73 考察
『赤の宮殿』と称えられる大王宮の一室。
第一王子ミカエル・アーデンフェルドは部下に集めさせた資料に視線を落としている。
ノエル・スプリングフィールド。
入団直後から際立った成果を出し、歴代二位の速さで白銀級まで昇格した王宮魔術師。
集められた資料はすべて彼女についてのものだ。
日常生活。
隊での練習記録。
関わった事件の調査結果。
図書館で借りた本から昼食のメニューまで、彼女についての詳細な情報が記されている。
調査を行ったのは、ミカエルが極秘で編成したチームの精鋭たち。
責任者を務めたベネディクト卿にとっても、その小さな魔法使いは興味深い存在だった。
幾多の大食いたちが集う定食屋で、最難関チャレンジメニューを完食し、「唐揚げは飲み物」とキメ顔で発言したこと。
タイトルが頭良さそうでかっこよかったからという理由で借りた難解な古典小説を、一ページ目で挫折して返却したこと。
身体測定で、身長がわずかに低くなっていたことに絶望し、白目を剥いて泡を吹いていたこと。
観察しているだけでも面白い不思議で珍しい生き物。
しかし、魔法になるとその力は尋常な魔法使いの域を完全に超えている。
(あれだけの量を平然と……)
練習への姿勢も他とはまったく違う。
人並み外れた集中力と練習量。
誰よりも多くの量をこなしながら、固有時間を加速させる魔法を使ってさらに密度の濃いものへと昇華させている。
しかしさらに興味深いのは、実戦における彼女の能力が練習時より格段に高く見えるということだった。
『緋薔薇の舞踏会』での暗殺者との戦い。
『薄霧の森』でのゴブリンキング変異種。
西部辺境を襲った狂化状態の飛竜種。
そして、今回の犯罪組織アジトでの攻防。
そのすべてで、普段の練習時をはるかに超えるパフォーマンスを彼女は発揮しているように見える。
なぜこのようなことができるのか。
単純に本番に強いという言葉では済ませられない調査結果。
「ひとつ仮説がある」
王子殿下の言葉。
ベネディクト卿は言った。
「仮説ですか?」
「ああ。彼女の能力。その本質について」
ミカエル・アーデンフェルドは言う。
「おそらく、彼女の本質は環境への適応だ。魔道具師ギルドで課されたという異常な労働量。仕事をすればするほど常軌を逸して過酷になっていく環境に彼女は適応せざるを得なかった。できなければ職人として生きていけなかったから」
執務室に言葉が響く。
「その結果、彼女の環境適応能力は際限なく磨き上げられ続けた。自身の限界を超えた状況。そこに適応する能力が彼女は異常に高い。思えば最初からそうだった」
「まさか……」
ベネディクト卿は息を呑む。
『血の60秒』
ガウェイン・スタークとの腕試し。
王国最高火力を誇る聖宝級魔術師の攻撃に適応したというのか。
新人を試す目的の模擬戦闘とは言え、はるかに格上の相手に、あの短時間で。
「ありえません。そんなことができるわけが……」
「俺もそう思った。だが、収集した情報は仮説に符合している」
ミカエルは言う。
「他の戦いも同様だ。状況に対し、自らを最適化して対応する。敵が強ければ強いほど力を増す。化物じみた環境適応能力」
たしかに、情報は仮説に符合しているのかもしれない。
だとしても信じられない。
受け入れられない。
西方大陸最強の生物種である飛竜種。
山脈を消し飛ばし、都市を灰燼に変えるというその攻撃にさえ適応したというのであれば。
そんなものは人間の持っていい力の域を完全に超えている。
「類い希なる逸材。規格外の怪物」
ミカエルは続ける。
「確かめてみたいと思わないか。彼女の力がどこまで通用するのか」
「しかし、確かめると言いましてもどうやって」
「もうすぐ、彼が帰ってくる」
「彼って……まさか」
瞳を揺らすベネディクト卿。
第一王子は言った。
「対個人戦闘七百戦無敗。王国最強の剣聖――エリック・ラッシュフォード」
王立騎士団序列一位。
『一騎当千』、『無敗の剣聖』の異名を持つ最優の騎士。
聖宝級魔術師と並ぶ王国最高戦力の一人。
その圧倒的な強さから王国史上最強の剣士と称えられる生きる伝説。
「いくらなんでも無茶です! ラッシュフォード様が相手では勝負になるわけが」
「もちろんハンデはつける。だが、ベネディクト卿。俺はどこかで期待してるんだよ」
ミカエル・アーデンフェルドは口角を上げて言った。
「彼女は、我々が思っている以上にとんでもない存在なんじゃないか、とね」