95 高鳴り
激戦の中、不思議なくらいに私は冷静だった。
周囲のすべてがよく見えている。
怪物の足下に転がる廃城の残骸の形まではっきりと。
それはおそらく、極限まで研ぎ澄まされた集中状態。
もはや考える必要さえない。
身体が自然と反応している。
まるで自分以外の何かに導かれているような感覚。
加えて、私の背中を押していたのは王宮魔術師として戦ってきた経験だった。
聖宝級魔術師ガウェインさんとの手合わせ。
緋薔薇の舞踏会で戦った特級遺物持ちの暗殺者。
薄霧の森でのゴブリンキング変異種。
竜の山のドラゴンさん。
歌劇場で囲まれた犯罪組織の人たち。
そして、御前試合。
王国最強の騎士――剣聖さんとの戦い。
みんな、私にとっては格上の相手ばかりで。
だけどその経験が私に力をくれる。
何より、頼りになるのが一緒に戦ってくれる親友の存在。
『最悪。なんであんたなんかと』
『こっちの台詞だ、平民女』
最初はお互い『あんなやつ大嫌い!』って感じだったのに。
今は、手に取るように互いの意図がわかっている。
胸が弾んで仕方なかった。
――なにこれ、すごい。
一人の時よりずっと高く飛べる。
広がるのは見たことがない景色。
絶望的な強さを持つ怪物にだって、負けてないんじゃないかとさえ思えるくらい。
――もっと先に行こう、ルーク。
放つ魔法にそんな思いを込める。
――いいよ。君が行きたいなら。
にやりと口角を上げて地面を蹴る。
今までのそれよりさらに鋭く不意を突いた踏み込み。
怪物がかすかにたじろぐのが気配でわかる。
そこにあるのは怯え。
目の前の弱者が見せる予想外の力への動揺。
臆している。
こんなに強い怪物が、私たちの攻撃に焦っている。
なんだか楽しくて仕方なかった。
負けてない。
私たちの魔法は、最高難度迷宮の階層守護者にだって届いてる。
『なれるよ。君も絶対なれる』
思いだされたのは学生時代のこと。
王宮魔術師なんてすごすぎて、夢にすることさえおこがましいくらいに思っていた私に、ルークは何度もそう言ってくれた。
『……そこまで言うなら私も目指してみようかな』
無理かもしれないと思いながら、でもなれたらいいなと願っていた淡い夢。
『二人で一緒にお仕事とかできたらいいよね。話題の二人組って感じで大活躍みたいな!』
あの日の夢を現実にするために。
初動の癖からモーションを先読みして攻撃をかわす。
かすっただけで即致命傷の一閃。
敵ははるかに格上。
だからこそ高鳴りが収まらない。
多分、これは千載一遇の好機だ。
勝機があるとすれば、敵が私たちの攻撃に慣れるまでのわずかな時間だけ。
魔力の限界も近づいている。
チャンスがあるとすれば、今この瞬間――
後のことなんて考えない。
最大出力で放つ渾身の風魔法の連続攻撃。
すかさずルークが私に補助魔法をかける。
《魔力増幅》、《魔力強化》、《固有時間加速》。
引き延ばされた刹那の中、私の動きを先読みして置いてくれる支援魔法陣。
思考の必要はない。
導かれるように魔法陣をくぐって敵との間合いを詰める。
細かいことはルークが考えてくれる。
私がすべきなのは、目の前の敵にできる全力の魔法をたたき込むことだけ。
二人で何重にも重ねた補助魔法。
協力して作り上げる実現可能な最大火力の一撃。
《烈風砲》
迷宮が振動する。
軋む聖銀の外壁。
宝剣の腹で耐える不死王。
ここまでしても私の魔法だけで届く相手ではなくて。
だから、私はあいつの名前を呼ぶ。
「ルーク!」
瞬間、怪物の死角からすさまじい電撃の奔流が殺到する。
二人で息を合わせ、互いの全力を重ね合わせる。
超えてやるんだ。
――最高難度迷宮の階層守護者を二人で超える。
眩い光が視界を焼く。
瞬間、不死王の大剣を押し込んで、二人の魔力波が辺りを飲み込んだ。
それから、何が起きたのか。
正直なところ私は正確に記憶していない。
気づいたとき、私はすべての魔力を使い切って倒れていて。
霞む視界の先には、不死王が私を見下ろして立っていた。
倒しきれなかった、か。
残念ではあるけれど、悔いはなかった。
自分にできるすべてを出し尽くしたのだ。
それで届かなかったのなら、仕方ない。
しかし、勝敗を決定づける最後の一撃は放たれなかった。
不死王はただ私を見下ろしているだけだった。
――最期に、こんなにも胸弾む戦いができるとはな。
声が降ってくる。
――礼を言う。若き魔法使いたちよ。
巨体が霧散し、光に変わっていく。
きっと、不死王はこの戦いに満足したのだ。
異常なまでの力を持つあまりにも強い怪物。
多分、大迷宮が私たちに課していたのは、単純に敵を打ち倒すことではなくて、死者の王を戦いで満足させることだったのだろう。
「勝った……のか?」
静かになった廃城の中。
どこか遠くからそんな声が聞こえる。
「生き残った! 俺たち、生き残ったんだ!」
がんばってよかった。
湧き上がる歓声に頬をゆるめる。
不思議な感触が身体の中に残っていた。
もっともっと魔法がうまくなれるような。
そんな感覚と高鳴り。
はるかに格上の相手に対して、自分でも想像してなかったくらいうまく魔法を使うことができたんだ。
ねえ、ルーク。
私たちまだまだいけるよ、きっと。
そんな期待に胸を弾ませていたら、
「よかった。安心した」
不意に聞こえたのはあいつの声。
ボロボロの身体を引きずって近寄ってきてるからびっくりする。
力が抜けて崩れ落ちたルークをあわてて抱き留めた。
「そんな状態でどうして」
「ノエルのことを守らないとって」
渡してくる回復薬は最後の一つ。
自分の方がひどい状態なのに、私に飲ませようと持ってきたらしい。
「あんたの方が先だってば」
魔法薬を受け取ってルークに飲ませた。
抵抗する体力も残ってないのだろう。
無茶しちゃって。
こんな状態でも私のことを心配してくれるなんて。
拾ってくれて、素敵な居場所をくれた親友。
ほんと、いつもすごく大切にしてくれて。
どうしてそこまでしてくれるんだろう?
そんなことを考えていたら、
(――――――あれ?)
戸惑う。
なんだ、これ。
変だ。
心臓の鳴り方がいつもと違う感じ。
なんとなくルークに悟られたくなくて。
知られたら絶対にいけないような気がして。
気にしてないふりでいつもの自分を取り繕う。
いったい何なんだろう、この気持ち。
初めて経験する不思議な感覚に、どうしていいかわからず戸惑っていた。