225 繊細なガラス細工に触れるみたいに
ミカエル殿下は想像していた以上にやばいサイコ野郎かもしれない。
新たに知ってしまった情報のやばさは、私をさらなる葛藤の渦に巻き込んだ。
もうこれは面倒な手順を踏むのを放棄して正面から、殿下に悪巧みやめろパンチをお見舞いして物理的に権力の座から隠居してもらった方がいいのではないだろうか。
真剣に検討すること十分ほど。
しかし、それも現実的ではないことがわかってくる。
素人の私に、後遺症は残らないけど、ちょうど悪巧みを辞めたくなる程度の痛みを与えるような加減ができるとは思えない。
そもそも殿下の傍には王の盾に選ばれた精鋭が常にいるので、そんなことしたら私は輪切りにされてこの世界からおさらばする未来を避けられないのではなかろうか。
やっぱり、物理ではダメだ。
頭を使って、ミカエル殿下に人としての心を呼び起こす良い感じの作戦を考えないと。
思考の海に沈みながら歩くこと数分。
(もうついちゃった)
解決策はまったく見つからないまま、目的地の前で私は足を止めた。
七番隊の隊長執務室。
新設されて間もないこの部屋で過ごした時間は長くない。
私は隊に入ってくれた新人ちゃんたちと一緒にいる方が多かったし、退職届けを出して単身教国に突撃したりしていたから。
扉を開ける。
ルークは読んでいた資料から顔を上げた。
サファイアブルーの瞳が揺れる。
学院時代からの親友。
どこにも行き場がなかった私を拾ってくれた大切な人。
ダメなところばかりの私を初めて好きだって言ってくれた人。
もらったものは数え切れないくらいあって。
一生懸命返そうとしているけれど、それよりたくさんのものをくれるから全然返し切れてなくて。
そんな彼に私は伝えないといけない。
七番隊を離れると。
相棒の関係を解消する、と。
王宮魔術師団における相棒制度は、魔術師という職種が単独行動に向いていないことから考案された。
近距離の戦闘に不得手で、発動まで時間がかかる魔法も少なくない。
不意を打たれることに対して脆弱であり、単純な肉体の能力と肉弾戦では他の職種に劣ることが多い。
この問題を解決するために採用されたこの制度は、最低でも二人以上での行動を徹底することになり、戦場での生存率を大きく上げる効果があったと報告されている。
固定の相手を決めておくことで互いの魔法への理解度を上げ、連係して行動できるメリットもある。
一方で、魔術師としての技術が向上すればするほど、単独行動を求めるケースが増えてくるという現実もあった。
一線級の魔術師はあらゆる状況に対して、一人で対応できるという自信を持っている。
王宮魔術師団では隊長と副隊長が相棒を組むことが慣例化しているが、そのほとんどが形式的なもの。
隊長と副隊長は単独行動を行うことも少なくないし、ツーマンセルでの行動は戦力過剰でそぐわない場面の方が多い。
結果として七番隊の隊長と副隊長という間柄になってからも、別々に行動することの方が多かったし、相棒を解消するからといって実務的に問題が起きるようなことはないように思える。
しかし、だとしてもそこには何か特別なニュアンスが含まれているような気がした。
簡単に口にしていいことではないという感覚があった。
慎重に言葉を選ばないといけない。
繊細なガラス細工に触れるみたいに。
大切な親友を傷つけないように。
「相談したいことがあるんだ」
私の言葉に、ルークはやさしい声で言った。
「何かな」
そこには、意図的にそういう声を出そうというニュアンスが含まれていたような気がした。
私に気を使わせないように意識しているような、そんな感じがした。
「アーネストさんと話してさ。ミカエル殿下が私を王の盾の筆頭魔術師にしたいって言ってるみたいで」
「知ってる。そのあたりの事情についてはわかってるから大丈夫」
ルークは穏やかな声で言った。
「ノエルはどうしたい?」
うながされて、言葉に戸惑う。
どう伝えれば傷つけずに済むのか。
はっきりとした答えはまだ見つかってなくて。
でも、ここで濁しても良い答えが見つかる保証もないから。
真っ直ぐに、自分の本心を伝えることにした。
「王の盾に行こうかなって考えてる」
「そっか」
ルークは軽い口調で言った。
「君なら、そう言うと思ってた」
その言葉にも、どこか作られたような雰囲気が感じられた。
自分の本心を隠しているような。
押し殺しているような感じがした。
もしかしたら、私は間違いを犯しているのかもしれない。
追い詰められてどん底にいた私を拾い上げてくれた恩人に。
ダメなところも少なくない私を誰よりも評価してくれた大切な人に、ひどい仕打ちをしてしまっているのかもしれない。
傷つけたくなくて。
でも、どうすればいいのかわからなくて。
言葉に詰まる私に、ルークは言った。
「取り繕えないや。ごめん、本音で話すね」
痛むみたいに額をおさえてから続ける。
「正直、すごく嫌だって感じてる。ノエルの傍にいられないのが嫌だし、殿下のところに行くなんてなおさらだ。本音を言えば近くにいたいって思ってるし、行かせたくないって思ってる。顔が見えないのは寂しいし、声が聞こえないことで間違いなく僕の幸福度は下がる」
「め、めちゃくちゃ言うね」
上ずった声でいう私に、ルークは言う。
「正面から本音の方が君はいいかなって」
「そ、それはそうだけどそこまで真っ直ぐに言われると困るというか」
「そう? 何が困るの?」
「恥ずかしいというか、照れるというか……」
戸惑い、顔を背ける私の視界の端にあいつの顔が映る。
その表情を見て、やつの真意に気づいた。
「あんた、からかってるよね」
「からかってないよ。本音を言ってるだけ」
「ぐ……で、でも私の反応を見て楽しんでるところあるでしょ」
「うん。だって反応が面白いから」
「楽しむな! 私は見世物じゃない!」
「威勢よく言うところもかわいいよ?」
「恥ずかしい言葉禁止!!」
抗議しているのにルークは楽しそうで。
参ったな、と思いながらこめかみをおさえる。
言葉では残念ながら勝てそうになくて。
でも、同時に本音を言ってくれてよかったとも感じている。
ルークが我慢して、密かに傷ついているというのがこの話し合いでは最悪の形だと思ってたから。
「ごめんね。ルークも後遺症で記憶に欠落があって大変な時期なのに」
「大丈夫。そこは一人でもなんとかできる目処が立ってるから。元々、君以外には負ける気がしない程度には天才だし」
「頼もしくて助かるよ。できるなら、あんたがスムーズに仕事に戻れるようにサポートしたかったんだけど」
「そう言ってくれるだけで十分だよ。ガウェインさんが危うい立場にいることを考えると、そうするしかないのもわかってるしね。何より、僕は君の幸せを願ってるから」
ルークは言う。
「王の盾の仕事を経験するのは魔術師としての将来を考えると間違いなくプラスになる。君は行くべきだよ。あの夜、話してくれた夢に近づくために」
教国の噴水で交わした言葉が頭をよぎる。
世界一の魔法使いになりたい。
大それた、バカみたいな夢をルークは本気で応援してくれている。
笑ったりせず、それどころかできると心から思ってくれている。
それがどんなに心強いか、ありがたいか。
じんわりとあたたかいものを感じつつ、私は言った。
「ただ、ミカエル殿下についてちょっと相談したいことがあるんだよね」
「相談したいこと?」
首を傾けるルークに、私は言った。
「私バカだからどうすればいいかわからない。助けて」