220 プロローグ
お待たせしました!
ブラまど7章スタートです!
「最近表情がやわらかくなったね」と先輩に言われた。
そんなことを言われたのは初めてだったので驚いた。
人間は好きじゃなかった。
私はうまく人の輪に入れないタイプの子供だったから。
自分が浮いているのを知っていた。
周囲の視線が気になって仕方なかった。
一人でいるのは全然平気だけど、一人だと思われるのがつらかった。
『イリスちゃん、いつも一人だよね』
『一人でいるの恥ずかしくないのかな』
笑われてる気がして心がきゅっとなった。
自分を守るための物語が必要だった。
うまくやれない私を正当化するための物語。
(私が馴染めないのは、レベルの低い愚か者たちとは違うから)
みんなを見下した。
低脳で頭が悪い連中だと決めつけた。
優秀で頭が良い私だから、輪の中には入れないのは自然なこと。
そう考えると心が軽くなった。
息をするのがずっと楽になった。
余計なものを見ると不安になるから。
視界に入れないようにして、魔法に打ち込んだ。
両親は一人娘である私の教育に熱心で、魔導国の名門校を受験することが決まった。
魔法が好きだった。
魔法の神様は少しだけ私に優しくて、がんばるとみんなより多くのものをくれた。
存在を認められるような安心感がそこにはあった。
何より、魔法は何をしても絶対に離れて行ったりしない。
私が一人になったとき、いつも必ずそこにいてくれた。
他に誰もいない私の傍にずっといてくれた。
私は魔法に自分の人生を全部あげることにした。
凡庸な連中には選べない生き方。
大きすぎる犠牲も簡単に受け入れることができた。
犠牲にして後悔するようなものを私は何一つ持っていなかったから。
それからの私は無敵だった。
他のものすべてを犠牲にすることもできない、ぬるくて惰弱な連中に勝ち続けて私は魔導国でも評判の天才と呼ばれるようになった。
同世代の子はもちろん、大人にだって負ける気はしなかった。
さらに上のレベルを目指してアーデンフェルド王国の王宮魔術師になった。
西方大陸屈指の魔法技術。
魔導国とは異なる魔法体系の中なら学ぶことも多いと思っていたけれど、正直に言って期待外れだった。
小さくてダサくて間抜けな先輩は、「みんなで仲良く」とか「力を合わせるのが大事」なんてくだらないことばかり言っていた。
(アーデンフェルド王国もこの程度か)
歴代最速で副隊長になったなんて言われているけど、所詮は魔法以外すべてを捨てることもできない半端な人。
魔導国とは異なる魔法体系の中でも、すぐに一番になれると思っていた。
あの日、先輩の本気を見るまでは――
(なに、これ……)
小さな身体に眠る底知れない何か。
積み上げた莫大な量の反復が作り上げた細部の精度。
他の人には多分わからなかったはずだ。
だけど、同じように積み上げてきた私にはわかる。
ここまで積み上げるために、いったいどれだけのものを捧げたのか。
だからこそ、先輩の言う通りにしてみようと思った。
人として大切なことだと先輩が言う、挨拶と気遣いなるものを少しだけやってみることにした。
それから、周囲の私を見る目は驚くほど変わった。
多分不良が猫をかわいがっていると、優しさがかさ増しで評価されるみたいな現象だと思う。
周囲を見下し遠ざけていた私の不器用な挨拶は、七番隊の同僚と先輩に好意的に受け入れられた。
私が王宮魔術師団の中で最も年齢が低かったのもプラスに働いたのかもしれない。
若さゆえの過ちと受け取ってもらえる分、挽回が効きやすいところがあったのだろう。
昼食に誘われるようになった。
一人でいることは相変わらず多いけど、誰かといる時間は前より随分と増えた。
職場の人たちは人間ができている上に魔法にも詳しくて、話が合うと感じることさえあった。
多分、私は少しだけ人間として良い方に進んでいるのだろう。
同時に、魔術師としての私は停滞していた。
理由はわからない。
不慣れな人間関係のあれこれに気を取られた結果、魔法について考える時間が減っているからだろうか。
あるいは、先輩が幼なじみである隊長を助けるために、王宮魔術師団を辞めるとか言いだしたことによる心理的動揺も影響したのかもしれない。
(ほんと、信じられない……!)
思いだすと今でも、湧き上がる怒りを抑えられない。
私には協調した方が良いって言ってたのに、あんな無茶苦茶なことをするなんて。
言ってることと違うじゃないか、と口をとがらせたくなる。
だけど、その矛盾が強さになっている可能性もあるように思う。
周囲と協調することも、自分を貫くのも大切なことで。
人付き合いが得意な先輩は、その二つを上手にこなすことができる。
人といることも魔法も、いいとこ取りができる。
私にはできない。
魔法以外のものに背を向けて生きてきたから。
私には魔法しかないのに。
その魔法でも私は先輩に勝てない。
ずるいと思う。
悔しいと思う。
うらやましいと思う。
あんな風になれたら、と思う。
嫌いだと思う。
大嫌いだと思う。
本当は嫌いじゃない自分がいる。
あんな風になれないことはわかっていて。
それでも、いいなと思ってしまう自分がいる。
(だけど、ダメなんだ)
どこかで気づいている。
私は先輩にはなれない。
あんな風に周囲の人とうまくやることはできない。
人間関係に不器用で、ずっと一人で生きてきた私だから。
先輩と同じ道を進むことはできない。
私は私のやり方で一番を目指さないといけない。
先輩を超えられる私にならないといけない。
(もう一度、全部捨てないといけないときが来るのかもしれない)
そこにある感傷に私は気づいている。
犠牲だって思うのは自己憐憫だ、
本当はそんな大層な志じゃない。
ただ、やりたくないことをやらない理由を美化しているだけ。
私はあまりにくだらなくて。
前を進む先輩が遠くて眩しく見える。
(でも、それでいい)
比べてしまうのも、歪みを抱えているのも私だから。
私は歪んだ自分と一緒に、最高の魔術師になる。
前を進む先輩をのぞき見る。
綺麗で遠いその背中を、いつか追い越せたらって願ってる。
◇ ◇ ◇
王宮魔術師団に復帰して二週間が過ぎた。
仕事よりも親友の命の方が大切だから、とすべてを放り出して教国に向かったあの日。
副隊長である私がいなくなって、七番隊のみんなを困らせてしまったことだろう、と思っていたのだけど戻ってみると驚くくらい仕事は順調に回っていた。
「新人ちゃんたちがほんとがんばってくれてね。それに、ガウェイン隊長とレティシア副隊長も気にかけてくれてたから」
私がいない間、七番隊の指揮を執ってくれた第三席のミーシャ先輩はにっと目を細めて続けた。
「あと、私も結構がんばったんだよ。いっぱい褒めていいよ」
「ありがとうございました。ほんとかっこいいです先輩」
「そうでしょうそうでしょう。やっぱり男なんてゴミクズ以下の生き物にエネルギーを割くよりも、猫と仕事に時間を使った方が建設的だと私は思うんだよね」
ミーシャ先輩はいくらか偏った特殊な思想をしている。
どうにも男運がないとのことで、デートに誘われたと思ってたら異常に高い壺を買わされそうになったり、怪しい宗教に勧誘されることがよくあるらしい。
「先週の壺は結構良いものだったよ。金貨七枚くらいの価値はあるんじゃないかな。金貨十枚って言われたから買わなかったけど。なかなか良心的だよね」
騙されそうになる機会が多すぎて、最近は鑑定スキルが身についてきたらしい。
たくましく生きる先輩を私は心から応援している。
しかし、優秀な先輩と後輩ちゃんたちのおかげで溜まっていた仕事はほとんどなかったとはいえ、負担をかけてしまったことは間違いない。
今度は私ががんばってみんなを楽させてあげなきゃと張り切ること数日。
私の身体に生じたのはひとつの大きな問題だった。
おそらく、元々の原因は教国に乗り込んで無茶した結果生じたストレスによるものだろう。
強い痛みを伴う深刻な症状。
だからといって休むわけにはいかない。
折角、ガウェインさんが自分の立場を厭わずかばってくれて、復帰することができたのだ。
私は周囲に気づかれないように細心の注意を払って生活していた。
「なんかノエル、ちょっとおかしくない?」
サファイアブルーの瞳。
聞き慣れた声に、一瞬息が止まる。
(ほんと私のことをよく見てる)
うれしいような困ったような気持ちを感じつつ、悟られないように普段の自分を装いつつ答える。
「おかしくないよ。何もおかしくない」
「おかしいときの反応に見える」
ルークは私を怪訝そうな顔で見つめた。
「違うから。絶対違うから」
「いつもより声が上ずってるような」
「そんなことない。普段通りだから」
強く言い切った私に、ルークは少しだけ首を傾けてから、
「まあ、君がそう言うならいいけど」
と言った。
首をかしげながら遠ざかる背中。
さりげない動きでルークから距離を取る。
(この痛みに関しては、絶対に誰にも悟られるわけにはいかない)
下手をすると、私の魔術師生命にも関わる痛みだった。
もしこのことがみんなに知られてしまったら。
想像しただけでも恐ろしくて仕方ない。
私は極めて深刻な痛みを伴う症状――
――トイレのときに痛むお尻のあれと戦いながら魔術師生活を送っていた。
(まさか、私がお尻のあれになるとは……)
そういう症状があることは知っていたけれど、もう少し大人になってからなるものだと思っていた。
しかし、調べてみて知ったのだけど、十代で経験する人も多いらしい。
座りすぎが原因になるらしいので、勉強をがんばった結果そういう症状になることもあるのだろう。
(なんだか恥ずかしいイメージがあるから、今の私みたいに隠してたクラスメイトもいたんだろうな)
世の中には私が知らないことがたくさんある。
(にしても、本当に私のことをよく見てるよな、あいつ)
思いだされるのは教国で過ごした最後の夜。
私の袖をつかんであいつが言ったこと。
『僕は君が好きだよ』
告白されるのは初めてで。
誰かに好きだと言われるのも初めてで。
うれしくて、気恥ずかしくて。
思いだしただけでなんだか浮ついた気持ちになってしまう。
(まさか、スタイル抜群でナイスバディな私の底知れない魅力にルークが籠絡されてしまっていたとは)
我ながら罪な女だと思う。
胸に入れている四枚のパッドを何枚か減らさないと、みんなが私に恋をしてしまって職場の風紀に問題が出てしまうかもしれない。
大人な魅力あふれる流し目で窓の外を見てから思う。
(だけど、私にはしないといけないことがあるから)
あの日、ルークに伝えた言葉。
『私、世界一の魔法使いになりたいんだ』
分不相応な言葉なのは、わかってる。
私なんかが、って言葉が出てしまいそうになる。
でも、そう言ってる場合じゃない立場なのもわかってる。
可能性がないわけじゃない。
本気で目指さないといけない段階にいるって感じてる。
魔法の世界で生きるのは残酷で。
あきらめて別の道に進む人も魔道具師時代に何人も見てきた。
私は本当に運が良くて、奇跡みたいに周囲の人に恵まれてここにいる。
手を伸ばすチャンスさえ得られない人がたくさんいる。
そういうところに私はいる。
(届かなかった人たちの分もがんばらないと)
前よりも増えた練習と勉強の量。
部屋は今まで以上に汚くなって、教国から帰って数日は宝物みたいに大事にしてくれたお母さんも、すっかり元通りの鬼状態で怒ってくるけれど。
私は魔法に自分の全部を注ぐ。
そうしたいって私の心が言っている。
「ノエル、あの噂聞いた?」
ミーシャ先輩に声をかけられたのはそんなある日のことだった。
「何の噂ですか?」
「あんたに関する噂」
新人ちゃんたちがいないときは、副隊長になる前の先輩後輩として接してくれる先輩。
好きだなぁ、と思ってから言葉の意味を理解して背筋が凍るのを感じた。
私に関する噂。
それはもしかしたら、私が抱えている秘密についてのものかもしれない。
「い、いや、隠してることとかないですよ。ほんと、お尻もいつもどおり健康そのものというか」
「お尻? 何のこと?」
「なんでもないです」
感情を込めずに言った私を、ミーシャ先輩は少しの間見つめてから言った。
「ガウェイン隊長がこのところ何度も宰相殿下の執務室に呼ばれてる。どうも一部の貴族たちから、あんたを強引に王宮魔術師団に残したことについて追及されてるみたい」
ミーシャ先輩は言う。
「ガウェイン隊長の罷免を主張する声もあったけど、潮目が変わったのが三日前。ミカエル第一王子殿下が、ガウェイン隊長を擁護する発言をしたの。その裏には、一番隊隊長――アーネスト隊長とのある取引があったって言われてる」
「ある取引?」
「あんたを七番隊から除隊して、王の盾の一員として加えるって。もちろん噂だから事実と違うこともあるだろうけど。でも、ひとつだけ確かなことがある」
ミーシャ先輩は真剣な顔で続けた。
「この国は大きく動こうとしている。そして、その中心に近いところにあんたはいる」
見つけてくれて、7章も読んでくれて、本当にありがとうございます。
(お待たせしてごめんね!)
今までよりもっと良いものにしたくて、時間をかけて作った7章のお話です。
楽しんでもらえるものになるようベストを尽くして書いたので、気軽にお付き合いしていただけるとうれしいなって。
励みになりますので、よかったらブックマーク&評価で応援していただけるとすごくうれしいです!
(作者のやる気がみなぎるのでぜひ!)