56 幸せのために
レティシア・リゼッタストーンの言葉は、目を背けていた不都合な事実をルークに突きつけるものだった。
彼自身、自らの抱える危うさは理解している。
好きで。
ずっとずっと好きで。
計算高い自分の得意なやり方で、一緒にいられる状況を作った。
あまり褒められたやり方ではなかったかもしれない。
それでも、傍にいたかった。
瞳に映る姿。
どこにいてもすぐに見つけられる、自分にとっては特別な声。
既に自分は十分すぎるくらいに幸せで。
『絶対置いて行かれてなんてやらない! 覚悟しときなさいな!』
対等な存在として隣にいようとしてくれる。
それがどんなにうれしいか。
ずっとこのままでもいいのになとさえ思うくらいで。
しかし、人生の先輩である上官は、もっと自分の幸せのために行動しろと言う。
『あの子が他の誰かと結婚することになっても?』
そんな可能性、とっくの昔から気づいていて。
祝福しないといけないと知っていて。
彼女が幸せならそれでいいと思っていたはずなのに。
それでも、うまく答えられなくて。
自分は本当に欲深い人間なのだろう。
ずっと隣にいてほしいと思っている。
彼女の幸せを願いながら、本当はどこかで誰のものにもならないでほしいと。
そんな風に思ってしまっている自分がいる。
(終わりなんて、いつ来るかわからないというのに)
思いだされるのは、数日前の飛竜種騒ぎ。
魔力切れを起こし倒れていたその姿に、息ができなくなった。
頭の中が真っ白になって。
それからのことはよく覚えていない。
必死で。
無我夢中で。
町の診療所に運び込んで、ただ回復するのを祈っていた。
決して深刻な状態じゃないと伝えられても、まったく安心なんてできなくて。
もし目を覚まさなかったらと気が気じゃなくて。
『あの子はこれくらいでどうこうなるほど柔じゃない。大丈夫よ。だから貴方も何か食べて』
誰よりも心配だろう彼女のお母さんにそう諭されてしまった。
大人になったつもりで。
大体のことはうまくこなせると思っていたのに。
まさか自分にここまで弱い部分があるとは。
情けない。
心からそう思わずにはいられない。
『それより、聞いて! 私、飛竜種と戦ったんだよ。特級遺物のせいで暴れさせられてるんだって見抜いて、町を守ったの!』
だからこそ、目覚めた彼女の弾んだ声に、救われたような気持ちになったのだけど。
思いだして微笑んでから、ルークは手元のチケットに視線を落とす。
人生の先輩は言った。
踏み出せ。
手を伸ばせ、と。
いいのだろうか。
自分は名家の次期当主として、衆目を集める立場にある。
平民との結婚なんてとても許されないし、恋仲になっただけでも何を言われるかわからない。
根も葉もない噂が飛び交い、傷つけてしまうこともあるだろう。
彼女が望んでくれるなら、どんなことでもする。
誰に何を言われようが知ったことではないし、地位も立場もよろこんで捨てられる。
だけど、望んでないのに自分のわがままで巻き込んで良いのだろうか。
それは本当に、大切な相手に対する正しい行いなのだろうか。
答えは出なかった。
それでも、翌日彼女の家に向かったのは、心の中に浮かんだひとつの思いゆえのことだった。
彼女と二人でデートが――したい。
考えれば考えるほどその思いは強くなった。
許されないと思っていたけれど、デートに誘うくらいならいいのではないか。
そもそも、自分と彼女は友達の間柄。
二人で出かけてもまったく問題ない関係性にある。
そうだ。
先輩からチケットをもらったので、友達と遊びに行くだけ。
何もおかしなところはない。
完璧な計画だ。
不審に思われる要素なんてどこにもない。
そう気づいてからはもう、考えることを止められなかった。
二人並んで王都をぶらぶらして、洋服店を巡ったり、ジェラートを食べたり。
それはちょっと、幸せすぎるのではないだろうか。
(より精度の高い計画を立てる必要がある。最良のプランで臨まないと)
翌日、ルークは彼女の家に向かった。
自身が紹介した、小さいながら小綺麗な貸家。
心臓がうるさい。
深呼吸して落ち着かせる。
(落ち着け。あくまで友達として。自然に、普通に)
心の中で唱える。
いつもの注意力と冷静さを欠いていた彼は気づかなかった。
そこにいる巨大な存在を隠していた隠蔽魔法に。
「……………………」
言葉を失い、呆然と立ち尽くす。
そこにいたのは山のように巨大な黒竜。
そして、何やら言葉をかわしている想い人の姿。
敵対しているのかと思いきや、そういうわけでもないらしい。
どうやら、竜は恩返しに来た様子。
何かあれば飛び出せるよう準備しつつも、どこかでその必要性がないことに気づいていた。
塀の裏で彼は深く息を吐く。
苦笑することしかできなかった。
本当に君は、僕の想像なんて簡単に超えてくるんだから。