92 階層守護者
目の前にそびえ立つ八十層階層守護者――骸蝕王。
おそらく、あの宝剣は最後の切り札だったのだろう。
生者を超越したその強さが、さらにもう一段階上昇している。
冒険者さんたちが心を折られるのも理解できた。
敵ははるかに格上。
まともに戦えば一瞬で戦闘不能にされてしまう怪物。
それでも、あきらめるなんて選択肢はない。
絶望的な状況には慣れている。
前の職場ではどう考えても無理なことだって、できるまでずっとずっとやっていたから。
今までの戦闘で行動パターンは頭に入っている。
戦闘能力が向上しているとはいえ、基本的な特徴そのものは変わらないはず。
弱点を徹底的に突き、長所を封じ込めて完封する。
時間を加速させ、放つのは全力の風魔法。
相手のモーションと動きの癖から、一番防ぎにくく力が出しづらい部分を狙って攻撃を集中する。
しかし、私にできる最善手も圧倒的な力を持つ怪物には通用しない。
宝剣の一閃。
一瞬で私の身体はフィールドの壁を三つ貫通して外壁に着弾している。
見えなかった。
反応することさえできなかった。
違う。
何もかもが違う。
そんな……。
ここまで何もできないなんて……。
痛感した。
分析も作戦もまるで通用しない絶望的な戦力差。
対抗する手段なんて、私は何一つ持ってなくて――
それでも、私は立ち上がる。
目の前の敵に向け地面を蹴り、渾身の風魔法を放つ。
多分敵にとって、まるで脅威にはなってなくて。
羽虫の体当たりくらいのものなのかもしれないけど、それでいい。
繰り返す。
何度でも繰り返す。
積み重ねる失敗の山。
振り抜かれる宝剣の一閃。
受け身も取れずに外壁に叩きつけられる。
口の中の粉塵を吐いてから、私は口角を上げた。
――見えてきた。
進んでる。
何よりその実感が私に勇気をくれる。
地面を蹴る。
放つ魔法は今までのそれよりも少しだけ強く怪物の右肩で炸裂した。
◇ ◇ ◇
ふるえる焦点の合わない瞳。
攻略組のSランク冒険者であるブルース・イグレシアスは目の前の怪物を呆然と見上げることしかできなかった。
ありえない。
あっていいわけがない。
人類史上最大で最強の冒険者チームがたった一撃で壊滅するなんて。
すべて順調に進んでいたはずだ。
先行調査によって行動パターンと弱点を分析し、最も危険な第三形態までほとんど被害を出さずに攻略を進めていた。
ミスはなかったし、不手際もなかった。
だからこそ、耐えられない。
信じられない。
こんなでたらめな強さ、存在していいはずが――
もし勝機があるとすれば、隊長だけだろう。
攻略組最強の隊長――ジェイク・ベルレストならあの怪物に対してもある程度戦うことはできるはずだ。
しかし、その隊長は先の一閃から自分たちをかばって、戦闘不能状態になっている。
ゆえに終わり。
崩落した廃城の入り口をブルースは見つめる。
もはや撤退することも叶わない。
どうして……どうしてこんなことに……。
一面に横たわる仲間たち。
状況を受け入れられないブルースの視界の端に、怪物に挑む仲間の姿が映った。
子供のように小柄な女性魔法使い。
かなりの凄腕のようだが、それでも怪物との戦力差は絶望的だった。
何一つできず、弾き飛ばされて。
それでも、再び立ち上がり怪物へと向かう。
あまりにも無謀なその姿に、普段なら何を思っていただろう。
今は何も思わない。
あらゆる感覚が麻痺してしまっている。
深い絶望の中、焦点の合わない瞳で虚空を見つめるブルース。
しかし、魔法使いはあきらめない。
何度も何度も怪物へと挑む。
感情のない瞳で見つめていたブルースは不意に気づく。
彼女の動きが少しずつ変化していることに。
(――――え?)
なんだあの動き。
あんな動き、今までなかったはず。
変化は続く。
その一つ一つが目の前の敵に対し最適化されていることに気づいて、ブルースは絶句した。
はるかに格上の相手に対し、戦闘の中で自身を作り替えて対応する。
おおよそ人間業とは思えない常軌を逸した環境適応能力。
ありえない。
あの怪物に対してそんなことできるわけがない。
しかし、彼女の動きはさらに最適化されていく。
振り抜かれる宝剣の一閃。
人間が対処できるとは到底思えない神速の一撃。
それを、彼女は紙一重でかわしていた。
「………………へ?」
目の前の光景を受け入れられず瞳を揺らす。
ありえない。
ありえるわけがない。
しかし、たしかに現実としてそこにある信じられない光景。
規格外の怪物に対し、臆さず食らいつく小さな背中。
ブルースは息を呑み、ただ見つめることしかできなかった。