37 薄霧の森
朝一番で王都を発ち、馬車で北西部へ向かう。
整然と積まれた装備品と補給物資。
山積みのパンをおいしそうだなぁ、と見ていたら「絶対食べちゃダメだからね」とルークに言われてしまった。
失礼な!
人のものを食べるなんて最低なことしませんとも!
自分がされたと思ったら、そんなにひどいこと他にないし。
「ちゃんと自分の分は持ってきてるってば」
鞄に詰めたパンの山を見せると、ルークは「その中身、全部パンだったんだ」と微笑む。
笑いが取れてちょっとうれしい。
上機嫌で私はパンをひとつ取り出して食べる。
一番人気のカスタードクリームクロワッサン。
さくさくとした食感と、口いっぱいに広がるカスタードクリームの甘い風味。
しあわせ味だなぁって目を細める。
流れる景色。
窓の外には王立騎士団の人たちの姿もある。
今回の作戦に参加するのは、総勢百名ほど。
うち半分が王宮魔術師で、残り半分が王立騎士団の騎士さんたちになる。
参加した騎士さんたちの中には、長年王子殿下の王の盾を務めていた凄腕の騎士さん――現第二師団長のビスマルク・アールストレイムさんという人もいるらしい。
ルークいわくその人と私たちの三人が、王子殿下からご指名を受けて今回の作戦に参加しているのだとか。
なんでそんな人たちの中に加えられているのだろう。
ああ、パンおいしいなぁ。
理解不能な状況が受け止めきれず、現実逃避をする。
その一方で、頬がゆるんだ出来事もあった。
それはルークが小隊長として、参加する部下の人たちに指示をしていたこと。
立派に上官としての仕事をしていて、なんだかうれしくなってしまった。
あんなクソガキだったのに、立派になっちゃって……!
身長が同じくらいだった頃から知っている身としては、すごく感慨深い。
昔のルークは他の子より身長低かったんだよね。
今は大きくなってるけど。
一方で私の身長は一ミリも伸びてないけど。
やっぱり神様に強く抗議したいところだけど、ともあれ友人が立派に仕事してる姿というのは心強いし、ほっこりする。
そんな感じで馬車に揺られること数時間。
到着した『薄霧の森』はその名前の通り、霧の立ちこめた森だった。
いや、名前の通りというのは違ったかもしれない。
「こんなに霧が濃いんだ」
薄霧と名前についているけれど、立ちこめている霧は想像していたよりずっと濃い。
少し離れると、そこにいる人の顔もわからなくなってしまうくらい。
「いや、何度か来ているけど普段に比べ霧が濃い。というか、ここまで濃い霧は自然発生したものじゃない線を疑うべきだと思う」
「自然発生したものじゃない……?」
考えて、はっとする。
「水属性魔法」
「その可能性が高い」
真剣な顔でうなずくルーク。
「私の魔法で吹き飛ばす?」
「有効な手だと思うけど、向こうにこちらの存在を悟られるリスクもある。まずはもう少し情報を集めよう」
周囲を警戒しつつ、森の中へ。
水気を含んだ空気は、ひんやりと冷たい。
《気配探知》
周辺の魔物や生き物の気配を探る魔法。
結果、わかったのは周囲にまったく生き物がいないということだった。
動物の気配もないし、鳥の鳴き声もまるで聞こえない。
孤立しないよう気をつけながら周囲の探索を続ける。
おびただしい数の小さな足跡を見つけて、私はルークを呼んだ。
「ねえ、これって」
「おそらく――ゴブリンロードの軍勢」
ゴブリンロード。
魔素濃度の高い場所で自然発生するゴブリンの上位種だ。
統率力に特化し、周囲のゴブリンを補助魔法で強化して巨大な群れを作り上げる。
観測された最大の群れは、千近い数のゴブリンがいたとか。
村や町に大きな被害をもたらした例もあることから、脅威度5の災害級指定も受けている。
とはいえ、ゴブリンは強い魔物ではないし、ゴブリンロードの群れもAランクの冒険者が連携すれば十分討伐できる難易度。
王宮魔術師と王立騎士団の騎士さんがこれだけ編成されているのだから、まず苦戦するようなことはないはずだ。
しっかり討伐して期待に応えなきゃ。
でも、この辺りは魔素濃度が低い地域だし、ゴブリンロードなんているのはおかしいんだけどな。
首を傾けていたそのときだった。
水たまりで小さな波紋が揺れる。
大地がかすかに振動している。
――いる。
「ノエル、霧を」
「任せて」
《疾風》
強烈な風が周囲の霧を吹き飛ばす。
しかし、視界がクリアになってもそこにゴブリンの群れの姿はない。
《解呪》
隣でルークが起動したのは、補助魔法を打ち消す魔法。
そうか、隠蔽魔法がかかっていたから《気配探知》で反応がなかったんだ。
透明な薄壁がはがれ、その奥から姿を現したのは膨大な数のゴブリンの軍勢。
そして、その奥に見えた大木のような緑色の脚に私は息を呑んだ。
違う。
ゴブリンロードは大型の魔物だけど、これはあまりにも大きすぎる。
オーガどころか、もはやドラゴンに近いサイズに達している緑色の巨人。
魔素濃度が極めて高い地域でごく希に発生するゴブリンの最上位種――ゴブリンキング。
脅威度8の災害級指定を受け、過去には都市を壊滅させた例もある化物。
理解する。
王子殿下がルークと第二師団長。そしてこれだけの部隊を編成した理由を。
明らかに私には、荷が重すぎる状況。
だけど、折角期待してもらえてるんだ。
怯えてばかりじゃいられない。
「行くよ、ルーク」
「君ならそう言うと思った」
ルークはやれやれとため息をついて言った。
「君が行くならどこへでも」
親友と二人、敵と向かい合う。
戦いが始まる。