52 漆黒の巨竜2
巨竜と戦う小柄な魔法使いの姿を、二人の男が呆然と見つめている。
業務停止命令を受けた魔道具師ギルドのギルド長と副ギルド長。
解雇した下っ端魔道具師。
その後を追った森の中でのことだった。
空を貫き、雲を真円に裂いた咆哮。
人間が戦える相手とはとても思えない、人智を越えた力を持つ怪物。
対して、その魔法使いは一歩も退かずに均衡を保っているように見えた。
目にも留まらぬ速さで幾重にも展開する魔法陣。
竜の咆哮を真っ向から相殺する暴風の魔法。
自身が役立たずと解雇した下っ端魔道具師は今、巨竜と戦っている。
衝撃波が、遠く離れた二人の髪を後方へさらっていく。
二人はただ、口をぽかんと開けて立ち尽くしている。
◇ ◇ ◇
一瞬でも気を抜けば、即戦闘不能な咆哮の雨。
なんとか攻撃を集中し、局地的な均衡を作って凌いでいた私だけど、次第に限界が近づいてくる。
身体を重たくする疲労と消耗。
何より、魔力量の限界が近づいている。
せめて、少しでも長く時間を稼がないと。
私は咆哮が冒険者さんたちに当たらない位置まで動いてから、攻撃を相殺するのをやめて、地面を蹴った。
加速した世界の中で咆哮を回避し、巨竜を挑発するように魔法を放つ。
走る先は町の反対方向。
強靱な身体と翼を持つ巨竜は信じられないくらい速くて、だけど単純な速さ比べなら私も負けない。
木々の合間をすり抜けるように走る。
巨竜はすべてをなぎ倒しながら追ってくる。
森の中で怪物を相手するのは二度目。
一度目のことを思いだした私は、ひとつの可能性に気づいてはっとした。
あのとき、ゴブリンキングの軍勢には隠蔽魔法がかかっていた。
もしかしたら、この黒竜にもその類いの何かがかかっているかも。
《解呪》
木々を目くらましに放った魔法。
局所的にかけられた薄いヴェールがはがれる。
そこにあったのは巨竜の首につけられた黒い首輪だった。
禍々しい光を放つそれはおそらく――特級遺物。
都市一つ、国一つさえ買えるような額で取引される規格外の迷宮遺物だ。
紫の光は巨竜の身体を支配するように包んでいる。
多分、対象を狂化状態にする力を持った遺物なのだろう。
無理矢理狂化状態にされ、暴れることしかできずにいるんだ。
つまり、あの首輪さえ破壊すれば巨竜から町を守ることができる。
その気づきは、魔力が切れかかった私に最後の力をくれた。
周囲を見回し、一番木々が密集したその中に跳び込む。
陰に隠れて、距離を詰める。
追いかけてくる巨竜を迎え撃つ。
この竜は――私がここで止める。
巨竜が木々を粉々に吹き飛ばし突進してくる。
加速した時間の中。
飛散する破片をかわして私は跳んだ。
巨竜の首元へ。
黒い首輪に向け、残る全ての力を振り絞って魔法を放つ。
《烈風砲》
炸裂する風の大砲。
圧縮された空気がすべてを吹き飛ばす。
視界が揺れたのはそのときだった。
世界が元の速さに戻っている。
魔力が完全に底をついたのだ。
反動で吹き飛ばされて地面を転がる。
立ち上がろうするけど、身体に力が入らない。
魔力が急激に失われたことによる、『魔力切れ』の症状。
霞んだ視界の先で、大きな黒い何かが暴れている。
赤い瞳で私を睨む。
そして巨大な爪を振り下ろして――
しかし、その腕は私の寸前で止まっていた。
――助けられた。感謝する。小さき者。
声が降ってくる。
――この礼はいつか必ず。
羽ばたき。
大きな気配が遠ざかっていく。
なんとか止めることができたみたい。
静かになった森の中。
私は仰向けになり、大の字に寝転がる。
やったんだって達成感で胸がいっぱいだった。
あいつが来たら、思いきり自慢してやろう。
真円の青空。
やわらかい野草のベッドの上で目を閉じる。
射し込んだ日差しが瞼の裏を赤く染めた。
疲れたから、少しだけお昼寝しよう。
心地よいまどろみに落ちていく。
「――――――ノエル! ノエルしっかり!」
意識が途切れる瞬間、聞いたことないくらいに狼狽したあいつの声が聞こえた気がした。
目を覚ますと、そこには見覚えある天井が広がっていた。
何度かお世話になったことのある町の小さな診療所。
どうやら、私は魔力切れで気を失ってここに運ばれてきたらしい。
少しして部屋の中に入ってきたお母さんは、私に駆けよってぎゅっと抱きしめてから言った。
「あんた、大仕事したらしいじゃない。立派になっちゃって」
あたたかい体温に顔を埋める。
なつかしい感触。
なんだか子供の頃に戻ったみたい。
「自慢の娘よ。今までもずっとそうだったけど、もっともっと」
耳の後ろから聞こえる声。
うれしくて、気恥ずかしくて、心地よくて。
しばらくの間そうしていた。
お母さんは私に向き直ってから、感心した様子で言った。
「にしても、あんたも意外とうまいことやってるのね。まさかあの方にあそこまで思われてるなんて」
「ん? 何の話?」
「お友達だって言うヴァルトシュタイン家のご子息のことよ。気を失ったあんたを血相変えて抱えてきて、ずっと付きっきりで看病して。母親の私もびっくりするくらいだったんだから。恐れ入ったわ。まさかあんたが恋愛上級者の愛されガールだったなんて」
いや、そんな謎の存在になったつもりはないんだけど。
あきれ顔の私に、お母さんは部屋の隅を指し示す。
サイドテーブルに突っ伏して寝ているその姿に、私は頬をゆるめることになった。
付きっきりで看病してくれたんだ。
大切に思ってくれてるのが伝わってきてうれしくなる。
「お母さんは邪魔が入らないよう全力で妨害しておくから、ここで一気に決めちゃいなさい。良い? 押してダメなら押し倒せ。恋は戦争よ!」
張り切って部屋の外に出て行くお母さんに、私は肩をすくめる。
だからそういうのではないんだって。
身体を起こして、眠るルークの顔を覗き込んだ。
綺麗な顔してんな、と改めて感心して見ていると、私の気配に気づいたのか閉じられた瞼が動いた。
「ん……」
吐息。
目が開く。
サファイアブルーの瞳が私を捉える。
「よっ」
声をかけるとルークは、驚いた様子で後ずさった。
「なにその反応」
「いや、近かったから」
「近かった?」
「なんでもない」
頬をかくルーク。
それから、はっとした様子で言う。
「目が覚めたんだ」
「うん。それより、聞いて! 私、飛竜種と戦ったんだよ。特級遺物のせいで暴れさせられてるんだって見抜いて、町を守ったの!」
私は声を弾ませて言う。
「ルークは飛竜種と戦ったことある?」
「ないけど」
「よし! じゃあ、今回は私の勝ち!」
ぐっと拳を握る。
胸をあたたかくしてくれる達成感。
びしっと指をつきつけて宣言した。
「私だって負けてないんだから。これからは前みたいに、対等なライバル関係だからね。ルークが聖宝級を目指すなら私もそこを目指すよ。絶対置いて行かれてなんてやらない。覚悟しときなさいな!」
ルークは驚いたみたいに瞳を揺らして。
それから、くすりと笑って目を細めた。
「そんなこと言わなくても、とっくに認めてるってば」
「なにその余裕ある態度……あ! まだ自分の方が勝ってるって思ってるんでしょ! いいわ! 今度は絶対にぎゃふんと言わせてやるんだから!」
「うん。楽しみにしてる」
にっこり微笑んでそんなことを言うから、私はもっと怒ってルークに抗議して。
だけどやさしく受け止めてくれるその態度も、本当はそんなに嫌いじゃなくて。
むしろ心地よいくらいに思っているのは――照れくさいから、絶対に言ってやらない。