雑ものむしり
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
ふう、草むしりもこれでひと段落……と。
草たちも元気というか、抜け目がないというか、ちょっとでも放っておくと遠慮なく育ってくるよね。
コンクリートさえ持ち上げる根っこの力とか、どれだけ圧力をかけ続けていたんだろう。
人に比べれば、あまりに寿命が長すぎるものたち。僕たちの生涯の大半をかけてしまう仕事でも、彼らにとっては片手間なのかもな。
しかし、本当に片手間で済むことなら、人にあえて任せることもあるかもしれない。お手伝いさんみたいな感覚でさ。
僕の聞いた、ちょっとした昔話なんだけど、聞いてみない?
むかしむかし。あるところに家の仕事が、とてつもなく苦手な男の子がいた。
縄をなうにも、よじったわらが勝手にちぎれ、布を洗うのにも桶にみずからひびを入れ、水をしとどに流してしまう。食に関わる農作業などは、さらにひどい有様だったらしい。
何をしても、誰かの仕事をよけいに増やしてしまう。その彼がどうにかまともにこなせるのが草むしりだった。
ひたすらに腰をかがめて、抜き取る雑草たち。少し歩いてはまた取り除き、また歩いては取り除き。その延々とした作業を、彼は来る日も来る日も繰り返した。
仕事さえ関わらなければ、人当たりのいい普通の少年。それだけに将来が心配される。
草むしりだけで、食わせてもらえる家などどこにあるだろうか。しかし、物をわずかな距離だけ運ぶ際も、いつ壊すかとハラハラさせられぱなしの仕事ぶり。それは彼の図体が大きくなるまでの数年間、ちっとも改まろうとしなかった。
ただ草むしりだけはその早さを増していき、数人がかりで取り掛かるべき畑も、あっという間にひとりで草を抜ききってしまうことも多かったのだとか。
その彼が13だかになった、夏の際。
村を訪れた一人の入道が、彼を引き取りたいと申し出てきたらしい。
身の丈7尺近く。当時からすれば、皆が見上げるほどののっぽぶりで、殴られたかのように鼻の頭が歪んだ、坊主頭であったという。
いかに仕事ぶりに不安を抱くとはいえ、ここまで手塩にかけて育ててきた我が子。本人もなんだかんだで、家を離れる決心はつかなかったらしい。
すると入道は、ほんのひと月だけでいいから、自分について仕事をさせたいと、ひざを詰めて頼み込んできたんだ。相応の金子を用意したうえで。
それにはいよいよ家族も折れて、彼をひと月の間、入道の手伝いに出すことにした。
正直、不安の隠せない子供だったが、入道がいうにはこれまでと同じ、雑草とりをしてもらえればいいという。
その日の晩はぐっすり眠った二人は翌日。昼を迎えるかという、のんびりとした起床で東へ向かって歩き出したんだ。
村を出てより、入道はずっと子供の前に立って歩いている。
はじめは整った道を進んでいたその足も、やがては獣道、川の流れ、山の登り下り……多少のぶれこそあれど、東方を目指し続けているに違いはなかったという。
入道は、身に着ける長い包囲の懐から握り飯を出し、休みのたびに子供へ振る舞ってくれるのだが、どうもおかしい。
道中、一度も補給をせぬまま取り出す握り飯は、すでに数十個に及ぶ。もう何日も歩いているはずなのに、それらはまったくの傷みを見せなかったんだ。
この暑さの残る空気の中、懐にしまっているだけの握り飯がこうもよい状態を保つものだろうか?
子供の疑問はまだ続く。
彼はこの時より前に、村を出たことはなかったが、外から帰ってきた者の話は聞いたことがある。ここより東には3日も歩けば、海にたどり着く。長い浜辺に沿って歩く道は、もう半日ほどでようやく別の村へたどり着くのだ、と。
すでに入道と共に歩む道程は、5日を過ぎようとしている。周囲の景色はゆったりと変わり続けているが、自分はこれらが本当の景色なのか判断がつかなかった。
そう感じ始めた夜のこと。夜通し歩くのは、今日に限った話ではなかったが、今日はやけに長い。
休みを入れるまでの道のりばかりじゃない。夜そのものが長い。
新月の今晩は月の姿もないが、かといって星の姿も全く見えず。前行く入道の背をかろうじて視界へおさめるのがやっと。
それでいて足の疲れはいささかも感じず、彼の大股へくっついていけたのだとか。
いよいよ妙だと、子供が何万を刻むかという足を踏み出したとき。
目の前の、ずっと遠くの地平線からさあっと、光が差してきた。日の出かとも思ったが、その光の足はあまりに速い。
かなたの野から足元、そして自らの背後まで、駆けるように光が過ぎ去る。そうして明らかになった軌跡のあとには、足の長い草たちが肩を寄せ合って揺れていたんだ。
信じられなかった。先ほどまで足には、いささかの気配もなく、さびしい土の上を歩いていると思ったのに。
いまこの場で降ってわいたかのように、草たちは自分の土踏まずから膝あたりまでを、しきりになでてくるじゃないか。
そして、休みの時以外でずっと動かし続けていた入道の足も、ここでようやく止まり、子供を振り返る。
「ここが、坊やにむしってほしい草原さ」と。
その草むしりを、子供はずっと忘れられずにいたそうだ。
当初、あふれる光にさらされていた草たちは、それらを抜き終わると、抜いた後は光を失い、闇の中へ沈んでしまう。
入道も一緒に草をむしるも、同じことが起こり続けた。自分たちはあふれる光の原っぱを、どんどんと削り続けていたんだ。
手のひらに、ほのかな温かみを感じる。まるで草の一本一本が、人肌のようにぬくんで手を震わせてくる。
とった草はすぐ放すように言われ、その通りにすると、もう草は光を放つことはない。そしていささかも同じ場所にいないまま、草をたっぷりむしるよう子供は促され続けたのだとか。
すっかり野を狩り、光が止んでしまうころ。入道は腰をあげて、帰る旨を子供に告げてきた。
今度はひたすら西へ。来た道を逆回しに進む、5日ほどの旅だったと思ったが、懐かしの家へ着いたときには、ちょうどひと月が過ぎていたという。
入道が去ってからは、これまで強かった日差しがすっかり弱まり、秋の到来を告げるような涼しげなものへ変わっていったんだとさ。