233 殿下の見てきたこと
「八歳の頃、私は高熱でうなされて生死の境を彷徨った。全身の生命力を根こそぎ干上がらせるような高熱だった。痛みを痛みと感じなくなり、苦しみを苦しみと感じなくなるまでに私は衰弱していた。母親代わりだった乳母がずっと私の手を握ってくれていた。父と母は公務で国を離れていた」
殿下は静かに口を開いた。
「私は乳母が死ぬ夢を見た。ひどく悲しい夢だった。泣きながら目覚めた私は、それが夢だったことに心から安堵した。その夢を境に私の身体は急速に回復していった。すべてが良い方向に進んでいると無邪気に思っていた。だが、私の身体が完全に回復した朝に乳母は死んでいた。私が夢に見たのとまったく同じ光景が広がっていた」
言葉は淡々と続けられた。
美しい人形のような彼が何を考えているのか私にはわからなかった。
「それから、私は気がかりな夢を見るようになった。その夢はそれまで見ていた夢とは何かが違っていた。流れが破綻した部分が細部に至るまで一切無かった。すべてが現実のようにリアルで整合性が取れていた。それらの夢が、数日後に起きる出来事を私に伝えていたと気づいたのはしばらく後になってからのことだ」
殿下は言う。
「一般的に言えば予知夢と呼ばれるものだろう。なぜそのようなことが起きたのかはわからない。アーデンフェルドの王族は、かつてこの地にいた予言者の血を引いているという伝承があるからそれが理由なのかもしれない。いずれにせよ、私は未来の出来事を夢に見るようになった。それらの多くは悲劇に分類される事柄だった」
殿下は唇を引き結んだ。
「北部で起きた大洪水。少なくない人々が亡くなった古城の崩落事故。唯一の友人だった幼なじみの死。命は簡単に失われた。そこにあったものは耐えられないほどに軽く消えてしまった。私は未来を変えようとした。方々に手を尽くし、どんな手を使っても失われる運命を変えようとした。だが、その試みは一度もうまくいかなかった。いつも失敗した」
殿下は目を伏せた。
「失敗するたびに、自分の無力さを痛感した。第一王子だったとしても、子供で何の実績もない自分にできることはほとんどなかった。力が必要だと感じた。幸い、頭は良かった。人目を惹く結果を出すことは難しいことでは無かったし、見えた未来の断片を再構成してある程度の未来予測ができるようになっていた」
「もしかして、殿下が未来が見えると称されているのは――」
「それが理由だよ」
殿下はうなずいてから、目を伏せた。
「だが、そこまでしても未来は変えられなかった」
自嘲するみたいに殿下は続けた。
「私が何をしても、どんなに手を打っても世界は異なる形で代償を持って行った。救おうとした人たちは必ず失われた。過程は変えられても結果は変えられなかった。絶対に安全な魔導性のシェルターの中に軟禁しても、機器がショートして内部の酸素が無くなっていたりね」
殿下は人形のように静かな表情で言う。
「無力だった。賞賛の言葉は皮肉にしか聞こえなかった。止められない悲劇を見るたびに心が死んでいった。何を見ても何も感じなくなった。空しかった。ただただ空しかった。すべてが色あせて見えた。富も、名声も、交友も、遊戯も、私の心を動かすことはなかった」
形の良い瞳がすっと動く。
私に向けられる。
「そんなときに見つけたのが君だった。君はあの日、ガウェイン・スタークに負けるはずだったんだ。私はその光景を夢として見ていた。なのに、君は彼と対等に渡り合った。立っていられなくなるほどの衝撃だった。取り繕うのが大変だったよ。それがどれだけ大きなものだったか、君には多分わからないと思う」
黄金色の瞳に光が宿る。
「予感があった。この子なら、変えられない未来を変えられるかもしれない。私はあらゆる手を使って悲劇が起きる場に君を送った。君はいつも私の期待に応えてくれた。期待していたよりもはるかに大きな成果を持ち帰ってくれた」
そこには本当の喜びの感情があるように感じられた。
「私にとって君がどれほど眩しく見えたか。救いだったか。私にとって君は地獄のような世界から救ってくれるたったひとつの希望だったんだよ」
それは、まったく予想していない言葉だった。
戸惑う。
混乱する。
何も言えない。
何を言えばいいのかわからない。
「君と私が力を合わせれば、失われるはずだったたくさんの人を救うことができる。だが、それはあくまで対症療法だ。脅威をもたらしている敵を排除しなければ状況を根本的に改善することはできない」
「敵がどこにいるのか殿下はわかっているんですか」
「いくつかの予知夢をつなぎ合わせることで、大まかな目星はついている」
殿下は言う。
「おそらく、糸を引いているのは元老院で最も大きな力を持つ最高議長だ。彼は何らかの理由でアーデンフェルド王国を大陸から消そうとしている。そこには、例の【教団】も関係している。もっと言えば、【教団】を主導している黒幕が最高議長である可能性が高いと私は考えている」
「黒幕が帝国元老院の最高議長……?」
予想外の言葉に戸惑う。
「どうして最高議長がそんなことを?」
「正確な理由はわからない。だが、彼はアーデンフェルドの魔法技術と迷宮資源を欲しているように見える。そのために緋薔薇の舞踏会で暗殺者を送り込み、薄霧の森に変異したゴブリンエンペラーを放った。狂化させた飛竜種を放ち、ヴィルヘルム伯を唆して幼い弟の殺害と免税特権の廃止を企てた。形になっていないものも含めれば、他にも同様の動きは多くあったはずだ」
殿下は低い声で言う。
「財政状況が芳しくないというのも好機だと捉えているんだろうね。あるいは、それも彼らにより仕組まれたことなのか。アーデンフェルドを守るために、私は帝国を内部から切り崩すことにした」
唇を引き結び、黄金色の瞳で私を見つめた。
「帝国内に多数の間者を送り、莫大な量の情報を収集し続けた。帝国貴族のプロフィールと思想、交友関係のほとんどを把握している。そのうちの何人かとは既に深い関係を築いている。帝国の中には、私の一存で動かせる者たちが多くいるが、敵はそれに気づいていない」
「殿下は何を狙っているんですか」
「最高議長を無力化し、【教団】を解体する。その上で、帝国西部地域の実権を握り、アーデンフェルドを狙う者たちが何もできない状況を作る」
殿下には殿下が見てきた真実があり、信じる大義があるように見えた。
そこに納得できる部分があったことに少しほっとする。
だけど一方で、まだ納得できない部分も残っていた。
「殿下の狙いはわかりました。しかし、あまりにもリスクが大きいと感じます。帝国はアーデンフェルドを狙ってるんですよ。帝国内で影響力を強めるためとはいえ、そんな相手に強力な武器を配れば、今まで以上の脅威にさらされるのは間違いない」
「君の意見は正しい。武器に何も細工がなければ、ね」
私は息を呑む。
「細工があるんですか?」
「あの武器を使って帝国がアーデンフェルドに攻め込めばその時点で我々の勝利は確定する。魔法技術に劣る帝国には仕掛けられた罠に気づけない」
「そこまで計算して……」
未来が見えていると称される頭脳。
予知夢の力も大きいのだろうけど、先を読む力自体も常人より優れたものがあるように感じられた。
生まれ持った資質に加えて、幼い頃から予知夢で見た未来を変えるために挑戦と失敗を繰り返してきた経験が大きかったのだろう。
背筋に冷たいものを感じる私に、殿下は言う。
「私はこの国を守るために行動する。それが私に課せられた使命だと感じるからだ。なぜ第一王子である私が予知夢を見るようになったのか。なぜ罪のない多くの人が目の前で失われていったのか。すべて、この目的を全うするためだ。そのために手段は選ばない」
「たしかにアーデンフェルドの人を守れる可能性はあるかもしれません。しかし、一歩間違えれば取り返しのつかないことになる。帝国内で誠実に生きている人々が貴方の武器で傷つけられ、失われる可能性があるんですよ」
「リスクを取らなければ何も得ることはできない」
殿下は表情を変えずに言った。
沈黙が部屋を包んだ。
「残念だけど、君がどんなに思いを込めて話しても状況は変わらないよ」
殿下は形の良い目を細めて言った。
「言っただろう。私はもう人が死んでも傷ついても、何も感じない。心がない悪魔のようなものなんだ」
【お知らせ】
単行本の発売時期が、大人の事情で少し先になりました。
今回webで読んでくださっている読者さんと書籍版の読者さんに、
同じタイミングで七章のクライマックスのシーンをお届けしたいなと思っています。
長めの一話を分割して週一の更新を維持する方法も検討したのですが、
自分としては一番良いと感じる形でお届けすることを優先したいな、と。
(全力を尽くして書いたものを薄めて出したくなかったのです)
一話の密度を下げずにペースを調整するため、二ヶ月の間隔週更新になります。
お待たせしてしまう形になってごめんなさい。
何もせずお待たせするのも申し訳ないなと思いまして、このタイミングで一年以上かけて制作していた新作を投稿することにしました。
『声が出せないので無詠唱魔法でもいいですか!!!』という作品です。
(https://ncode.syosetu.com/n9060le/)
毎日四話ずつくらいのペースで更新して、三週間以内に完結する見込みです。
よかったらお待ちいただいている間の楽しみとしていただけるとうれしいなって。
『ブラまど』次回の更新は10月25日です。
見つけてくれて、いつも読んでくださって本当にありがとうございます。
よかったら、引き続き応援してくださるとうれしいです。