222 打診
一番隊隊長であり中央統轄局局長を務めるアーネストさんから呼ばれたのは、お昼の仕事が一段落した頃のことだった。
一緒に作業していたイリスちゃんに後のことをお願いする。
「一人でできます。任せて下さい」とイリスちゃんは言う。
いつもと少し違う気がして一瞬戸惑う。
うまく言葉にできないけれど、かすかな違和感がそこにはある。
とはいえ、やる気があるのはいいことだ。
「ありがとう。お願い」
ひとまず気にしないことにしてお願いする。
赤い絨毯が敷かれた廊下を歩いて、一番隊の隊長執務室へ向かった。
遮音の付与魔法が施された静かな空間。
大きな出窓に置かれた青い花の花瓶。
荘厳な装飾が施された扉の前に立つ。
ドアノブのあたりに射し込んだ光が四角い帯のような形を作っている。
二回ノックして返事を待つ。
聞こえた声に「失礼します」と言って扉を開ける。
そこに広がっているのは王国最高の結界魔術師であるアーネストさんが作り出した異界だ。
「明滅の魔法使い」と呼ばれるアーネストさんの魔法結界は高度で私にはどういう処理が行われているのかわからないところも多い。
だけど、だからこそ綺麗に見えた。
細部にわたる緻密な計算の元に構築された美しい魔法。
「――リングフィールド。聞いているのか」
不意に聞こえた低い声に、私は心の中で飛び上がった。
(まずい! 全然話聞いてなかった!)
魔法に夢中すぎて聞こえていなかったけど、どうやらアーネストさんは私に何かを話してくれていたらしい。
「聞いてませんでした! ごめんなさい!」
頭を下げる。
重たい沈黙が部屋を包む。
アーネストさんは静かに首を振ってから言った。
「もう一度話そう。ミカエル第一王子殿下から君を王の盾の一員として迎えたいという打診があった」
王の盾は王室直属の護衛部隊だ。
アーデンフェルド王家を支えてきた歴史と伝統あるこの部隊は、王立騎士団と王宮魔術師団の精鋭で構成されている。
「役職は筆頭魔術師を考えているとのことだ」
言葉の意味が最初、うまく掴めなかった。
王の盾の筆頭魔術師と言えば、王宮魔術師団の隊長格に匹敵すると言われる重要な役職。
王宮魔術師団で経験を積んだ魔術師が選任されることが多く、今までの筆頭魔術師はすべて四十歳を超えていたはず。
「あの、王の盾って大先輩ばかりのところですよね。さすがに私は若すぎるし経験が少なすぎると思うんですけど」
「第一王子殿下は前々から、王の盾に熟練の魔術師を選抜する王室の古い体質に不満を持っていた。若い女性魔術師である君を選ぶことで、旧態依然とした空気を一気に変えるのが狙いだろう」
アーネストさんの低い声が響く。
「でも、そんなことをしたら反発も大きいのではないですか」
「それも承知の上だろう。リスクを取った上で計画を先に進めようとしている」
「計画?」
「機密事項だ。口外すれば罪に問われる可能性がある。誰にも言わないと約束できるか」
空気がしんと冷えるのを感じた。
私は簡単に足を踏み入れてはいけないところにいるのだろう。
重い、と感じた。
これは責任の重さだ。
第一王子殿下が進める秘密の計画。
経験が浅い私には明らかに分不相応な事態。
聞かない方が間違いなく楽な選択で。
だけど、私は聞かないといけないと感じていた。
第一王子殿下は、私が王宮魔術師団に入った当初から関心を持ってくれていたと聞いたことがある。
おそらくそれは、彼の計画を進めるために私が有用なカードだったから。
だったら私は聞かないといけない。
自分の足下をちゃんと確認するために。
「口外しないことを誓います。教えて下さい」
「わかった」
アーネストさんはうなずいてから口を開いた。
「第一王子殿下は数年前から、何らかの計画を進めるために行動している。魔導兵器の製造プラントが八箇所、秘密裏に建造されて稼働を開始したという話だ。未踏領域にある最高難度迷宮――ヴァイスローザ大迷宮にも大規模な調査隊が派遣されて、多くの遺物が製造プラント内に運び込まれている」
「私とルークが攻略しに行ったあの迷宮ですよね」
「君とヴァルトシュタインの働きでできた足がかりを利用して、王国が介入できる関係を構築したのだろう。元々高かったアーデンフェルドの魔法技術だが、大迷宮の遺物が集積されることで魔道具に関しても世界最高の水準に近づいている」
アーネストさんの言葉は、魔道具師をしていた私には少し誇らしいものだった。
魔道具を作る付与魔法は不器用な私には難しい分野ではあるけれど、だからこそこんなことまでできるんだと感動することも他の分野よりも多かった。
あの感動が世界屈指のものだと言われるのは、自分の感性を肯定されているみたいでうれしい。
「今、魔道具技術が世界最高の国はどこなんですか?」
「おそらく、魔導国だろうな。彼の国は独自の魔法体系を築いているが、魔道具に関しても同様だ。汎用性は低いが、ひとつひとつが極めて高品質で芸術性の高いものも多い」
「たしかに、すごいって噂は聞いたことがあります。実際に見たことはないんですけど」
私の言葉に、アーネストさんはうなずく。
「魔導国は魔道具の輸出に消極的だからな。帝国から歴史上幾度となく輸出するように求められているが、そのすべてを断っている」
「どうして輸出に消極的なんですか?」
「それだけ技術に対するプライドが高いという話を聞く。だからこそ、他国よりも秀でた独自の体系を作り上げることに成功したのだろう。加えて、未踏領域に面しており、高難度迷宮にも近いアドバンテージを帝国に渡したくなかったとも推測される。迷宮資源は魔道具の技術を高めるために最も重要なものだからな」
少し考えてから、私は聞いた。
「アーデンフェルドの魔法技術が高いのも、未踏領域に面してることが大きいんですか?」
「地理的要因もあるだろう。魔導国に比べると少し遅れていた時代が長かったのも、難度の高い迷宮が近くに無かったのが大きい。彼の国は国境近くに高難度迷宮が複数存在している」
「立地がすごくよかったんですね」
「だが、その力関係もアーデンフェルドに最高難度迷宮の資源が流入し始めたことで大きく変わろうとしている。この国の価値は相対的に上がり、他国からの関心も過去に前例がないほどまで強いものになっている。君の存在も間違いなく大きな要因のひとつだろう」
真剣な口調で放たれた言葉。
私は小さくうなずいてから、首をかしげた。
「私が大きな要因のひとつなんですか?」
「そう言ったが」
「ちょっとどう関係しているのかわからないんですけど」
「なるほど。自己評価が低いところがあるという話は本当らしい」
「私的には、もっと自分を評価していくように気をつけてるつもりなんですけどね。ナイスバディでイケてるかっこいい大人女子として、みんなを無自覚に惚れさせてしまうのも申し訳ないですし」
「…………」
アーネストさんは何も言わなかった。
しばしの間押し黙ってから言った。
「君が評価されているのはその魔法技術だ」
咳払いしてから続ける。
「飛竜種を撃退し、最高難度迷宮を攻略。帝国領最強と称される《精霊女王》と互角に渡り合い、教国内に進出していた危険な勢力を単独で撃退した。ノインツェラ皇国の皇妃殿下はことあるごとに舞踏会で君に救われた話をし、魔導国内でも君に刺激を受けたと公言する魔術師が複数いる」
「も、持ち上げられすぎて怖いんですが」
「事実だ」
「喜びを堪能するので少し時間をください」
私は「めちゃくちゃ褒められてる……えへへ……」としばしの間悦に浸った。
幸せな時間だった。
がんばってることを褒められるのは、やっぱり何よりもうれしい。
厳かな空気が漂う部屋の中、アーネストさんが感情のない顔で私を見つめていた。






