96 エピローグ1
「ダメです」
診療所のお医者さんは有無を言わさぬ口調で私に言った。
彼の言葉に相応の妥当性があることは理解している。
職業人としての誇りを持って自らの職責を全うしようと尽くしてくれていることもわかっている。
しかし、私にも譲れない理由があるのだ。
なんとしてでも――どんな手を使っても叶えたい願いというのが人生にはあって。
手放してしまうともっと大切な何かも失ってしまいそうな感じがするから、
それでも私は手を伸ばすんだ。
意識を研ぎ澄ませる。
真っ直ぐにお医者さんを見つめて私は言った。
「そこをなんとか! なんとか、おかわりをお願いします!」
「ダメです」
「…………」
人生は時に残酷な一面を覗かせる。
階層守護者との激戦の後、入院することになった迷宮都市の診療所。
絶望的に少なすぎる病院食。
希望を打ち砕かれた私は深く絶望し、しかしくじけそうな気持ちを再び奮い立たせる。
ここで折れたら、何も変えられない。
世界を変えるのに必要なのはきっと、絶対にあきらめない覚悟と意志だから。
何度でも挑戦する。
何かが変わり始めるその日まで。
「では、お菓子か食後のデザート的なものをお願いしたいです!」
「ダメです」
「…………」
くっ、なんという強敵……。
世界一優秀な頭脳を持つ私の『おかわりがダメなら、お菓子を頼めばいいじゃない』作戦が通じないなんて。
「いいでしょう。今回は引き下がります。しかし、私はあきらめませんよ。夕ご飯の際にはなんとしてでもおかわりとデザートを提供してもらえるよう千の罠と万の策をもって先生に挑みます。覚悟しておいてください」
「お大事に」
事務的な口調で言って退室する先生。
まったく感情の色が見えないその立ち振る舞いに、やはり強敵だとうれしくなる。
負けず嫌いな私にとって、壁は高ければ高いほど挑み甲斐があるというもの。
私は負けませんよ、先生!
心の中で新たな宿敵への思いを新たにしていると、
「こんにちは。ここの居心地はどうですか?」
入れ替わるように入ってきたのは攻略組の冒険者さんたちだった。
「とても良いです。皆さんすごく良くしてくださってほんとありがたくて」
迷宮都市で最も設備の良い攻略組御用達の診療所。
攻略組の人たちが配慮してくれたらしく、入院生活は快適そのもの。
まるで貴族みたいに大切に扱ってもらえている。
後はほんと、おかわりさえできれば何も言うことない感じなんだけどな。
先生を攻略する方法を早く考え出さなければ。
「良かった。お二人は命の恩人ですからね。実現可能な一番良い治療を受けさせるようにと隊長に言われてますので」
うなずいて言う攻略組の冒険者さん。
「国別対抗戦も近いですからね。影響が出ないようにしないといけませんし」
「国別対抗戦? あ、そっか。今年ですよね」
言われて思いだした。
四年に一度開催される、西方大陸の国々が競い合う世界的な魔法大会。
前のときは学院寮で友達や先生と盛り上がりながら応援してたっけ。
「ノエルさんも代表候補ですよね? 内定を勝ち取るための実績作りとしてヴァイスローザに来たんだと思うんですけど」
「へ?」
思いもよらぬ言葉にびっくりする。
代表候補……。
もしかして、今の私ってそんなすごい人みたいに見えてるのかな?
「いやいや、そんなそんな。やめてくださいって」
頬がゆるんでしまった。
私が犬だったらきっと、尻尾をぶんぶん振りまくっているに違いない。
「私まだ白銀級ですし。代表選手は聖銀級以上じゃないと選ばれませんから」
「ノエルさんで届かないんですか?」
驚いた様子で言う冒険者さん。
「たしかに、国を挙げて教育と研究が行われている魔法の世界は化物のような天才揃いとは聞きますけど」
「なかなか大変なんですよ。私なんて最初、地方の魔道具師ギルドでも全然通用しなくて」
ボロボロの状態だった社会人一年目のことを話すと、
「なんですかその地獄……」
冒険者さんは完全に引いていた。
「ノエルさんも苦労されたんですね……」
「え? いや、田舎では結構普通なんじゃないかなと思ってるんですけど」
「絶対普通じゃないです」
力強く言う冒険者さん。
「でも、おかげで今のノエルさんになれたのなら、そのことだけには感謝しないといけないかもしれませんね」
それから、私に向き直って真剣な顔で言った。
「困ったことがあったらいつでも言ってください。我々攻略組の冒険者はお二人に救われたことを決して忘れませんから」
「ありがとうございます」
あたたかい言葉にうれしくなる。
ふと思いだして私は言った。
「あ、そうだ。ひとつ困ってることがあるんですけど」
「なんでしょう?」
「病院食のおかわりと、お菓子とデザートが食べたいんですけど許してもらえなくて」
私の言葉に、冒険者さんは気の毒そうに微笑んでから言った。
「ダメです」