24 片思い
一番でなければお前に生きている価値はない。
父は僕にいつもそう言っていた。
多分物心つく前からだったと思う。
その言葉は、僕の隣にいつもいた。
影のように、ぴったりくっついていた。
一番にならないと、父に認めてもらえない。
あの頃僕はずっとそのことを恐れていたように思う。
誰よりも優れていなければいけない。
僕は何かに追い立てられるように一番を目指した。
人は僕を天才と呼ぶ。
だけど、本当はそうじゃない。
ただ、膨大な量の準備と努力を積み上げただけのことだ。
僕は常に一番だった。
神童と呼ばれてちょっとした有名人だったし、人にうらやまれることも多かった。
『ルークはほんとすげえよなぁ。めちゃくちゃ恵まれてんじゃん、才能に』
『家柄も良いし、顔も良い。何より魔法の才能が人智を越えてる』
『お前みたいになりたかったよ、俺も』
そうした周囲の評価は、いくらか僕を慰めてくれた。
『そうだ。それでいい』
父の言葉がうれしくて。
厳しい父に認めてもらえる自分は特別な存在で。
だから、絶対に負けてはいけない。
一番でない僕には何の価値もないから。
王都の名門魔術学院に首席で合格した。
順風満帆。
誰もが羨む完璧な人生。
しかし最初の定期試験で、僕は人生で最も衝撃的な出来事を経験することになる。
魔法式構造学基礎のテストで、初めて一番を逃したのだ。
怒りと恐怖で目の前が真っ白になった。
公爵家嫡男として。
そして非の打ち所がない完璧な優等生としてのあるべき振る舞いも完全に忘れ、僕は言っていた。
『とんでもないことをしてくれたな、お前。平民風情が、この僕に勝つなんて……!』
それが変な平民女との出会いだった。
自分が何を考えてそんなことを言ったのか今はもうまったく覚えていない。
ヴァルトシュタイン家の人間である僕が脅せば、平民女が怯むという計算があったのかもしれないし、あるいは何の計算もない衝動そのままの言葉だったのかもしれない。
いや、計算高い僕のことだから、おそらく前者の意識が多少はあっただろう。
だけど僕は知らなかった。
その平民女が、公爵家の名前に屈するような相手ではなかったということを。
『誰が平民風情よ! 私はお母さんが女手一つで一生懸命働いてくれてこの学校に通えているの! そのことに誇りを持っているし、公爵家だろうがなんだろうが知ったことじゃない! あんたなんか百回でも千回でもボコボコにしてやるわ!』
おそらく僕は火に油を注いでしまったのだろう。
だが、だからと言って怯む僕ではない。
上等だ。
真正面から徹底的に叩きつぶしてやる。
たった一度まぐれで勝っただけ。
地力なら僕の方が上に決まっている。
ところが、そんな僕の予想はまたもや裏切られることになった。
『ふふん! 見たか、えらぶりおぼっちゃまめ!』
次のテストで、僕は二つの科目で彼女に負けたのだ。
『この調子で全部勝って次は完全勝利してやるんだから! 首を洗って待っていることね!』
全身が沸騰しそうだった。
彼女への怒り以上に、負けてしまった自分が許せなかった。
僕は全力でテスト勉強に励んだ。
あんないけ好かない平民女に負けてたまるか……!
季節が過ぎていく。
気がつくと、僕の生活は彼女を中心に回っていた。
三年が過ぎて、僕は未だに全科目で同時に一番を取ることができずにいた。
それどころか、過半数の科目で彼女に負けることさえ少なくない有様。
『この歳でここまで優秀な生徒は見たことがない』と教師たちは目を丸くしていたけど、僕の心にあるのは乾きだけだった。
一番にならないと僕に生きている価値はないのに。
勝たないと。
絶対に勝たないといけないのに。
だけど、そんなある日事件が起きる。
父の浮気が発覚し、家の中が激しく荒れたのだ。
母を泣かせておいて、保身のための言い訳を並べる父を僕は心の底から軽蔑した。
こんな人に認められたくてがんばっていたのか。
そう思うと、世界の見え方がまったく変わってしまった。
自分をすり減らして今日まで懸命に努力して。
だけど全然満たされなくて。
この世で自分が一番不幸なんじゃないかとさえ思えるくらいで。
これだけがんばってもこんなに空しいなら、生きている意味なんてあるんだろうか。
そんな物思いに沈んでいたときのことだった。
「ごめん、あんたにだけは絶対に聞きたくないと思ってたけどどうしてもわからないところがあって」
断る理由もなかったので教えてやった。
すると、どういうわけか平民女は何かと僕に寄ってくるようになった。
面倒だったから適当に相手をしていた。
そんな日々の中で、不意に平民女が言った。
「あんたって涼しい顔でやってそうに見えて結構努力家だよねぇ」
「なに、いきなり」
「いや、教え方ににじみ出てるもん。わからない人に対する理解度がすごいし。最初からできたんじゃなくて、できるまでやってる人なんだなって」
「悪かったな、不器用で」
僕はその言葉を否定として受け取った。
簡単に一番になれる理想の自分。
父が望む自分。
そうなれなかった僕への否定だと。
だけど、平民女は言った。
「私はそういうあんた、良いと思うよ。ライバルとして一緒に競い合うなら、ちゃんとがんばってる人の方がずっといい。私もやらなきゃって勇気をもらえるから」
夕暮れの日差しが射し込む教室。
にっと目を細めるその笑みをなぜか僕は今でも覚えている。
「つらいこともあるかもだけど、元気出せ。一緒にがんばろう、ルーク・ヴァルトシュタイン」
それからのことは正直あまり話したくない。
ひどく月並みでどこにでもあるような話だ。
何かと寄ってくる平民女を気づいたら目で追っている自分がいて。
そんなことあるわけないと何度も否定して。
なんであんな平民女なんか、って思おうとして。
思えなくて。
気づいたら、どうしようもなく好きになっていた。
そんなありきたりでつまらない話。
一緒にいられるだけで幸せだった。
「よっ、元気?」って肩をたたかれただけでうれしくなってしまって。
だけど、悔しいし絶対に気づかれたくないから、意識していないふりをする。
そもそも、僕は公爵家の人間で彼女は平民なのだ。
結婚なんて認められるはずがないし、だから思いを伝えても最後に待つのは悲しい結末だけ。
たとえ思いが通じても、最後には別れの時が来てしまう。
何より、僕のわがままで彼女を傷つけるのが嫌だった。
僕は彼女に幸せでいてほしくて。
僕の望み以上に、そっちの方が僕にとっては重要だから。
あきらめないといけない。
そうわかっていたはずなのに。
――結局、ここまでしちゃうんだから本当に愚かだよな、僕は。
最短で聖金級になって、反対の声がある中強行で相棒として彼女を連れてきて。
一緒に過ごせる時間を作って、彼女が気づいてくれないかな、なんて少し期待しながら、
もし奇跡が起きて彼女が受け入れてくれたときのためにって、結婚を認めさせる準備までしてる。
何より、ここまでいろいろしておきながら、
彼女が気づかず友人として隣に居続けられるなら、一生このままでも幸せなんじゃないかなんて思っているのだから。
本当にどうしようもない愚か者だ。
心の底から、そう思わずにはいられない。
(仕方ないだろ。どんな形でもいい。傍にいたいと思ってしまってるんだから)
絶対にあきらめたくないたったひとつ。
「さあ、来い!」
ムードもへったくれもない言葉に誘われて夜の庭園で彼女と踊った。
彼女は僕を友達としか思ってなくて。
ここまでずっとそうなのだから、もう恋愛対象として見てもらえるタイミングはとうに過ぎているのかもしれなくて。
だから、この恋は決して報われることはないのかもしれない。
それでも、期待せずにはいられないんだ。
いつか、君も僕のことを思ってくれる。
そんな日が来たらいいなって。
満月の下、君と踊る。
僕は君に恋をしている。