って少女に向かってくる。
眼前に死を想起し、反射的に自分でも驚くような、出した事も無いくらい高音の悲鳴が木霊した。
逃げようにも腰が抜けて、その場にへたり込んでしまった。体が竦んでどうしようもない。怖い。
近づいてくる足音に対し、目を固く瞑ってしまう。直後来るであろう強烈な痛みを覚悟したが故だ。
恐怖によって震える両手でぬいぐるみをぎゅうっと握りしめる。
「…無事?」
その絶望的な想定とは裏腹に、間近から人の声が聞こえ、恐る恐るその目を開けると、そこには先程の青年が立っていた。
さっきのは何だったのだろうか? どこに行ったのだろうか? と言うか助けてくれた、どうやって…というか何で? さっき気味悪いって私の事見てたのに。違う! 取り敢えずありがとうって言わなきゃ…
「あ…」
暫く逡巡した後、感謝を伝えようとしたが、少年の右腕を見て言葉が詰まった。
「腕…」
「あぁうん。噛みちぎられちゃった。でも逃げてったから安心して」
「大丈夫なの…?」
「大丈夫じゃないね」
あははと笑いながらそう言った。
痛々しい傷を負っておきながら、どこか余裕を見せる飄々とした言動の青年に、とてつもない違和感を抱える。
青年は、キョロキョロと何かを探す様にして周りを見渡し、ある一点に視点を定めた。
青年の視線の先には虫、黒くて、カサカサと素早く動くあいつだ。少女の世界一嫌いな虫がそこに居た。
何を血迷ったのか、それを青年は残っている方の片手で捕まえた。あれだけ早い野生のGを素手で、凄いなぁと、気持ち悪いなぁという思いが同時に来た直後。
一切迷うこと無く、それを口に入れる。
「きゃあああ!!!!」
なんなんだこの人!? あれを生きたまま口に…うぇっ…だめだ、考えるだけでも鳥肌が…。
「あれ、この生き物って普段食べないやつだった?」
「絶対普通は食べないよ!?」
青年はあははと可笑しそうに笑う。街のやつらは汚染されすぎている為、それに比べたら森のは綺麗なもんだという事だろう。いや、健康被害の話はしてない! そうだ、そもそも私の事を先程気持ち悪いと思った青年の行動とは思えない。どの口が…あぁ、言ってはないのか。
その直後、青年の傷ついた右腕を左手で掴み、引き切った。暗くてよく見えないが、その腕の断面からは出血している様子はない。
「うん。助かった」
この人は何、おばけ? 宇宙人? 少なくとも明らかに普通じゃない、分からない…怖い!
「さっきの奴がまた戻ってきても怖いし、場所を移動しようか。歩ける?」
怖い…けど、青年の言葉からは私に対する敵意は何も感じない。寧ろ助けてくれるんだという希望に安心感を抱く。恐怖はあるが、このまま彼に着いて行った方が取り敢えずは安全な筈だという事は理解した。
「あ、…あれ?」
「どうしたの?」
「あ、足に力、入らなくて…」
それでも自分の体が言うことを聞いてくれなくて、このままでは置いていかれてしまうんじゃないかという焦燥感から、また涙が溢れてきてしまう。
「まっ、て…すぐ、うごくから」
「いや、いいよ。立とうとしなくて」
…え。
あ、また、ひとりぼっちになるって事? い、や、嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ。
「お、置い、てか、ないで…」
涙を流す事ですら今日が久しぶりだったと言うのに、号哭など物心ついて以来は経験した事がない事だった。幼少期からずっと、他人の前で押し殺していた感情の波が、涙腺から洪水の如く溢れ出す。
「あー違う! 見放したとかそういう意味じゃなく…置いてかないから、大丈夫だよ。抱えていくけどいい?」
掛けられた優しい言葉に安堵し、緊張が解けた事で全身から一気に力が抜けた。