51 漆黒の巨竜
森に現れた漆黒の巨竜。
放たれた空を裂く咆哮に私はため息をつく。
西方大陸最強の生物種とは聞いていたけど、ここまでとんでもない相手なんて。
それでも、逃げるなんて考えはまったく頭になかった。
戦闘不能になって地面に崩れ落ちたニーナの姿に、私は昔の自分を思いだす。
ニーナと一緒にこの森を駆け回っていたあの頃。
友達を泣かせる悪いやつは、ぶっ飛ばしてやるって決めてたんだ。
加減なんてしている余裕はない。
放つのは自分が撃てる最大火力の魔法。
魔法陣が幾重にも展開する。
風の大砲を連続で放つ。
不意を打っての攻撃。
それでも、巨竜の力は私の上をいっていた。
口から連続して放たれる咆哮。
先の一撃で相当量の魔素を失っているにもかかわらず、しかしその威力は私の最大火力を凌駕している。
単純な力比べでは勝てない。
だったら、精度と手数勝負。
攻撃を一点に集中し、なんとか巨竜の猛攻を食い止める。
多分、以前の私にはできなかっただろう。
力任せに全力で魔法を放ち、細かいことは考えないのが私のスタイルで。
だけど、今のこれは違う。
ルークが見せてくれた閃光。
その異能の域まで到達した精度に魅せられて、追いつきたくて。
たくさん練習したその成果。
精度ではルークにまだまだ全然届かないけど、その分は得意分野の火力と手数でカバーする。
あいつは飛竜種と戦ったことあるのかな。
ないよね。
王国でこれ以前に飛竜種が出たのは、もう何十年も前のことだったはず。
だったら、飛竜種と戦ったのは私の方が先。
つまり、ここでこの巨竜を食い止めれば私の初勝利が記録される。
ずっと先にいっていた親友に追いつくために。
対等に競い合える私になるために。
最強の生物種だろうがなんだろうが、そんなのは関係ない。
絶対に止めてみせる。
決意を胸に放つ魔法は、やっぱり少しあいつの魔法に似ていた。
◇ ◇ ◇
目の前に立ち、漆黒の巨竜を迎え撃つその姿。
そこにニーナ・ロレンスが見ていたのは昔見たなつかしい面影だった。
『出て行けよ、よそ者!』
引っ越して来た田舎町。
人見知りしてしまうニーナはうまく馴染むことができなくて。
近所の子たちにいじめられていることも誰にも言えなくて。
『お外で友達と遊んでたら転んじゃって』
すりむいた傷と服の汚れをそう笑ってごまかすたび、心が擦り切れていくのを感じていた。
『どうして私はこんなにダメなのかな?』
唯一のお友達に相談する。
四歳の誕生日からずっと一緒にいるくまみちゃんは、糸の口を閉じたまま答えてくれた。
『大丈夫! ニーナはダメじゃないわ! きっと明日は良いことあるって!』
少しだけ救われて。
だけど、どこかで自分がおかしいことにも気づいている。
ぬいぐるみが唯一の友達なんて、変でダメな子に違いなくて。
人間の友達がほしい。
本物の友達がほしい。
だけど、ニーナには話しかける勇気がなくて。
だからずっと願いは叶わないままだった。
『おい、こいつなんか高そうなぬいぐるみ持ってるぜ』
『それちょっと貸してくれよ。百年くらい』
世界は思っていたよりも残酷で。
唯一の友達も失いそうになったのはそんなある日のこと。
『返してっ。返してよっ』
がんばって声を出して。
返ってきたのは笑い声。
『変な声。なにこいつ』
『そんなに嫌なら取り返してみろよ』
『金持ち女が調子に乗ってるから、俺たちは正当な罰を与えてやってるんだ』
病弱だったニーナに抵抗する力はなかった。
無力な自分が悔しくて仕方ない。
ずっと一緒にいた大切なお友達が地面に叩きつけられて弾む。
まん丸い頭を踏みつけようと、大柄な男の子が足を振り下ろす。
やめて――
悲鳴のように叫んだそのときだった。
『くらえ! ウルトラスーパーファイナルゴッドパンチ!』
跳び込んできたのは、軽やかな身のこなしの女の子。
小柄なその子は、大柄な男の子をぶっ飛ばすと、ぬいぐるみを拾い上げて言った。
『究極最強魔法使いノエル参上! この子をいじめたいなら、私を倒してからにすることね!』
大柄で年上の男の子三人に囲まれているのに、小さなその子は全然怖がらなくて。
『くそっ! おぼえてろーっ!』
『ふふん! 正義は勝つ!』
追い払って自慢げに笑ってから、くまみちゃんをニーナに差しだして言った。
『また何かあったら言ってね。意地悪するやつは、私がぶっ飛ばしてやるから』
その言葉に、ニーナがどれだけ救われたか。
病弱で大人しい性格のニーナには、元気でエネルギーに満ちたその姿がまぶしくて仕方なくて。
ニーナは自然とその子の後を追うようになった。
木登りを教えてくれたり、パンチの撃ち方を教えてくれたり。
厳しいお父さんとお母さんもその子にはいつも振り回されっぱなしで。
毎日が楽しくて仕方なかった。
すべてが色づいていて、キラキラしてて。
世界ってこんなに綺麗だったんだってびっくりするくらいで。
だけど、そんな日々にも終わりが来る。
『嫌! 私残る! 行きたくない!』
『ダメ。わがまま言わない。もう決まったことなの』
隣国――クラレス教国への引っ越し。
お別れの言葉を伝えることもできなかった。
(また会いたいな……ううん、会える私になるんだ)
ニーナは記憶の中のその子を追いかけ続けた。
男の子相手に喧嘩したりはできないけど、少しでも近づきたかった憧れの存在。
だから今、現実としてそこにいる彼女に、ニーナは心を揺さぶられずにはいられない。
その背中は、あの日憧れたそれとまったく同じで。
『ありがと、ニーナ! 魔法の本が読めるなんて夢みたい!』
貸した曾祖父の魔導書を夢中で読んでいた友達は今、立派に一流の魔法使いとして戦っている。
(がんばれ……がんばれノエル……!)
瞳に映るその姿を、祈るような気持ちで見つめている。
◇ ◇ ◇
「うそ、だろ……」
そう漏らしたのは誰だったか。
西部地域最強と称される冒険者――レイヴン・アルバーンにとっても目の前のそれは信じられない光景だった。
漆黒の巨竜が放つ咆哮。
横殴りの雨のように連続で放たれるそれは、一発一発が即死級。
空を裂いた熱線で相当量の魔素を消費しているとはいえ、その破壊力は人智を越えた大災害の域まで到達している。
対して、目の前の少女は真っ向から迎え撃った。
すさまじい速度で幾重にも展開する魔法陣。
自身の時間を加速させての、《多重詠唱》。
暴風と咆哮が衝突する。
世界が振動した。
鼓膜を殴りつける轟音。
大地は衝撃に耐えられずひび割れ、土煙は一瞬で彼方へ消し飛んでいく。
そこにあったのは拮抗だった。
少女は、巨竜の咆哮にたった一人で抵抗し、互角に渡り合っている。
あまりに衝撃的な光景。
レイヴンは呼吸の仕方を忘れた。
空間が歪んで見えるほどの魔力量。
同時に七つの魔法を制御する魔法制御力。
そして、目で追うことさえ叶わない術式展開速度がもたらす異次元の火力。
レイヴンが知る魔法職の冒険者とはまるで次元が違う。
(なんなんだ、これは……)
とても現実とは思えない。
口の中がからからに乾いている。
状況も立場も、すべて忘れて見入っていた。
自らの常識を跡形もなく破壊するような規格外の存在。
とんでもない何かが、目の前にいる。