66 あたたかな手
テアトロ・アーデンフェルドは王国で最も大きな歌劇場として知られている。
今回の公演は、周辺国でも有名な国民的劇作家による作品。
竜殺しの英雄を描いた叙事詩を元にした大作ということで、劇場前はチケットを求めるたくさんの人で賑わっていた。
「むむ、見えない……」
数回背伸びしてから悔しげに言った彼女にくすりと笑うと、「あ! 今バカにしたでしょ」とむっとした顔で言う。
「してないしてない。ただ、微笑ましいなって」
「もう、子供扱いして」
睨んでくる彼女が可笑しい。
子供扱いなんてしたこと一度もないよ。
そう伝えたらどんな顔をするんだろう。
できないことを想像して微笑んでから、咳払いして気持ちを落ち着ける。
ここ数日、研究に研究を重ねて考えてきた渾身のデートプラン。
計画を実行に移すための最初のフェイズ。
――開演時間まで少しあるし、何か食べない?
食べるのが大好きな彼女のことだ。
絶対に食いついてくるのは間違いない。
近くに、今王都で話題のジェラートのお店があることも把握済み。
この時間は一時的に客足が弱まることまで下調べは済んでいる。
しかし、そこまで研究と準備をしてきたのに、肝心の言葉が出てこないのはなぜなのか。
(何してる。バカか。しっかりしろ、僕……!)
喉の奥の言葉を引っ張り出して形にした。
「か、開演時間まで少しあるし、何か食べない?」
声が少し上ずったが、なんとか平静は装えたはずだ。
反応はどうだろう?
そらしていた視線を彼女に戻す。
「………………いない」
はぐれてしまったらしい。
人混みにさらわれたのだろうか?
さっきから全然移動してないのに、と困惑しつつ視線を巡らせる。
少しして、人の群れをかきわけて戻ってきた彼女は、両手に食べ物を抱えていた。
「おいしそうだったから買って来ちゃった」
「離れるのはいいけど一言言って。びっくりするから」
「ごめんごめん」
近くの屋台で買ってきたらしい。
唐揚げ串が二つとポテトの黒胡椒揚げ。
どうやら、僕の分も買ってきてくれたらしい。
「ありがとう。お金出すよ」
「いや、あげないよ。全部私のだよ」
「…………」
なんだ、こいつ。
「ルークは朝ごはん食べてきてるかなって。間食しない人だし、いらないと思ったんだけど」
「朝食べてなかったんだ。珍しい」
「私? 食べてきたよ?」
「あ、うん。なるほど」
「でも、揚げ物は別腹だからさ」
彼女は鼻歌を歌いながら言う。
「ああ、揚げたての唐揚げ! あなたはどうしてそんなにおいしいのっ!」
噛みしめるように食べて、頬をゆるめる彼女。
幸せそうなその姿に、ため息をつく。
予定通りにいかなくて、なのにその笑顔ひとつで全部許せてしまうのだから、本当にずるい。
「あ! 私あれ食べたいな! クラーケンのイカ焼き!」
「…………まだ食べるの」
「イカ焼きは別腹なんだって。ほらほら、行こうルーク」
「待って。また見失うから」
身軽にすいすいと人混みをかき分ける彼女の背中をあわてて追う。
「あー、またはぐれちゃったらいけないもんね」
うなずいてから彼女は僕の手をつかんだ。
「まったく。大きい身体してお子様なんだから」
いや、お子様なのは勝手にいなくなる君の方だから。
そんな抗議の言葉は言えなかった。
僕の手を引く彼女の小さな手。
あたたかい感触。
二人で歩いているこの状況が、思っていたよりもうれしくて。
考えてきたデートプランは全然うまくいかない。
好き勝手自由に振り回されてばかり。
なのに想像していたより、ずっと楽しくて。
もっと傍にいたいと思ってしまうのだから、
やっぱり、君は本当にずるい。