72 願い
殺到する魔法杖による暴風。
災害そのもののような猛攻を必死で耐えていた私だけど、魔力と体力が消耗するにつれ、次第に限界が近づいてくる。
そこにあったのは人間と魔法武器の差。
連続して使っても威力と精度がぶれない魔法武器に対して、人間の放つ魔法には限界がある。
心の動揺。
体力的消耗。
焦り。不安。
恐怖。迷い。
心と肉体の状態は魔法の精度を大きく左右する。
次第に押し込まれる。
攻撃を押しとどめられなくなる。
崩れそうになる集中力。
迫る敗北の予感。
――いらない。
私は意識を集中して、余計な感情を振り払う。
負けそうとか、無理かもとか、そんなのはいらない。
私がすべきなのは、今、目の前の魔法に自分のすべてをぶつけることだけ。
わかっている。
この戦い、多分負けるのは私で。
だけど重要なのは一秒でも長く時間を稼ぐこと。
隠し通路の奥とは言え、これだけ派手に魔法を使っているのだ。
付与魔法による防音と魔術防壁があるとは言え、優秀な魔法使いなら魔素の流れの変化に必ず気づく。
後のことは全部任せていい。
私にできるのは良い形で後の人たちに繋ぐこと。
こんな私によくしてくれる人たちの期待に応えるために。
拾い上げてくれたあいつに、少しでも恩返しするために。
ただで負けてなんて絶対にやらない。
ここでほんの少しでも消耗させてやる――!
揺れる視界。
失われる体力と魔力。
「――――っ!!」
防ぎきれなかった一撃が、左腕を直撃する。
弾け飛ぶ袖口。
風の刃が雪崩のように視界全面から迫ってくる。
霞む視界の先で、炸裂したのは強烈な二つの魔法だった。
すべてを横薙ぎに一掃する電撃と炎の魔法。
殴りつけられたような衝撃波。
殺到していた風の刃は一瞬で霧散し、地下施設の床がめくれあがって破砕していく。
その一瞬で、そこにいた誰もが理解したはずだ。
現れた二人は、今この状況下において別格の力を持っていて、
戦いの結末は既に確定してしまったということを。
聖宝級魔術師ガウェイン・スターク。
そして、嫌味なくらい優秀なライバルで親友――ルーク・ヴァルトシュタイン。
魔法杖を手に、組織の人たちが懸命に抵抗しようとする。
しかし、そこにあったのは一方的な蹂躙。
数の利も、装備も、この二人の前には何の意味も持たない。
すべてを覆す暴力的なまでの強さ。
レティシアさんを先頭に取締局の魔法使いさんがやって来て、組織の人たちを取り押さえていく。
よかった。
みんなが来るまで足止めできたんだ。
ほっとしたら腰が抜けてしまった。
「ノエル――!?」
あいつは、こっちが申し訳なくなるくらい焦っていて。
駆け寄ってきたその人に、あわてて私は言う。
「大丈夫だから。ルークは仕事に集中を――」
戦況は事実上決着しているとはいえ、今は成果を上げる大チャンス。
組織の要人を自分の手で捕まえれば、確実に評価を上げることができる。
私のことなんて後回しにしていい。
なのに、ルークはかがみ込んで回復魔法の魔法式を起動する。
「ほんと大丈夫だって」
「いいから」
「いや、でも今はチャンスで」
「いいって言ってる」
有無を言わさない口調。
「でも――」
絶対仕事を優先した方がいいって。
だけど、ルークは言った。
「ノエルの方が大事」
サファイアブルーの瞳。横顔。
怪我が治り始めたのを見て、ほっとした様子で息を吐く。
「よかった。間に合って」
心から安堵するその姿。
『この国で一番の魔法使いになるために、僕が勝てなかった君の力を貸してほしいと思ってる』
それで私を連れてきたはずなのに、私の方を優先してどうするのか。
要領良いようで、こういうところ不器用で。
ほんと良いやつなんだから。
私は胸があたたかくなって、
だけど言葉にするのは照れくさくて少しためらう。
いや、でもこういうのはちゃんと言葉にしなくちゃ。
それでもなんだか気恥ずかしくて、
すぐ傍にいるそいつの耳元で言った。
「ありがと」
ルークは瞳を揺らしてから、
「…………別に」
そっぽを向いて言った。
形の良い耳はほんのり赤くなっていて、
この照れ屋さんめ、と頬をゆるめる私だった。
◇ ◇ ◇
――間に合った。
その事実に、ルーク・ヴァルトシュタインは心から安堵している。
西部辺境での飛竜種騒ぎ。
倒れていた彼女の姿はルークの中に今も焼き付いていて。
だからこそ、間に合って本当によかった。
あんな思い、もう二度としたくない。
何に代えても失いたくない大切な存在。
だけど、同時に痛感する。
それにも終わりの日が来るということを。
変わらないものなど何もなくて。
ほんの少しのきっかけで隣にいられる時間は終わってしまう。
わかっている。
彼女と僕の「好き」は違う。
彼女にとっての僕は友達で。
恋愛対象として見てもらうには、時間が経ちすぎていて。
だから、この恋は報われないのかもしれない。
それでもいいんだ。
君がいる。
それだけで僕は他に何もいらないくらいに幸せで。
傍にいたい。
本当に僕はずるくて、どうしようもないのに。
「ありがと」
なのに君がそんな風に言うから、もっと近くにいたくなってしまうんだ。
少しでも長くこの時間が続きますように。
いつか来る終わりの日を怖がりながら。
そんな子供みたいなことを願っている。