86 お手伝い
馬車でアーデンフェルド国境を越え、未開拓地を北西へと進む。
ヴァイスローザ大迷宮までの道のりは長かったけど、自由に使える時間が多くあったという意味では私にとって好ましいことでもあった。
時間が無くて後回しにしていた魔導書を読めたからだ。
楽しく読書を続けつつ時間を過ごす。
到着した迷宮都市ヴァイスローザは、外周を巨大な城壁が覆う城廓都市だった。
未開拓地に生息する魔物から街を守ってきた石造りの壁には、長い年月が作り出す独特の風格がある。
迷宮攻略に挑む冒険者たちと、彼らが落とすお金で生活する住人たち。
ある程度大きな迷宮には付き物の迷宮都市だけど、ヴァイスローザのそれは通常のそれとはまったく違っていた。
栄えているし人通りもすごく多い。
さすが、西方大陸における七大未踏迷宮の一つに数えられているだけのことはある。
人類史において初めて最高難度迷宮の八十層が攻略されているということで、普段の三倍近い冒険者が集まっていると宿屋のおじいさんが教えてくれた。
「今空いているのは二人用の部屋が一つだけじゃが、それでいいかい?」
ルークには別々の部屋を取るようかなり念を押して言われてたけど、空いてないのなら仕方ない。
手続きを済ませてから、渡されたメモを手に街で買い出しをする。
速やかに迷宮を攻略する体勢を整えるため、手分けして準備することになったのだ。
私の担当は宿の手配と買い出し。
しかし、この買い出しが想像以上に難航した。
普段の三倍近い冒険者が押しかけたことで街の魔道具店はとんでもない賑わい。
どのお店も気が遠くなるくらい長い行列ができている。
どこかに空いている穴場のお店があるはずだ、と探索を続けていた私だけど、七つめのお店を回ったところで心が折れた。
仕方ない。並ぼう。
列の最後尾を探しながらふと気づく。
このお店、小さいのに一段と列が長いような。
「早くしろ! 攻略組からのご依頼だぞ! 何時間並んでると思ってるんだ!」
「すみません! あと少し! あと少しだけお待ちください!」
涙目で頭を下げるのは、小柄な女の子。
どうやら、新人さんらしい。
仕事が回らなくて、かなり困っている様子。
「旧式、二世代前の魔術機構……!? こんなのわかるわけないよ……」
他の人は何をしているのだろう。
こんな異常な忙しさのお店をこの子一人に任せるのは明らかに無理があると思うんだけど。
泣きそうなその子の手元を覗き込んで私は言った。
「動力部の機構がへたってるんだと思う。フローベル式魔術機構の術式構造は知ってる?」
「すみません、それもまだ……」
「新人さんには難しいもんね。貸して」
摩耗した動力部機構の一部を削って、新しい術式を刻んで補填する。
「え……?」
驚いた様子で吐息を漏らすその顔がうれしい。
前職でいろいろ鍛えられたからね。
仕事の速さにはそれなりに自信がある。
「他の人はいないの?」
「店長も先輩も体調を崩してて……」
それで一人でお店を任されちゃったわけか。
小さな魔道具店ならよくある話だけど、タイミングがあまりにも悪かった。
この繁忙期のお店にこの子一人というのは、どう考えても無理がある。
「列に並んで待つのも暇だし、手伝おうか?」
私の言葉に、新人ちゃんは瞳を揺らした。
「い、いいんですか?」
「うん。困ったときはお互い様ってね」
「ありがとうございます! 店長に相談してきます!」
店の奥へ駆けていく新人ちゃん。
店主さんも状況は把握してるだろうから、おそらく許可は下りるだろう。
魔道具店でのお手伝いは、迷宮都市の情報収集にも繋がるはず。
よし、いっちょやりますか。
やる気十分で袖をまくる私だった。
◇ ◇ ◇
新人魔道具師、ミア・リンクスにとってそれは悪夢のような一日だった。
人類史において初めてとなる最高難度迷宮八十層への到達。
新たに発見された領域を攻略、調査しようとたくさんの人が集まり、迷宮都市は普段の三倍近い人であふれかえっている。
『咳と熱がひどくてな。なんとか行こうとは思ってるんだが』
先輩魔道具師が体調を崩したのはそんなときだった。
新人の自分にはわからないことばかりで、忙しそうな先輩に助けてもらっては、自分のふがいなさに心を痛めていたこれまでの日々。
ミアはせめてもの恩返しを、と思い言った。
『無理しないでください。大丈夫です。私、がんばります』
先輩がお休みなのはかなりの痛手だけど、無理をすると病状が悪化することにも繋がりかねない。
結果的にもっと事態が深刻化するかもしれないわけで、一日先輩の分の仕事も引き受けるという判断は間違ってなかったように思う。
想定外だったのは、店長に報告したときのこと。
『先輩、熱が出てて今日来られないみたいで』
そう伝えたミアに、店長は言った。
『すまん、俺も熱が……』
『え……』
『一日で治して、明日は絶対になんとかする。だからミア、今日だけ。今日だけ耐えてくれ』
『えええええ……!?』
結果、記録的な繁忙期の現場を一人で回さなければならなくなったミアである。
持ち込まれる仕事はミアのスキルでは簡単に処理できないものばかり。
一生懸命作業するけれど、店先の列はどんどん長くなる。
お昼休みなんて取れるわけがない。
ごはんを食べずに作業を続けて、それでも状況は悪化する一方。
「早くしろ! 攻略組からのご依頼だぞ! 何時間並んでると思ってるんだ!」
「すみません! あと少し! あと少しだけお待ちください!」
何度も頭を下げながら、ミアは泣きそうだった。
待たせてしまっているのが申し訳なくて、
だけど自分の力ではどうすることもできなくて。
いっそ、倒れたら楽になれるのかな。
そんなことを考えていたそのときだった。
「動力部の機構がへたってるんだと思う。フローベル式魔術機構の術式構造は知ってる?」
言ったのは一見子供のような小柄な外見のお客さんだった。
「すみません、それもまだ……」
「新人さんには難しいもんね。貸して」
魔術機構を修繕する、その手際の鮮やかさにミアは言葉を失った。
あの複雑な術式をこんなに簡単そうに。
この系統の機構は魔法使いが専門とする別分野の知識も必要で、熟練の職人さんでも簡単にはできないはずなのに。
呆然と見つめるミアに、にっこり笑ってその人は言った。
「列に並んで待つのも暇だし、手伝おうか?」
それからの仕事ぶりは、尋常な魔道具師のそれとはまったく違っていた。
固有時間を加速させる魔法。
山のような仕事をあっという間に片付けていく。
この人、いったい何者……?
ひとつだけわかることがある。
私は今、多分すごい人と一緒にお仕事をしている。