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4話「なんだろうか」

 手さげカゴに花をいっぱいに詰めて、エディは祖父が眠る町はずれの共同墓地へとむかった。そこにはたくさんの石碑が並び、故人たちが静かに眠っている。エディは迷うことなく足を進めた。石畳のまわりには丈の短い植物が絨毯のように茂り、墓地全体が草の青々しい匂いがした。


「じいちゃん、久しぶり。店はちゃんと繁盛してるよ。安心してね」


 石碑にはエディの家名が彫られている。その下には「やすらかに眠れ」との一文も。持ってきた花を石碑のまわりに飾ると、エディは慣例にならい、鎮魂の歌を口ずさんだ。


 ──花は咲き乱れ、花弁は空へ空へと舞う

 ──あなたの幸せを祈りましょう

 ──風にのって、あなたのもとへ届くように

 ──花弁と共に、あなたのもとへ届くように


 エディの横を清涼な風が通りすぎる。白い花びらを舞い上げ、道先を示すようにその軌跡を描いていく。風は神の息吹と言われている。時に荒れ狂うこともあるが、柔らかな風はその地を清め、病気やケガを癒し、人との縁を運んでくれるという。


「……あれ?」


 花びらが舞うその先をなんとなく追っていたら、エディはある場所に目が吸い寄せられた。ここから少し離れたところで誰かが墓参りをしている。その人物は大きくて、厳つくて、四肢が丸太のように太くて──


「ミシェルちゃん」


 気付けば、彼女めがけて歩き出していた。石碑の前に座り込み、花束を抱えたままじっとしているミシェル。その様子がなんだかいつもと違うようで、エディの心は少しだけざわついた。


 ミシェルは泣いていた。オーガのような巨体を小さくして、静かに涙をながしていた。すぐ近くまで来たものの、その姿があまりにも普段とかけはなれていたので、エディはなんと声をかけていいか分からずに動きを止める。ふたりの間にやさしい風が吹き抜けていく。


 ミシェルはエディに気付いたのか、大きな拳で涙をぬぐうと立ち上がった。赤くはれた瞳がエディを捉え、その痛々しい表情に胸が苦しくなる。


「料理屋の店主か」

「うん。じいちゃんの墓参りにね。ミシェルちゃんは?」


 少しだけ笑みを浮かべてエディは答える。


「先日、乳母が亡くなってな。優しい人だった。……別れがこんなにつらいとは思わなんだ」

「そっか」


 それ以上はしゃべらず、ミシェルはまた静かに涙を流していた。なにを言っても無粋な気がして、エディは彼女の横に立つとぽんぽんと背中をなでたのだった。



 ◇



 帰り際、エディは食べてほしいものがあると言ってミシェルにひとつの包みを渡した。


「じいちゃんが好きだったパンなんだ。材料がどれも立派だから滅多に作らないんだけど、今日は特別だから」


 かさり、と包みを開くと、中から出てきたのは白いアイシングがかかったデニッシュロールだった。甘い匂いの中にほんのりシナモンの香りを感じる。上等な白い小麦粉、バター、砂糖をたっぷり使った贅沢な作りだった。エディからすれば、それらの材料はお金をだせば手に入るのでまだいい。大変なのは秘伝の酵母なのだ。店で作る平たいパンとは違う、特別なパン種。これがあるから美味しくて、これがあるから頻繁には作れない。


 ミシェルはそれにぱくりとかぶりついた。驚くほど柔らかく、しっかりとした甘さが体に沁みる。さほど大きくないとは言え、ひと口で半分なくなるのは非常に残念だった。


「あなたが作るものは、どれも本当においしい」

「えへへ、うれしいな」


 笑って別れ、互いに帰路につく。もう少しいっしょにいたかったなと思いつつ、エディはあの横顔を思い出す。大切な人を想って流す涙ってなんであんなにきれいなんだろう。誰かに教えてしまいたいような、自分だけの秘密にしたいような。そんなことを考えながら家路についた。


 途中でいくつかの知り合いの家に寄り、世間話をしつつ祖父の好きだった甘いパンを手渡す。「これ、うまいんだよな」とみんな喜んでくれて、エディはその度に嬉しい気持ちになった。だが、人々の笑顔を見るたびに、なぜかミシェルのことが頭によぎった。


 その翌日、開店前の店にミシェルがやってきたのには驚いた。肩には大きな麻袋を抱えているが、いったい何が入っているのだろう。


「先日からいろいろと世話になっているから、礼の品を持ってきた。受け取ってほしい」


 どさりとテーブルに置かれたのは大きな牛のもも肉だった。魔法処理をしてあるのか冷たくカチンコチンに固まっている。それに上質そうな砂糖や塩、見たことのない種類のチーズ。そしてこれまたカチンコチンに固まった謎の生物がいた。それを見てエディのテンションがさらに上がった。


「この大きいのなに!?」

「東の海で獲れるロブスターだ」


 赤黒くとげのついた甲殻、伸びた二本の触角、扇のような尾。ずっしりとした重みが可食部の大きさを物語っていた。それが三尾もある。


「これってとんでもない高級品なんじゃ……」

「店主ならうまく調理できるだろう。素材の味は保証する。ぜひ食べてくれ」


 未知の食材、それも料理人のレーダーがことさら反応する美味食材を前に、エディの理性は振り切れた。ミシェルの大きな手をがしりと掴み、瞳をきらっきらにさせて相手をロックオンする。


「ミシェルちゃん!!」

「……なんだろうか」

「今夜うちにご飯たべにこない!?」


 え、とミシェルが一歩引く。しかしがっちり掴まれた手は思いのほか力強く、簡単にはふりほどけない。彼は小柄だが、やはり料理人だけあって腕力は強いのかもしれない。


「いいや食べにこないかっていう消極的な誘いじゃだめだ! どうか食べに来てくださいどうかお願いします! 君のためにいっぱい料理を作りたいんだ! 帰りはちゃんと家まで送るから、なにとぞ!!」


 家まで送るって、そんなの生まれてこのかた聞いたことがない。困惑のピークでミシェルはなにがなんんだか分からなくなってきた。いかにオーガと言われようとも彼女は18歳の乙女である。人生経験はまだまだ浅く、こんな場合はなんて返事をしていいのかわからない。


「あと俺のことエディって呼んで!!」

「……わ、わかった」


 圧倒されたと言う他ない。しかし自分はなんに対してわかったと答えてしまったんだろう。今夜お邪魔することか、名前を呼ぶことか。あるいは両方か。珍しくシェルがうろたえ、それにも気づかずエディは満面の笑みを浮かべた。


「やったー!」


 両方なんだろうな、と思ってミシェルは諦めにも似たを気持ちになる。しかしそれは、まったく嫌な気分ではなかった。

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