232 背後にあったもの
アーデンフェルド王国迎賓館。
帝国元老院議員であるカシウスさんと殿下の二日目の会合が行われていた。
当初は一時間程度の軽い話し合いの予定だった。
だけど、既に会合が始まってから三時間が経過している。
殿下から届いた伝言によると、予想していたよりもカシウスさんの反応が良く、後日行うことになっていた細かい話し合いも今日のうちにしてしまおうという話になったらしい。
順調に進んでいるならいいことだな、と思うのだけど待機しているのはなかなか暇だった。
(真剣な顔だけしつつ、脳内で今日の晩ご飯についての妄想をしよう)
自分の身体が求める一番食べたいメニューを考える。
(今日はテイクアウトの気分かもしれない。お弁当を三種類買って、お惣菜は揚げ物を中心に。そうだ、あのお店の魚の塩焼きすごく美味しそうだったっけ)
塩焼きされた魚の甘塩っぱい味を想像してうっとりしている私の視界の端で、会議室の扉が開いた。
妄想していたせいで一瞬反応が遅れたけど、慌てると気を抜いていたのがバレそうなので、あえてゆっくりとした所作でサヴァレンさんに続く。
会合はうまくいったみたいだった。
殿下とカシウスさんの間には親密な空気が漂っている。
「例の件、くれぐれもよろしくお願いします」
カシウスさんの言葉に、ミカエル殿下はにこやかに返す。
「任されました」
人の良さそうな笑み。
そこにはよく見ると少しだけ、作り物めいた気配が混じっている。
カシウスさんが乗った馬車を見送りながら、ミカエル殿下は小声で耳打ちした。
「決まったよ、サヴァレン」
囁くような声が風に乗って私の耳に届いた。
「帝国への魔法武器供与が」
「魔法武器供与が決まったってどういうことですか」
王宮の立ち入り禁止区画にあるミカエル殿下の執務室。
正面から見据える私に、殿下は口元をおさえて笑った。
「君は本当に面白いね。打てば響くどころじゃない。期待以上に私の求める動きをしてくれる」
「笑ってる場合じゃないでしょう。自分が何をしているかわかってるんですか」
私は言う。
「魔法武器の開発と製造は禁止されているはずです」
「君の言う通りだ。だけどね。あの法律の条文に明記されているのはあくまで国内でのことだろう」
「どういうことですか」
「輸出するための製造を禁止するとは明文化されていない」
屁理屈だ、と思ったけど殿下が言うならおそらくそうなのだろう。
そういう法律の曖昧なところをうまく利用するのは、政治に長けた人たちのお家芸だから。
「だとしても、重要なのはその法律が何を禁止しているのかという本質じゃないですか」
「君の考えは正しい。だが、理想論に過ぎないという言い方もできる。世の中は複雑で危険の多いところだからね。強かで狡猾な立ち回りも現実的には必要になる」
「そもそも、どうやって帝国が納得する品質の魔法兵器を作ったんですか。王宮魔術師団は関与してないですよね」
「うちの国の魔法兵器開発技術はすっかり廃れてしまっているからね。でも、代わりに良いものを君が見つけてくれた」
「私が?」
「歌劇場に隠された違法武器製造拠点」
ミカエル殿下は言う。
「あそこはルーク・ヴァルトシュタインをさらった【竜の教団】と関わりがあるグループの拠点でね。私が改修して今も製造プラントのひとつとして稼働している。使われていた機材と製造法から多くのことを学ぶことができた。そこに最高難度迷宮の資源とアーデンフェルドの魔法技術が合わされば――」
「世界最高水準の魔法武器が作れるというわけですか」
私は殿下を睨む。
王室に仕える王の盾の筆頭魔術師としては不適切な言動かもしれない。
それでも、自分を抑えることができなかった。
強い怒りがある。
それは私を激しく突き動かし、揺さぶっている。
私の大好きな魔法を傷つけるための道具に使わないで。
「いったいどうしてそんなことをしないといけないんですか。お金に困っているというわけでもないでしょう」
「そうでもないよ。王国の財政状況が決して良いものでないのは君も知っているだろう」
「貴族層への免税特権が廃止されてある程度改善されたのでは」
「君が弟を治療し、ヴィルヘルム伯から守り切ったんだったね。たしかに改善されたというのはひとつの正しい現状認識だ。だが、私が求めるものからすると少なすぎる」
その言葉が、私は嫌だなと感じた。
人間らしい欲望の裏に、歪な危うさの気配が香った。
「殿下は何を求めてるんですか」
「知っているだろう。帝国を傀儡化し、その全土をアーデンフェルドの影響下に置く」
「帝国内で強い権限を持つ元老院議員と深く繋がるためのエサとして武器を提供するということですか」
強い口調で言う私に、殿下は答えた。
「あの武器はアーデンフェルドでしか作れないんだよ。帝国にはアーデンフェルドのような魔法技術も迷宮資源もない。あの武器が広がれば広がるほど帝国はアーデンフェルドに対して依存的になる」
「それが歪な構造であることは帝国もすぐに気づくはずです。歪みを解消するために強硬手段を執る可能性もある」
「その可能性は高いだろうね。ただでさえ少し前まで国土の南に向けて侵攻を続けていた国だから」
「戦争の火種を作ってどうするんですか。取り返しのつかないことになるかもしれないんですよ」
思わず語気が強くなる。
王国の要職を務める者として、国が戦争に向けて進もうとしているなら見過ごせない。
私の言葉に少し間を置いてから王子殿下は言った。
「君は今、アーデンフェルドが安全な状況にあると思っているのかな」
「そう考えている人がほとんどだと思います。戦争はもちろん他国との軍事衝突も百年近く起きてないですし」
「たしかに、アーデンフェルドほど治安が良く国外との関係が良好な国は珍しいと言われている。隣接する山岳地帯の雪解け水から得られる水資源。緑豊かな国土と優れた魔法技術を背景とした軍事力。未踏領域に面していることで得られる様々な資源の恩恵も大きい。だが、恵まれた国だからこそ他国の標的になる可能性も高くなる」
ミカエル殿下は言う。
「君は破格の速度で今の地位まで出世をした。誰よりも優れた成果を示し、実績を積み上げることができたからだ。だが、不思議だと思わないか。どうして君だけができたのか。なぜ君の周囲で国を揺るがすような事態が何度も起きたのか」
「な、なにを言ってるんですか」
息を呑む。
その言葉は、私がまったく気づいていなかった事実を私に伝えている。
幸運に恵まれて出世を重ねていたと漠然と思っていた。
その背後に何かがあるなんて考えたこともなかった。
「この世界には、観測者の数だけ異なる真実がある。私が見てきた真実を君に伝えよう」
ミカエル・アーデンフェルドは真っ直ぐに私を見つめて言った。
「少し昔の話をしようか」