229 王子殿下の提案
新しい同僚さんたちに挨拶を終えてから、サヴァレンさんのところに戻る。
王の盾における魔術師たちのまとめ役としてどういう風にお仕事されているのか観察しつつ、余裕がありそうなタイミングで気になったことを聞いた。
サヴァレンさんは親切かつ丁寧に教えてくれた。
人に教えるのが好きな人であるように見えた。
流れに乗って、今回の会談のことについても聞く。
相手は帝国において元老院議員を務める男性ということだった。
元老院は帝国内で皇帝に対する政治的助言ができる唯一の機関であるらしい。
加えて、帝国内における立法機関でもあり、帝国法のほとんどが元老院によって制定されている。
現在の皇帝陛下は政治にあまり関心が無く、実質的に政治を主導しているのは元老院であるとのこと。
結果的に元老院の権限は過去に類を見ないほど大きくなっているらしい。
その分、元老院内の権力闘争も熾烈なものになっていると言う。
保守派の元老院議員であるその人――カシウス・アルマティウスは父から受け継いだ地盤を元に大きな支持を集め、圧倒的な票数を集めて当選。
元老院最高議長との関係も深く、将来を有望視されている若手議員なのだと言う。
「新進気鋭の存在という感じですか」
殿下が好みそうな相手だと思いつつ、小声で聞く。
年齢は三十七歳。そこまで若くないようにも感じるけれど、平均年齢が六十歳近い元老院の中ではかなりの若手に分類されるそうだ。
「どういう方針の方なんですか?」
「保守派の中では思想が苛烈なことで知られています。血統が秩序の根幹であり、貴族だけが国を正しい方向に導くことができる。正しさを理解するためには知性と高度な教育が必要であり、平民に発言権を持たせることは伝統の破壊と混乱を招く」
「な、なるほど……」
思っていた以上に強火な思想だった。
平民出身の私からすると、ちょっと同意はできないと言わざるを得ない。
(家柄とか血統とかそんなに大事なのかな)
貧しい部類の平民として生きてきた私なので、家柄とか血統を重んじる類いの考え方には違和感を感じることの方が多かった。
貴族は教育を受けていて頭が良く、平民は教育を受けていないから頭が悪いなんて言う人もいるけれど。
貴族にも頭が悪い人もいるし、平民にも頭が良い人がいるというのが私の感覚。
血統や家柄は本質ではなくて、その人がどういう人かというのがすべてだと私は思うのだけど。
多分、納得いっていない感じが顔に出てしまっていたのだろう。
サヴァレンさんは眉をひそめて私を見た。
「気をつけて下さい。ただでさえ、平民出身者を排斥しようと一部の貴族派閥が動いているのです。今の貴方は一挙手一投足が争いの火種になる可能性があります」
「ほ、本当ですね。失礼しました」
小声で言いつつ、慌てて姿勢を正す。
サヴァレンさんは唇を引き結んで言った。
「表情に出さないように聞いて下さい。加えて、あの方は少し危うさを感じる思想と方針を持っています」
「どういった思想と方針ですか?」
「帝国臣民の誇りを取り戻す。人間の人間による人間のための政治。武力により他種族を排除して、人々が安心して暮らせる世界を作る。竜が棲息する禁足地への攻撃を再開し、森妖精の住む大森林との交流を停止して、人間中心の世界秩序を作る」
「な、なかなか、その……か、過激って感じですね」
「言葉を選びましたね」
「選びました」
「良い姿勢だと思います」
褒められた。
政治の話はいろいろとデリケートだし、立場的には慎重すぎるくらいの姿勢で接した方がいいということだろう。
政治に関しては正直関心が無いし、頭の良い人にお任せしたいというのが基本方針の私なので、そういう意味でこの役職は向いているのかもしれない。
(とはいえ、武力で他種族を排除しようとする思想と方針については、私としては納得しづらいところがあるけど)
ドラゴンさんや森妖精の人たちとも交流がある私としては、仲良くすればいいのにと思わずにはいられない。
どうして争いは起きてしまうのだろう。
みんなで仲良く暮らすことはできないのだろうか。
争いなんてやめて、毎日一緒に楽しくおかわりし放題パーティーすればいいのに。
哲学的なことを考えているうちに会談が終わった。
扉が開く。
サヴァレンさんに続いて、ミカエル殿下の傍に移動する。
「なるほど。それは面白い試みですね。アーデンフェルドの魔法技術も確認することができる」
元老院議員カシウスさんの言葉に、ミカエル殿下はうなずいた。
「気に入っていただけて何よりです」
「それで、例の王宮魔術師というのはどの方ですか? 今後は王の盾の筆頭魔術師を務める予定で、今日も来ているとのことでしたが」
(あれ? もしかして私のことかな?)
どうやら会議の中で話題に上がっていたようだ。
帝国で開催された国別対抗戦でも活躍したし、最近は教国の大聖堂を窮地から救ったりした。
魔術師としての私の知名度は帝国の中でも知られるようになっているのかもしれない。
(ふふふ。私も有名人の仲間入り)
カシウスさんの前で胸を張り、存在に気づいてもらえるようにアピールする。
しかし、目を合わせたりはしない。
有名人的には、あくまで向こうから気づいてもらうのが大事なのだ。
違う方向を見ている風に装いつつ、周辺視野でカシウスさんを捉える。
辺りを見回していた視線が私を見て止まる。
しばらくの間何も言わず見ていてから、口を開いた。
「姿が見えないようですが」
「いますよ。カシウスさんの目の前に」
「なるほど。いたずらがお上手ですね、殿下。小さな子供に筆頭魔術師の衣装を着せて私をからかうとは」
カシウスさんの言葉に殿下は笑みを隠すみたいに口元を抑えた。
それから、目を細めて言った。
「小さな子供ではありません。彼女がノエル・スプリングフィールドです」
「…………」
私は顔を俯けて、屈辱にふるえていた。
なぜこの年で子供扱いされなければならないのか。
笑われなければならないのか。
おかしい。この世界は間違っている。
「信じられない。この子が」
カシウスさんは私を見つめて言う。
「少しかわいそうになって来ました。余興ではなく、ただのいじめみたいになってしまうのでは」
「心配する必要はありません。彼女の実力は本物ですから」
ミカエル殿下は言う。
「カシウスさんが連れている帝国の精鋭騎士が相手でも、攻撃魔法を使わずに圧倒できる。今からそれをご覧に入れます」
金色の瞳が私に向けて細められた。
「できるよね」
私は『なに言ってるんだこいつ』と思った。
どうやら、私は殿下にずいぶんな無茶ぶりをされているらしい。
状況を理解した私は殿下をカシウスさんから引き剥がして、小声で抗議をした。
「なんで私が帝国の精鋭騎士と模擬試合なんてしないといけないんですか!」
「それが彼の信頼を勝ち取る上で一番効果的なアプローチだと判断したから。君ならあれくらいの相手問題ないだろう?」
目を細めるミカエル殿下。
「問題しかないですって! 帝国における騎士職って一番優秀な人が集まる役職ですよ」
私は帝国騎士さんたちを横目で見ながら言う。
「見ただけでわかりますもん。オーラが明らかにただ者じゃないですって」
「君なら大丈夫だよ。あと、一切の攻撃魔法を使わないと約束してるから」
「殿下は私をいじめたいんですか」
「そういう気持ちがまったくないと言えば嘘になるかな」
ミカエル殿下は微笑んだ。
芸術品のような口元が三日月を描いた。
「君はリアクションが本当に面白い」
からかいやがって。
殴りたい。
拳をふるわせる私に、殿下はくすりと笑ってから続ける。
「もちろん私だって、難しい役割を君に押しつけて、あとはお任せとは言わないさ。とっておきの秘策を伝授しよう」
「とっておきの秘策?」
「君が持つ限界を超える状況への適応能力は、魔力と魔法式の最適化によって実現されている。並の魔術師では認識することさえできない繊細で小さな工夫の積み重ね。磨き上げられた細部のわずかな違いが総体となって大きな違いになる」
ミカエル殿下は言う。
「適応する時間さえ得られれば、君は自分以上の力を持つ相手に対して互角のところまで持って行ける。しかし、互角までしかいけないというのが君の抱える一つの欠点だった。それなら、実態の敵よりもずっと強い相手をイメージすればどうだろう。もちろん限界はあるだろうし、局所的な効果にはなるかもしれない。でも、うまくいけば――」
「今まで使えなかった出力の魔法を使えるかもしれない」
言葉にしながら私は、それまでのあらゆる感情を忘れていた。
殿下が教えてくれた可能性。
イメージを使って局所的に魔法の出力を上げる。
今までよりも魔法を上手に使えるかもしれない方法。
やってみたい。
試してみたい。
殿下の言う通りに動くのは悔しいけど。
それ以上に、可能性に対する好奇心の方が強かった。
「わかりました。やってみます」
言いながら、私は殿下のアイデアを形にする方法を考える。
うまくいかないかもしれない。
だけどもしかしたら、今までの自分を超えられるかもしれない。
期待がある。
私の胸はどうしようもなく弾んでいる。