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83 クイーンズ・ギャンビット


 銀水晶のシャンデリアが辺りを照らす第一王子殿下の私室。


 テーブルに置かれていたのは大理石のチェス盤だった。


「どうだろう。話しながら一局」


 その提案に、ルークはうなずいた。

 今回の目的は王子殿下が主導するノエルの王の盾(キングズガード)への異動を阻止すること。


 そのためにも、殿下の心証を良くしておいて損はない。


「俺はこれが好きでね。グランドマスターは対局中何手先まで見通せるか知っているか?」


 クローズド・ゲームの代表的な定跡オープニング――クイーンズ・ギャンビット。

 オニキスを削って作られたポーンを前進させて王子殿下は言った。


「わかりません。二十手ほどでしょうか」


 ルークは白のナイトで敵陣を牽制しつつ言葉を返す。


「答えは三手先も読めない、だ」


 王子殿下は黒のナイトを前に進めて続けた。


「達人同士の対局はいつも互いに正解がわからない難解な局面を進む。不確実性に満ちた真っ暗な闇の中をもがくんだ。彼は言っていたよ。自分はチェスのことをまだ6パーセントほどしか理解できていない、と」

「謙遜のようにも聞こえますが」


 一手ごとに交わされる駆け引き。

 対局は数年前に流行した定跡をなぞる形で進む。


「いや、彼は本気で言っているんだよ。チェスというゲームの奥行きは人間の頭脳よりもずっと深い。わからない。だから面白い」


 王子殿下のクイーンが前に出て、白のビショップを弾き飛ばす。


「そしてそれと同じものを俺は彼女に感じている」


 王子殿下のクイーンが躍動する。

 中央からにらみを利かせ、好位置で盤面を制圧する。


「俺が指揮することで彼女はさらに高みに到達することができる」


 クイーン――

 チェスにおいて、キング以上の強さを誇る最強の駒。

 動きを封じ込めるべく四つの駒を効かせて対応するルーク・ヴァルトシュタイン。


「上手い対応だ。だが、その手は知っている」


 それでも止めることができない。

 見透かすように笑って王子殿下は言った。


「俺を誘い込むか。さて、御前試合のように行くかな」

「何のことですか?」

「彼女の最後の攻撃。君の狙いは剣聖ではなく、演習場の魔術障壁だった。欠損させることで引き分けに持ち込む。見事なものだったよ。おそらく、あの場でそれに気づいたのは俺くらいのものだっただろう」

「買いかぶりですよ。偶然です」


 局面を懸命に読みながら、ルークは深く息を吐く。

 王子殿下はまるで時間を使わず手を進めている。


 力の差は明らかだった。

 こちらの思考を隅々まで読まれているような錯覚さえ覚える。


 ……化物め。


 王子殿下のクイーンが、白のキングを守るを弾き飛ばす。


「チェックだ」


 まるで最初から正解を知っているかのような踏み込み。

 しかし、それが実際にその通りであることをルーク・ヴァルトシュタインは知っていた。


 第一王子殿下はこの局面を経験している。

 収拾した膨大な量の棋譜の中には、彼がまったく同じ指し筋で敵を圧倒したものがあった。


 だからこの右辺の部分図において、王子殿下のクイーンを止める術がないのをルークは知っていて。


 しかし、それこそが彼の狙い。

 収拾した膨大な棋譜の中から見つけだした可能性。


「見せたかったのはこれ、か」


 ――敗勢に見えた局面を一変させ、形勢を五分に戻す奇跡の一手。


「敵陣最深部に到達したポーンはクイーンに変化する。僕は彼女が才能ある平民の少女から、凄腕の魔法使いに成長する姿を誰よりも傍で見てきました。たしかに、指揮する能力では殿下の方が上でしょう。ですが、僕は誰よりも彼女の才能を理解し、引き出し、導くことができる。その一点においては他の誰にも負けないと断言できます」


 複雑な局面の十一手先。

 敵陣深くに侵入した成り上がりのクイーンとルークが、盤面右奥を制圧する。

 今はまだそこにない未来の展開を盤面に提示し、ルーク・ヴァルトシュタインは言った。


「証明するチャンスをください。期待以上の成果をお約束します」






 ◆  ◆  ◆


「いかがでしたか?」


 会談の後、執事長は王子殿下に言った。


「興味深かったよ。まるで別人みたいだった」


 残された盤面を検討しながら言う王子殿下。


「別人、ですか?」

「彼は俺と同じ類いの人間だと思っていたのだがね。感情を排し、最も合理的な選択を続けて成果を上げ、歴代最速で聖金アダマンタイト級まで上り詰めた。冷血コールドブラッドなんて呼ばれることもあるヴァルトシュタイン家の最高傑作」


 くすりと微笑して王子殿下は言う。


「それが、どういうことだ。まるで別人じゃないか。失いたくない、負けたくない。全身から気迫がにじみ出ていた。人というのは立場と状況でかくも変わるものなのだね。特に最後の攻防。あれは見物だった」


 王子殿下は盤面を再現しつつ続ける。


「彼はこちらのキングではなくクイーンを取りに来たんだ。よほど彼女を失いたくないのだろうね。負けず嫌いというか何と言うか」

「たしかに、聞いていた彼の人柄とはまったく異なりますね」

「彼女を連れてきたのも、上に行くための点数稼ぎだと思っていたが、どうやらそういうわけでもないらしい。むしろ、彼女の方が本命か」


 王子殿下は口角を上げる。


「機会を与えるのも面白いかもしれないな」

「よろしいのですか? 早く手元に置きたいとおっしゃっておりましたが」

「彼女が王の盾(キングズガード)に来るのは既定路線だ。急ぐ必要があるわけでもない。もっとも、彼はそれもひっくり返そうとしてるんだろうけどね」


 形の良い指で盤上のルークを撫でて言った。


「さて、何を見せてくれるのか。お手並み拝見かな」



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