31 打診
「なあ、レティシア。悪いがちょっと金貸してくれ」
王宮魔術師団、ガウェインの執務室。
上官の言葉に、レティシアは冷たい目を向けた。
「いったい何に使ったんですか」
「ちびっ子新人に肉を奢ったら腰を抜かす金額を払わされてな。あれで、すべてが狂った。あとは、久しぶりに王都に来た後輩に飯を奢ったのが地味に痛かったな。最後に褒賞として個人的なボーナスを払ってたら金がまったくなくなった」
「なんで持ってないのにボーナス払うんですか」
「がんばってるやつには相応のものをやるのは先輩として当然のことだろ」
「だからってそれで無一文になったら何の意味もないでしょう」
レティシアはため息をつく。
「まったく貯金してなかったんですか」
「宵越しの金は持たない主義なんだ」
「そういう侠気みたいなの、まったくかっこよくないですから。ただのダメ人間ですからね、それ」
「仕方ねえだろ。金が勝手になくなっていくんだから」
ガウェインは首をひねって言う。
「俺自身はそこまで使ってないはずなんだがな」
その言葉が事実であることをレティシアは知っていた。
ガウェインは決して自身の生活における金遣いが荒い方ではない。
酒もギャンブルも節度を持ってやる類いの人間だ。
だが、周囲の人間のためとなるとそれは一変する。
『あのテーブルの会計も一緒で』
後輩を見かければ、例外なくその代金を代わりに払い、
『お前、今日よかったな。これで好きなもの買え』
結果を出した部下には必ず少なくない額の褒賞を渡し、
『おう、お前ら好きなだけ飲んでいいぞ。俺が許す』
酒の席ではどんなに規模が大きくても一人ですべての支払いをする。
昔ながらの侠気的価値観を強く持ち、身内に対してはとことん甘い。
必要だと判断すれば、借金してでも金を出してしまうのがガウェイン・スタークという人間なのだ。
倹約家であり、銅貨までしっかり家計簿に記録するレティシアからするとまったく信じられない。
あれだけの給与をもらってまさか貯金ゼロとは……。
自身が口座に貯めた老後まで安心して暮らせる額の貯蓄を思い浮かべて、その差にレティシアはため息をつく。
「給料日までまだ一週間以上ありますよ」
「だからこうやって頼んでんじゃねえか。俺だって本当はこんなこと言いたくねえが、黙って余所で借りるとお前がめちゃくちゃ怒るし」
「当然です。契約書読まないせいで狂気的な額の利息払ってましたからね、以前の隊長は」
「別にいいだろ。俺の金なんだし」
「それで破産しかけてたのはどこの誰ですか?」
「……面目ない」
「しっかりしてください。あなたが隊長でいてくれるおかげで、救われている部下も大勢いるんですから」
ガウェイン率いる三番隊の結束は他の隊に比べても際だって高い。
挑戦した結果のミスは決して責めず、「もっとミスしていいからな。責任は俺が取る」と深い懐で受け止める隊長の性格は、失敗を怖がらずに力を発揮できる隊の空気を作っている。
そんなガウェインの人間性は、レティシアも好ましく思っていた。
問題も大いにあるが、それでも自分以外の誰かのために行動できるのは人として尊敬できる資質だ。
そうでなければ、余所で借りるくらいなら自分から借りなさい、と叱って借金額を管理したりはしない。
「大切に使ってくださいね」
「悪い。恩に着る」
生活できる必要最低限の額をレティシアから受け取るガウェイン。
「それから、仕事の話なんだが」
「なんですか?」
「ちびっ子新人をこれからどう育てるかだ。うちの隊にとっては閑散期の分、新しいことを経験させるには打って付けだろ。とりあえずは魔法薬研究班に助っ人として貸しだそうと思ってるんだが」
「いいと思いますよ。魔法薬についても知識があるようでしたし」
「だが、思わぬところから打診があった。いったい誰からだと思う?」
神妙な面持ちガウェインは言う。
「ミカエル王子殿下だ」
その人物の名前に、レティシアは言葉を失うことになった。
「まさか、王の盾」
「そういうことだ」
王族の身辺警護を担当する特別部隊、王の盾。
王立騎士団と王宮魔術師団の精鋭しか入ることのできないその部隊の打診は原則として聖銀級以上。
入団して間もない新人が声をかけられるなんて常識的に考えればありえない話だ。
「しかし、あの子はまだ翠玉級ですよ」
「打診があったときは白磁だった」
「白磁の段階で……」
「階級を度外視しても王の盾に加えたいという考えらしい」
「でも、前例もありません。そんなことをすれば間違いなく問題になります」
「そうなっても構わないという考えなんだろ。それだけ高く評価しているってことだ」
レティシアが伝えられた事実を現実として受け止めるまでには少なくない時間がかかった。
王国において最高位に位置する一人である王子殿下が、自ら人事に口を出し新人を近衛部隊に加えようとしている。
異例中の異例。
自身の知る常識では起こりえないはずの出来事。
王子殿下の意向を拒絶できるような人間は王宮にはいない。
打診があった段階で、それは既に確定した現実としてそこにあると言える。
「それで、あの子はいつ異動になるんですか?」
自身を慕ってくれた頑張り屋の小さな魔法使い。
少し寂しく思いつつ言ったレティシアに、ガウェインは言った。
「いや、断った」
「は?」
レティシアは少しの間固まってから言う。
「えっと、冗談ですよね」
「こんな冗談言うわけないだろ。下手すりゃ不敬罪で投獄だぞ」
「断る方がおかしいです! 王子殿下のご意向ですよ。拒絶なんてすれば、隊長が降格になる可能性も」
「別に構わねえさ。そんなこと怖がって自分が正しいと思うことをしない方が間違ってる。王の盾になるにはいくらなんでも経験が足りない。失敗していい立ち位置で好き勝手やらせるくらいがちょうどいいんだ、今のあいつには」
当然のように言うガウェイン。
レティシアの視線に気づいてにっと目を細めた。
「心配すんな。ちゃんと腹割って話せば殿下もわかってくれた」
自分以外の誰かのために傷つくことを恐れず身体を張ることができる。
やっぱり尊敬に値する人だ、とレティシアは思う。
調子に乗って吹聴するのがわかっているから、そんなこと絶対に口には出さないが。
「今一文無しなのに、降格になったらどうするつもりだったんですか」
「何も考えてなかったな……やべえ、マジで危なかった……」
ぞっとした顔で言うガウェインに、ため息をついてレティシアは言った。
「まったく、本当にこの人は」






