8 衝撃
王宮魔術師団ガウェイン隊における新人恒例行事、『血の60秒』は王宮で働く者たちにとってちょっとした名物でもあった。
王宮魔術師たちはもちろん、王立騎士団、そしてその他の宮廷関係者たちも噂を聞きつけてどこからともなく観覧に来る。
まして、今回はいつもよりずっとギャラリーが多い。
入団試験で壁を壊した化物新人がどれほどの実力を持っているのか、自分の目でたしかめたいと思った者たちも多かったのだろう。
その彼女と聖宝級魔術師、ガウェイン・スタークが手合わせするのだというのだから注目度はすさまじいものがある。
ギャラリーの中には結果を対象とした賭けをする者たちもいた。
何秒耐えられるのかを予想する賭けは『血の60秒』における恒例行事である。見ていた者たちの間で自然発生的に始まったそれは宮廷中に広がり、今や賭けの方をメインで観覧に来る者も多い。
オリバー・ハンプトンはそんなギャラリーの一人だった。
『買うとしたら十秒以内の秒数を選ぶのが最善だろうな。大穴で『十秒以上』を買いたくなる気持ちもわかるが、さすがにやめとけ。もう二年も出てない上、今年首席合格した新人も九秒でやられちまったんだから。あの壁を壊した魔力は尋常じゃねえが、在野で無実績の女には荷が重すぎる』
誰もが違う言葉で同じ事を言っていた試合前。
見守る観衆の中に、とんでもない人物の姿を見つけてオリバーは息を呑む。
『氷の魔法使い』の異名を持つ聖宝級魔術師、クリス・シャーロック。
王立騎士団で団長を務める『剣聖』、エリック・ラッシュフォード。
そしてその二人に付き添われる形で、王国の第一王子ミカエル・アーデンフェルド殿下が見学に訪れていた。
(嘘だろ……殿下までって)
考えることは皆同じなのだろう。
既に会場中のほとんどの者がミカエル殿下の存在に気づき、その一挙手一投足をうかがっている。
演習場の空気は、手合わせが始まる前の段階でただの新人恒例行事ではない異様なものに変わっていた。
オリバーはノエルという名の新人を少し不憫に思う。
ここまで大勢に見られる必要もなかっただろうに、と。
名義上入隊試験と呼ばれているこの儀式だが、実際は学院で天才扱いされて入ってきた新人の鼻っ柱を折るためのものだ。
ガウェインも手をゆるめるようなことはしない。
あわれな新人は為す術なく一方的に粉微塵にされ、演習場の床を転がることになるだろう。
(気の良い三番隊の連中もかなりフォローしていたようだが、この注目度で惨敗はへこむぞ。落ち込みすぎなければいいんだが……)
そう思っていたのはオリバーだけではない。
会場に詰めかけた誰もがそう思っていた。
なのに――
(これはなんだ?)
オリバーは目の前の光景が信じられない。
(動きが変わった……まるで別人みたいに……)
魔法で自らの時間を加速させているのだろう。
目にも留まらぬ攻防。
鼓膜を殴りつける爆発のような魔法の衝突。
翠玉級の王宮魔術師であるオリバーですら二人の動きを目で追うことができない。
気づかされたことが二つあった。
ひとつは、圧倒的な強さで新人たちを蹂躙していたガウェインはそれでなお、今までまるで本気を出していなかったこと。
そして、目の前の新人はガウェインの本気を前に一歩も退かず、まったく対等に渡り合っていること。
「何者なんですか、あの人……」
思わずそう問いかけずにはいられなかった。
普段なら絶対に声をかけられない相手。
サファイアブルーの瞳に射貫かれて、自分がとんでもないことをしてしまったと気づく。
名家ヴァルトシュタイン家の次期当主。
新人として初めて『血の60秒』を耐え抜き、わずか三年で聖金級魔術師まで上り詰めた大天才。
年下の上官、ルーク・ヴァルトシュタインはしかし何事もなかったかのように言葉を返してくれた。
「学院生時代僕が最後まで勝ち越せなかった本物の怪物。でも、アホで抜けてるところがあって地方でくすぶっていたから拾ってきた。まあ、僕の隣に立つんだからあれくらいはやってもらわないと」
あれくらいって。
そんな簡単に言っていいような状況じゃ――
口の中がからからに乾いている。
未だに現実として受け止めきれない目の前の光景。
ただ、ひとつだけわかることがある。
自分は今、とんでもない何かを目にしている。
呼吸を忘れて見入っていた。
そこにいる誰もがそうしているように。