1話「とても、おいしい」
ずしーん、ずしーん……
砂埃が舞い、大地を揺らす音が聞こえる。
ここは魔法が生きる世界。不思議が日常に溶け、空飛ぶドラゴンや歌う人魚がいる世界。しかしこれは魔法を使って悪を討つとか、傲慢な貴族を成敗とか、そんなお話じゃない。
これはちょっぴり食いしん坊な女の子と、料理を作るのが大好きな青年が紡ぐ、ハートフルでハッピーな物語である。
◇
場所はそこそこ栄えた街の料理屋。と言っても上等な店ではなく、労働階級の人間が小銭を持って食べに来るくらいの庶民的な店だ。
大鍋で煮た具沢山のスープがおわん一杯1ゼニー。麦の粉を平たく焼いたパンのようなものが、ひとつ2ゼニー。あとはこんがり焼いた肉がひと皿3ゼニーで売っていた。
ずしーん、ずしーん……
大地が揺れるほどというのは大げさだろうが、周囲の人間にはそう感じられた。みしりと床板がきしみ、店の扉が開いたと同時に入り口に巨大な人影が現れた。フードを深く被っているために人相はわかりづらいが、結ばれた口元はえらく勇ましい。大きい身体に太い四肢。それは体長180センチ越えのオーガだった。
「すまないが、ひとまずパンを三つとスープをもらえるか。あるなら肉も頼む」
否。
本作のヒロイン、ミシェル・バートレットである。花も恥じらう18歳の乙女はなかなかに声もしぶい。席に着きフードを取ると、そこにはタカのように鋭い眼差しがあった。
「はい、お待ちどうさま」
「ありがとう」
テーブルに並べられた料理に礼を言い、ミシェルは静かに食べはじめた。勢いはあるものの所作は美しい。なにを隠そう、ミシェルは貴族令嬢なのだ。屋敷で昼食をひと通り食べたがいささか足りずにこうやってお忍びで食べに来た次第である。持参したスプーンでまたたく間にスープを食べきると給仕の少年におかわりを頼む。
「お客さん、いつも食べっぷりがいいから嬉しいな」
そう言ってテーブルに置かれたのは大盛りにつがれたスープと、たっぷりの肉がのった皿だった。こんがりと焼けた肉の表面をナイフで切り落として皿に盛り、ほんのちょっと野菜を添えるのだが、ソースの旨さもあいまってこの店人気の品だ。
「……えと、あの、もしよかったらこれも食べてほしいな、なんて」
恥ずかしそうに少年が差し出したのは、皿にのった白くて丸いものだった。熱いのか、そのまんまるのフォルムからは湯気が出ており、ほのかに小麦の甘い匂いがする。
「これは?」
怪訝そうな声に少年の肩がぴくりと動いた。彼女の表情が険しいことに気付き、皿を持つ手がわずかに震える。この客は見た目こそオーガだが、所作は優雅で金払いもいい。きっとどこぞのお偉いさんなのだろう。そんな人にこんなもの、差し出してよかったのだろうか。少年は今さらながら後悔した。
「あ、や、やっぱ待って! これは、その……」
自分なりのサービスだった。でも気持ち悪がられたら意味がないと、少年は慌てて皿を下げる。しかしミシェルはそれをやんわりと遮り、その白いふわふわのものをつかんだ。手に伝わるのは熱さ。焼くというより蒸したもののようだ。表面は真っ白つやつやで、香りからして材料は小麦のパンのようにも思える。ミシェルはそれをおもむろに二つに割る。中から出てきたのは熱々の肉だった。ミシェルの口におもわず唾が湧く。
「細かく刻んだ肉とネギをこねて、小麦で作った皮でつつんだんだ。パオズって言って、『今日の一品』なんだけど……」
たまらずミシェルは口へと放りこんだ。熱い。だが想像以上のおいしさに夢中になった。もぐもぐと何度か咀嚼をすると満足そうにほほ笑む。
「とても、おいしい」
発酵させているのか、皮はふわふわ。表面はもちもち。中の肉はしっかりと味がついていて皮とよく合った。その様子にまわりの客が唾をのむ。「それって今日の一品?」「俺も食いてえ」との声に、エディは慌てて対応したのであった。
◇
「はあああ、今日もいい食いっぷりだったなあ」
テーブルを拭きながら、少年は大きな息をこぼした。大きな体の人がおいしそうな料理をもりもり食べる。彼はそれを見るのが昔から好きであった。名前も知らない客であるが、彼女の食べっぷりにはいつも見惚れてしまう。美しくも豪快に食べつくすその姿はまさに理想。そしてそれを夢心地で思い出すこの少年こそ、この店の主人であるエディである。
さんざん少年と言っておいて恐縮であるが、この御仁、小柄で童顔ながらもれっきとした成人男性だ。丸みをおびた輪郭、お肌はももちもちの髪はふわふわくるる。体毛もうすく、外見は子供にしか見えない。しかし中身はちゃんと24歳の大人なのだ。料理もできるし勘定もできる。小さな料理屋を切り盛りする、立派な青年なのである。
「ああ、また食べてもらいたいなー」
冒頭の繰り返しになるが、これはちょっぴり食いしん坊な貴族令嬢ミシェルと、料理屋主人エディの、ハートフルでハッピーな物語である。