85 クリティカルヒット
「極秘の仕事だ。ヴァイスローザ大迷宮の未踏領域を調査する」
ルークの言葉に、私は絶句することになった。
ヴァイスローザ大迷宮と言えば、知らない人はいない最高難度迷宮の一つ。
その未踏区域――千年以上もの間誰もたどり着けなかった八十層なんて、世界中の人たちが注目するそれはもうすごいところのはずなのに。
その上、私の胸を高鳴らせていたのはそこにある一つの可能性だった。
「……一生遊んで暮らせるような値段の遺物とか拾っちゃう可能性もあるよね」
「うん。あるかもしれない」
「大金持ち……毎日三食ステーキを食べて唐揚げとハンバーグもつけられちゃうかも……!」
「それがつけられて喜ぶのは君だけだと思う」
「やるよ、ルーク! 目指せ一攫千金!」
ロマンあふれるわくわくが止まらない大冒険!
こんなの、張り切らないわけにはいきませんとも!
早速家に帰って荷物の準備をする。
仕事で遠征することになったと伝えると、お母さんは瞳を揺らして言った。
「え? あの方と二人で行くの?」
「そうだけど」
「すごいわ……これが恋愛上級者、愛されガールの力……!」
お母さんは感心した様子で言った。
「下着は一番良いのを着ていくのよ。いつもみたいに適当じゃなくて、ちゃんと上下揃えるの。って恋愛上級者だからわかってるとは思うけど」
だからそういうんじゃないんだって。
やれやれ、と肩をすくめつつ、動きやすい服を鞄に詰める。
問題は、迷宮を調査する上で着ていく服だった。
王宮魔術師団の制服は人目を惹くし、冒険者さんたちの中では浮いてしまう。
郷に入っては郷に従えということで、迷宮に潜る場合冒険者用の服を着るのがひとつの常識になっているのだけど。
……これ、ちょっと大人向けすぎたんだよね。
買ってから一度も着ていない冒険者向けの服。
ニーナとダンジョンに行くときのために買ったのだけど、お給料が出た直後で舞い上がっていた私は、自分を完全に見失っていた。
――わっ、レティシアさんとかすごく似合いそうな大人女子向け冒険者服!
憧れの大人女子に近づける、と試着もせずに購入した私は、家に帰って鏡の前で頭を抱えることになった。
背伸びしてる感が出てるような……。
着ていくのめっちゃ恥ずかしいぞ、これ。
でも、学生時代に使ってたのを着るのもそれはそれで恥ずかしい。
何より、折角買ったお高い服を眠らせておくのは、勿体なさすぎる。
恥ずかしいのはきっと最初だけ。
勇気を出して着ていると、馴染んでくるしみんな見慣れてくるものなのだ。
翌朝、強い決意の元、大人女子向け冒険者服を着て待ち合わせ場所に向かった私は、瞳を揺らしたルークに一瞬で心が折れた。
「言わないで! わかってる! わかってるから言わないで! そっとしてて!」
うう……めちゃくちゃ恥ずかしいぞ、これ。
長い付き合いのルークだからこそ、更につらいものがある。
絶対背伸びしたって思われた。
殺せ! ひと思いに私を殺してくれ!
逃げだしたい自分を押さえ込み、なんとか馬車に乗り込んだ私だった。
◇ ◇ ◇
手配した馬車でヴァイスローザ特別区へ向け出発する。
揺れる馬車の中で、ルーク・ヴァルトシュタインはこめかみをおさえて息を吐いた。
続かない会話。
その原因が自分にあることを彼は自覚している。
彼女の隣にいるために決めたヴァイスローザ大迷宮の調査。
そこに付随する事柄に彼が気づいたのは馬車を手配しているときのことだった。
(……これ、ノエルと二人きりで旅をすることになるのでは)
目の前の障害に必死で立ち向かうあまり、完全に見落としていた可能性。
気づいたときにはもう、事態は引き返せないところまで進行していた。
(どうりであの人、あんな顔を……)
話し合いの後、愉しげに笑みを浮かべていたガウェインの顔を思いだす。
(仕事にかこつけて二人きりの時間を作るとか……)
無自覚のうちにしてしまった自分の行動に頭を抱えてから、今回の旅における自身の方針を決める。
ひとつ。あくまで仕事なので、同僚として適切な距離を保つ。
ふたつ。信頼してくれる彼女を裏切らないよう、友人として適切な距離を保つ。
みっつ。とにかくなんとしてでも適切な距離を保つ。
自分のこともある程度大切にすると決めたと言え、最も重要な事柄が彼女の幸せであることは変わりない。
傷つけないように、困らせないように、しっかりと自覚を持って行動しないと。
ただの友達、ただの友達、ただの友達……。
心の中で唱えつつ、到着した待ち合わせ場所。
現れたその姿に、ルークは固まった。
『言わないで! わかってる! わかってるから言わないで! そっとしてて!』
必死で言う彼女は完全に取り乱していて。
助かった、と心から安堵する。
大人びた服で現れた彼女がいつもより綺麗に見えたなんて。
そんなの、悟られたら演技も計画も全部破綻してしまうから。
静かな馬車の中で、気づかれないように息を吐く。
……参った。
自分でもあきれるくらい、僕は彼女のことが好きらしい。