91 攻略
準備を整えた私たちは、八十層の攻略に向け出発することになった。
七十五層の探索基地を出発し、下層へ降りていく。
最高難度迷宮の深層は、本格的な迷宮探索の経験がない私にとってはとても信じられない常軌を逸した領域。
かかれば最後、探索続行不可能な悪辣な罠が至る所に仕掛けられている。
出現する魔物も外なら災害指定の怪物揃い。
対して、攻略組冒険者さんたちはさらにその上をいった。
的確な判断と対処で障害をあっという間に無力化していく。
そこにあるのは圧倒的な経験と反復。
彼らは毎日この地に潜り、探し出したこの経路における最善手を知り尽くしている。
どこが安全でどこが危険か。
最優先で処理すべき障害と、後に回しても処理できる障害の的確かつ迅速な判断。
さすが、史上最強と噂される冒険者チーム。
「すごいな」とただただ感心しつつ後ろをついていく。
簡単な補助魔法と回復魔法をかけるくらいで、ほとんど何もせずに八十層への降下口に着いてしまった。
「ここで休息を行う。各自、出発に向け準備を整えるように」
七十九層の最深部。
開けたフィールドには激しい戦いの跡が残っていた。
二十年もの間、幾多の冒険者たちを退け続けた七十九層の階層守護者。
外壁には、えぐりとられたような大穴が空いていた。
あの強固な壁にあんな穴を空けるなんて。
いったいどんな怪物がいたんだろう。
そんなことを考えつつ、配られたナッツを食べて栄養を補給する。
ナッツ類から得られるエネルギーは、穀物から得られるそれに比べて持続力があるのだとか。
食べた後、眠たくなることもなく集中力維持にもつながることから冒険者の間ではよく食べられているらしい。
薄味だけどこれはこれでおいしいなぁ、と食べていた私はひとつの事実に気づいて愕然とする。
「……これだけ?」
冒険者さんには普通の量らしいのだけど、いつも人より少し多めに食べている私にとって、配られたナッツの量はあまりにも少なすぎた。
三度の食事を何よりも楽しみに毎日を生きてるのに、ひどいよ……こんなのってないよ……。
絶望する私に、ルークはやれやれ、と鞄から何かを取り出す。
「これ、予備の食事だけど食べる?」
「神様ですかっ!」
反射的に目を輝かせた私は、しかし受け取ったパンを前に動けなくなる。
「どうかした?」
「いや、ルークが持ってきた予備を食べるのは申し訳ないというか。人のごはんを食べるほどひどいことってこの世にないと思うし」
「僕にとってはそこまでひどいことじゃないから大丈夫。そもそも、君がこうなるんじゃないかと思って持ってきただけだし」
「私、これからは一日に三回ルークの方を見てお祈りを捧げることにするよ」
「しないで」
冷たい目で言うルーク神を横目に、香ばしいパンを頬張る。
思えば、いつもルークに助けられている私だ。
王宮魔術師に誘ってもらえたのも、犯罪組織のアジトでも、剣聖さんと戦ったときも。
必ず駆けつけてきてくれて、力を貸してくれて。
本当に大切にしてくれるやさしい友達。
私は平民でルークは貴族なのにな。
それも名家の貴族だから、家のこととかいろいろとあるはずで。
平民の私と仲良くしてることをよく思ってない人もいるはずなのに。
多分ずっとは続かない私たちの関係。
いつか、私たちは別々の道に進んでいくことになる。
友達なのは変わらないと思うけど、今みたいに近い距離ではきっといられなくて。
だからこそ隣でいられる今のこの時間を大切にしたいな、と思った。
よし、パンをくれたルークのためにも良いところ見せちゃいますよ。
そう張り切って臨んだ八十層だったけど、今日の私はどうやら調子が出ない日らしい。
「な、何もできなかった……」
八十層最深部へと続く扉の前で白目を剥いて立ち尽くす。
攻略組の冒険者さんたちがあまりにも優秀すぎるのだ。
既に何度も探索しているらしく、手慣れた様子で罠や魔物に対処していくから、本当に何もする必要ないというか。
「そんな日もあるよ。大丈夫」
励ましてくれるルークにうなずく。
冒険者さんたちの士気は高く雰囲気もすごくいい。
私が何もしなくてもこれだけうまくいっているのだから、状況として良い状態であるのは間違いなくて。
悪い兆候なんて何一つない。
すべてが出来すぎなくらいにうまく進んでいる最深部への探索。
なのに、なんでだろう?
気を抜いてはいけない何かがその先に待っているような気がしていた。
西方大陸における最高難度迷宮の一つ――ヴァイスローザ大迷宮。
八十層最深部。
不死王の玉座。
廃城のようなフィールドの奥に立つのは山のような体躯を持つ八十層階層守護者――骸蝕王。
おそらく、観測史上最高レベルのアンデッドだろうというのが攻略組が行った先行調査における結論だった。
召喚する死者の軍勢は雪崩のようにすべてを蹂躙し、放つ魔法は一瞬で聖銀の鎧を蒸発させる。
地上に出れば、最低でも脅威度12以上の災害指定。
西方大陸最強の生物種である飛竜種さえ超える圧倒的な強さ。
しかし、生者を超越した怪物に対しても、攻略組の冒険者たちは有用な手段を持っていた。
綿密な調査と行動パターンの分析。
攻撃の一つ一つに対し、最善の対処法と陣形を研究。
当初は絶望的にさえ思えた怪物も、情報が出そろった今では十分攻略可能な相手になっている。
武器を用いない第一形態の間に、補助魔法と陣形の整備を行い、最も力が出しやすい状況を整える。
死者の軍勢を召喚する第二形態は、廃城の地形を利用して数的不利にならないことを意識しつつ迎撃。
第三形態。黄金の魔法杖と人智を超えた魔力量による極大魔法は、当たれば即壊滅の常軌を逸した破壊力。
しかし、それもタイミングさえわかっていれば魔法障壁と迷宮遺物で対処することができる。
当初の予定通り順調に戦闘は進んでいた。
不死王の体力量は残りわずか。
あと数分もすれば、攻略は完了し人類史に新たな歴史が刻まれる。
悪い兆候なんてほんと、何一つなくて。
なのに、私はなぜか頭の隅に嫌な何かを感じている。
野山を駆けまわっていた頃に磨いた野生の勘というかなんというか。
あまりにもうまくいきすぎている感じがするんだ。
まるで、意地悪な迷宮の主に誘い込まれているような――
「気を抜くな。全員、最大限の警戒で当たれ。何かある」
言ったのは最前線で戦闘を指揮していた攻略組の隊長だった。
多分何か引っかかることがあったのだろう。
ヴァイスローザ大迷宮において最強と称される隊長の言葉に、そこにいた全員が警戒態勢を取る。
だから不意を突かれたわけじゃない。
むしろタイミングとしては幸運な部類だった。
不死王が宝剣を抜く。
迸る黒い光の線。
空間さえ歪める人智を超越した魔力量。
第四形態――
後に《八十層の地獄》と語り継がれる最初の全体攻撃。
破壊の光がすべてを飲み込む。
咄嗟に魔法障壁を展開するけれど、耐えられない。
「ノエル――」
意識が途切れる瞬間、すぐそばであいつの声が聞こえた気がした。
どれくらいの間意識を失っていただろう。
決して長い時間ではなかったはずだ。
数秒か、長くても数十秒くらい。
目を開けて、広がっていたのは絶望そのもののような光景だった。
一面に横たわる冒険者さんたち。
戦闘不能を免れた人たちも感情のない瞳をふるわせながら、虚空を見上げることしかできずにいる。
まるで、自分たちの物語が既に終わっていることに気づいてしまったみたいに。
体を起こそうとした私は、しなだれかかる重たい何かの存在に気づく。
力ない人形のようなそれは――大切な私の親友だった。
「……っ! ルーク! ルークしっかり」
呼びかけるが意識は戻らない。
戦闘続行は不可能なダメージ。
どうして……?
そんな言葉が頭の中をぐるぐる回っている。
たしかにすさまじい攻撃だったけど、ルークなら耐えられないものではなかったはずだ。
自分の身を守ることに集中して魔法障壁を張れば、こんなことには――
そこまで考えて、私はようやく気づく。
私が自分のために魔法障壁を張ったそのときに、親友が何をしていたのかを。
自分のことは守らずに、私を庇って魔法障壁を展開したんだ。
「なんで……なんでそんな……」
声がふるえる。
許せないのは、守られることしかできなかった自分。
大事なときはいつも守られてばかり。
恩返ししたいなんて思ってるだけで、気づいたらまた助けられている。
悔しくて、
許せなくて、
耐えられなくて。
私はそっとルークの体を横たえる。
「ありがと」
心を燃やすのは静かな怒り。
対等なライバルなんだろ。
だったら、今度は私がルークを守る番。
敵がどれだけ強くたって関係ない。
無理でもできる方法を探せ。
届かないなら届く私になれ。
ここで終わりになんて絶対にさせない。
決意を胸に、私は怪物と対峙する。