226 相談と結論
「ミカエル殿下が想像してた以上にやばい人だった、と」
ルークの言葉を聞いて、私はうなずく。
国内外から高く評価され、その能力の高さと実績から誰も口を出せない存在である王子殿下。
そんな彼が人の心がないサイコ野郎だというのは、私一人ではとても抱えきれない問題だった。
最悪の場合、取り返しのつかないことになってしまう可能性がある。
そんな重大な事態に対して、責任を負えるような頭脳が私には無い。
何せ、魔術学院時代から政治経済の教養科目に関しては平均点に達したことが一度もなかったのだ。
もし私が王国の命運を決められる立場になったとしたら、根拠の全くない純粋な直観によって間違いなく国を傾けるだろう。
国内すべての定食屋さんからごはん小盛りのメニューを抹殺して、深刻なお米不足を招いてしまうかもしれない。
(だからこそ、政治的なことにも詳しいルークの意見はありがたい)
「まず前提として、僕の知識には少なくない穴がある」
ルークは言葉を選びながら言った。
「今までの僕とは違う。知っているはずの前提が抜けている可能性や、見当違いのことを話している可能性もある。そのことを留意して、自分でも信頼できる意見か確認して」
その言葉は不安よりも誠実さから発せられているように感じられた。
ルークは正確性を重要なものとして意識している部分がある。
幼い頃から、正解と不正解がはっきりと分かれた意識の高い教育環境にいたからだろう。
だからこそ、できない相手への目線がつい厳しくなる一面もあって。
しかし、自分の正しさを疑っている今の彼は、むしろ私にとって意見を聞く価値のある相手であるように感じられた。
簡単に答えを出せない難しい状況。
王宮と貴族社会は殿下を正しいと信じ込んでいる。
経験により作られたこの人の言うことなら間違いない、という信頼。
盲目的な域にまで達しつつある正しさと私は向き合わないといけない。
確認せずに思考停止するのではなく、その中にある危ないものをしっかり嗅ぎ分けないといけない。
「まずはこれまでの殿下についてまとめた資料。過去の僕が作ったもので、教国に誘拐されるまでの動向やそれに対する推測が書かれている」
机の引き出しから取り出した資料の束を受け取る。
素早く目を通しながら確認する。
「ルークはこの内容については記憶してるの?」
「三回読んで頭に入れてある」
「……信じられない。ほんと勉強熱心だよね」
感心を通り越して、いくらかの畏れを感じつつ言った私にルークは苦笑した。
「確認する必要があったからね。そうじゃなかったらさすがに一通り目を通すくらいだと思うよ」
「何かあったの?」
「ガウェインさんのことでさ。今、あまりよくない立場にいるのは知ってるよね」
「うん。正直に言うと、今日まで全然知らなかったんだけど」
私は言う。
「私を王宮魔術師団に残したことで王政派の貴族たちから攻撃を受けてるんだよね」
「彼らは平民出身者によって今の秩序と既得権益が脅かされるのを恐れてる。商業の発展と共に貴族に匹敵する財を成した平民出身者が増えているから。怯えた子犬が吠えているのと同じことだよ。君が気に病む必要は無い」
「だとしても、私が原因になってるのは間違いない。お世話になった先輩がそんな状況なのに、私は何も知らずしょうもないことで悩んで……」
「何で悩んでたの?」
言えない。
絶対に言えない。
自分のことで先輩が大変なのに、まったく気づかずお尻のあれで悩んでたなんて。
このことはどんな手を使っても誰にも悟られずに墓場まで持って行かなければならない。
「さ、最近ちょっと私生活の方でこのままじゃダメかもって」
「私生活と言うと?」
「一切の家事をお母さんに任せて、ベッドの上で食べて寝てを繰り返してるの。教国から帰ったときは宝物みたいに大切にしてくれたお母さんが今では鬼みたいな顔で怒ってくるんだよ」
「それは百パーセント君が悪いね」
「そうなんだよね。深刻な問題だよ」
本当の悩みを隠すことに成功して心の中で安堵の息を吐く。
ちなみに、代わりに伝えたお母さんとの話はすべて真実だ。
事実と違うのはただ一点、私が特に悩んではいないことである。
「内通してる貴族の一人が教えてくれたから。僕はガウェインさんが危ない状況にいることを君より早く知ることができた」
「そう言えば、教国に誘拐されたときに弱みを握ってた貴族たちに裏切られていろいろ言われてなかったっけ?」
「ちゃんと落とし前はつけさせてもらったよ。昔の僕は周到に裏切られたときのプランも用意してあってね。今は前よりも良好な関係じゃないかな。僕が取ってこいとボールを投げると喜んで拾ってきてくれる」
「……いったい何をしたの?」
「内緒」
いたずらっぽく言うルーク。
(こいつも殿下に負けないやばいやつかもしれない……)
私の近くには倫理観がゆるふわな人が多いのだろうか。
たしかに、私も魔法が好きすぎておかしな判断をしちゃうことはあるから人のことは言えないけど。
(類が友を呼んでるんだとしたら、少し生き方を考えた方がいいかもしれない)
心の中で思う私に、ルークは続ける。
「当然ガウェインさんを守るべく手を打ったよ。動かせる貴族たちをまとめて、ガウェインさんを攻撃する貴族たちを抑えようとした」
「具体的にはどういうことを?」
「ガウェインさんの実績と王宮魔術師団内での評価を伝えて優秀な人材であることを改めてアピールした。加えて、王政派貴族たちの中に裏切り者がいると書いた密書を流して内側から崩壊させようとした」
「さらっとえぐいことをしてる……」
「こういうのは別の敵を作るのが一番早いからさ」
当然のように言うルーク。
「地位と財産を守るためにいつも疑心暗鬼になっているような人たちだからね。それらしい嘘を一滴だけ混ぜるだけでいい。疑いの感情が燃えさかれば、自分の影も怪物に見える」
相手の持つ怯えを最大限に活かした計略。
他人にあまり興味がないのに、そういう人間の性質については本当によく知っていると感じる。
名家に生まれ、幼い頃から貴族社会との関わりも深かったことがその理由なのだろう。
あるいは、人間の汚い部分を知っているからこそ、他人への関心が薄いのかもしれない。
「動いていたのは僕だけじゃない。レティシアさんも裏で手を回していた。ガウェインさんへの攻撃はすぐに止まるはずだった。でも、現実は僕が予想していない方向に推移した」
「いったい何があったの?」
「ミカエル殿下が裏で糸を引いていた。僕らの動きも全部読まれていた」
「でも、殿下はガウェインさんを庇ってくれたんじゃ」
「マッチポンプだよ。自分で火を点けて消した。王宮魔術師団に恩を売り、動きを誘導するために」
「もしかしてそれも――」
「おそらく、君を王の盾に呼ぶため」
頭の中が真っ白になる。
想像していたよりずっと大きなことが私を巻き込んで起きている。
たくさんの人の思惑と意思。
そして、頭脳と計略ではとても太刀打ちできない怪物が裏で糸を引いている。
でも、だからこそ流されていてはいけないと思った。
私は二つの足でしっかり踏ん張って、進みたい方向に踏み出さないといけない。
待ち受ける荒波は強烈で、望んだ方向に進むことはできないかもしれない。
それでも、少しでも近づけるように。
自分のことを心から好きだと思える自分であり続けるために。
権力にも計略にも、絶対負けてなんてやらない。
「状況はわかった。私、王の盾で殿下の右腕として働くよ。誰よりも近くで殿下のことを見て、この国の人々のためにすべきことをする」
私は言った。
「殿下が間違ったことをしたら助走を付けて頭突きをお見舞いしてやる」






