231 彼と彼の見立て
(ふう。なんとか乗り切ることができた)
ミカエル殿下の無茶ぶりに応えた後、肩で息をする騎士さんを見つめつつ、私はほっと息を吐く。
想像できる一番強い相手をイメージする。
適応能力を活かす殿下のアドバイスは想像以上に効果的で、途中からは今までの自分よりも出力の高い魔法が使えていたように思う。
あくまでイメージだから、本当に強い相手に対応しているほどの力は出せてないかもしれないけど。
それでも、自分の魔法に対する理解度が今までより一段階深くなったのを感じる。
こんな少しのことで能力が上がるなんて。
いや、もしかしたらこういう小さな差が、大きな違いを生む何より大切なものなのかもしれない。
(他にも気づいていない伸びしろがあるのかも)
これから探していかなきゃ、と希望を胸に踏み出した私は鋭い痛みに硬直した。
激しい動きで抱える重大な傷――お尻のあれがちょっと開いたかもしれない。
知られたら生きていけないので、全力でシリアスな顔をしてごまかすことにした。
真剣な表情をする私に、元老院議員と王室の関係者さんたちは感心しているような顔をしていた。
いや、そんなに見ないで。
歩き方変になっちゃいそうだから。
秘密を隠すべく真面目な振る舞いをしているうちに、その日の会談は終わった。
定時に仕事を終えた私は、周囲に知り合いがいないことを何度も確認してから、細心の注意を払って薬屋さんに行ってお尻のあれの薬を買った。
◆ ◆ ◆
(まさか、あれほどまでの力を持っているとは)
元老院議員カシウスは、迎賓館の来客部屋で先ほどの模擬試合を思い返していた。
魔法界で話題の将来を有望視されている女性魔術師。
三人の帝国騎士を圧倒し、緊急時のために持たせていた迷宮遺物の黒狼も彼女に対して効果的な攻撃を当てられなかった。
恐ろしいほどの視野の広さと状況把握能力。
(立ち振る舞いも見事だった。試合の後は、威厳ある表情と所作を常に維持していた)
無駄に動くことはせず、凜とした立ち姿を維持する。
そこには何かの道を究めた達人にしか出せない威厳のようなものがあるように感じられた。
(教国大聖堂での戦いで、エヴァンジェリン・ルーンフォレストに匹敵する力を見せたという噂にもいくらかの事実が含まれているのかもしれない)
世界の裏側で広まりつつある噂。
秘密主義を貫く教国大聖堂でのことだったため、表側の世界では広がっていないが、その情報は大陸中に複数の情報網を持つ有力者たちの間では、知らない者がいないほどに共有されている。
信じていない者も多い。
世迷い言だと断ずる者もいる。
しかし、カシウスの目にはあり得ない話ではない実力者として彼女の姿は映っていた。
(アーデンフェルドの魔法技術は帝国のそれを明らかに超えている。国力では比べものにならない小国だと思っていたが、考えを改める必要があるかもしれない)
カシウスは思う。
(容易には攻め滅ぼせない。あるいは、協力関係を結ぶ価値もあるか)
「心から申し訳ないと思っている。貴方に盗み見のようなことをさせてしまうことになった」
王宮の一室。
ミカエル・アーデンフェルドは美しい所作で目の前の相手に頭を下げていた。
顔を上げ、真っ直ぐに見つめてから続ける。
「今後もう二度とこのようなことはないと約束する」
「構いません。望む通りにお使いください。私は王国の剣です」
低く威厳ある響き。
人生のすべてを注いで積み上げてきたからこそ生まれる深みと風格がそこにはある。
幾多の戦いを経験して未だ無敗。
齢五十を超えてなお、近距離戦闘では他を圧倒している。
王立騎士団団長にして王国最強の騎士。
剣聖――エリック・ラッシュフォード。
「見事なものだったよ。彼女も、貴方の存在には気づかなかったように見えた」
「気配を消すことには慣れています」
剣聖は短く言う。
言葉には自意識の類いがまるで含まれていないように感じられた。
一切の迷いをそぎ落とされた達人の呼吸。
静かに口角を上げてから、ミカエル・アーデンフェルドは言った。
「貴方から見て今の彼女はどう見えた?」
黄金色の瞳が輝く。
剣聖は静かに口を開く。
「御前試合の頃よりも確実に力を付けています。状況に合わせて最適化することで力を増す適応能力自体に変化はありません。しかし、それを繰り返すことで彼女の力は着実に底上げされている」
「私の見解が間違っていなかったようで安心したよ。熱意と観察眼に適応能力が合わさって彼女は類を見ない速度で力を付けてきた。普段の力にはそこまでの変化は見えないかもしれない。しかし、格上の相手に対する適応能力の限界値は間違いなく上がっている」
ミカエルは言う。
「教国大聖堂での戦いはその最たる例だ。あのときの彼女は一時的に通常時をはるかに超える力を手にしていた。資料を読みながら興奮が抑えられなかったよ。数年前から教国に送り込んでいた者たちを秘密裏に動かし、薬剤を破壊させてヴァルトシュタインへの投薬を遅らせた甲斐があったというものだ」
剣聖は表情を変えずに聞いている。
ミカエルは続ける。
「今一度貴方に問いたい。彼女の適応能力の上限はどこなのか。種族と経験の差を超え、この世界の頂点に届きうる可能性があるのか」
剣聖は静かに目を閉じた。
吹き抜ける風にその身を預けて瞑想しているかのように見えた。
「未来のことは私にはわかりません。彼女がこれからどうなるかについては無数の不確定要素が影響する。あくまで現時点で、適応能力の上限に絞って見解を述べます」
剣聖は言う。
「彼女の適応能力には上限がないように見えます」
「上限がない?」
ミカエルは瞳を揺らした。
「それはどういうことを言っている?」
「言葉通りの意味です」
息を呑んでから声を漏らすミカエル。
「そんなことがあるのか……?」
「もちろん肉体的制約はあります。この世界の基本法則から逃れることはできません。その意味では限界はあるはずです。しかし、能力自体の上限は見えない」
「人理を超えた神域にも届く可能性があると貴方は言うのか」
「私の目にはそう見えます」
ミカエルは身じろぎもせず中空を見つめていた。
それから、握りしめた拳を小さくふるわせて言った。
「素晴らしい……彼女はいつも私の想像を超えてくれる」
形の良い口元が美しい三日月を描いた。
「ありがとう。これで計画を進めることができる」
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