217 エピローグ2
聖十字騎士団の事情聴取を受けた後、マザー・ルイーゼと大聖堂の人たちは、私たちを手厚くもてなしてくれた。
テーブルいっぱいに並んだご馳走の数々。
清貧を掲げ普段は質素な暮らしをしている大聖堂の人たちだけど、時には豪華な食事で誰かの誕生日を祝ったりすることもあるらしい。
「ただ、そのために用意した食材を隠れて食べようとする者が出ることもあって……」
マザー・ルイーゼは物憂げに息を吐いて言った。
つまみ食いはよくないことだけど、私もやっちゃうときがあるので気持ちはすごくわかる。
「隠れて食べると美味しさ二百倍ですからね。背徳感が最高のスパイスというか」
「ノエルさんもしたことが?」
「その分野では豊富な経験があると自負しています」
真面目な顔でうなずいてから私は続ける。
「でも、意外です。聖女候補者の人たちって、悪いことなんて全然しない清廉な人たちだと思っていたので」
「私も外にいたときはそう思っていました。でも、内実は違うんです」
マザー・ルイーゼは言う。
「清廉な人なんていない。清廉であろうとする人がいるだけなんですよ。でも、過度な禁欲と節制は反動で歪みを生むこともある。私が修道女長になってからも、密かに妊娠し出産した聖女候補者が何人もいます。禁じられた果実の方が美味しいものですしね」
「たしかに、エリーさんとライザさんもそんな感じでしたね」
お酒大好きなエリーさんと、違法賭博大好きなライザさんも思いだす。
「お恥ずかしい限りです。私がもっと修道女長としてしっかりしていれば」
「いえ、あの二人の残念な感じ私は好きですし。さすがに違法賭博はちょっとダメかなと思いますけど」
「そうですね。違法賭博はダメです」
「でも、聖女候補者のみんなを助けてって一番熱心に言っていたのがライザさんでした。人々の心の拠り所を守るために自分のしたいことを我慢して、あるべき姿であろうとしてる人たちだから。その献身を踏みにじられることなんてあってはならないって」
「あの子がそんなことを」
マザー・ルイーゼは言う。
「たしかに、元々優しい子でしたね。もう一度機会をあげてもいい頃かもしれません」
「マザー・ルイーゼもやりたいこととかないんですか?」
「やりたいこと?」
「ずっと我慢してるのかなって思ったので。少しくらいはいいんじゃないかなって私は思うんですけど」
私の言葉に少し考えてから、マザー・ルイーゼは言った。
「私は修道女たちの模範でなければなりませんから。私が規範を破ってしまえば、同様に破る者がきっとさらに増えてしまう。あるべき姿でいるのが私の仕事なのです」
「でも、だからってずっと犠牲になるというのは」
「『何も犠牲にしない者は何も得ることはできないだろう』――聖典の一節です。本当の意味で何かを得るためには、何かを犠牲にすることになる。すべてを手に入れる人生はありえません。でも、欠けているものがあるからこそ、満たされているものの価値がわかる。叶わなかった願いがあるから、人生は美しいと私は思います」
マザー・ルイーゼは言う。
「全部満たされてる人生なんてつまらない。私はそう考えています」
マザー・ルイーゼの言葉はたしかにひとつの真実なのだと思う。
でも、今の私はどちらかを犠牲にすることは選べなかった。
魔法は何より好きで大切だけど、親友も私にとっては大切で。
あきらめることなんてできなくて、たくさん無茶をしてなんとか守り抜いた。
一歩間違えればすべてを失うところだったのだ。
まだ子供な私は何も考えず、『両方大事だから』ってためらいなく言えてしまう。
だけど、いつかは大人として現実的な判断をしないといけないときが来るのかもしれない。
魔法か親友か。
どちらかひとつしか選べない日も来るのかもしれない。
(選びたくないな)
椅子の背に身体を預けてそう思った。
食事会は賑やかに進行した。
私は十七回おかわりをしてお皿の山をテーブルに積み上げ、ニーナは「変わってないなぁ」とにこにこ笑顔で私を見つめ、エヴァンジェリンさんは「久しぶりの人間界の食事……!」と目を輝かせていた。
「おかわり! おかわりをお願いします!」
「いっぱい食べるノエル好き」
目を細めるニーナ。
「すごい……にんげんとはおもえない」
メルちゃんは目を丸くして私を見つめ、
「まるで魔鉱石燃焼装置です」
と聖女候補者たちは目を丸くしていた。
隙を見計らって忍び込んだエリーさんとライザさんは、
「もっと酒! 酒をお願いするっす!」
「皆さん、助かった記念にバカラパーティーをしませんか! 掛け金はなんと青天井です!」
理性が効かずにすぐに見つかって、羽交い締めにされて退場させられていた。
他にも、「もしかして貴方……せ、精霊女王では?」とエヴァンジェリンさんが言われ、
「違うわ」
「いえ、しかし……」
「全然違うわ」
と真顔ですっとぼけていたりと面白い出来事がたくさんあったのだけど。
そんな中で、無駄に目立っていたのがルークだった。
男性が極めて少ない大聖堂の聖女候補者生活区画。
食事会に参加した唯一の男性であるルークは、めちゃくちゃちやほやされていた。
「男の人がここに来るなんて!」
「好きなだけ食べてくださいね」
「普段はどんなことをされてるんですか?」
修道女服を着た聖女候補者たちの声は、心なしか普段より高い。
(なんでモテてるんだあいつ……)
静かな怒りに拳をふるわせる。
唯一の男性の上、顔立ちは女の子みたいに綺麗だし、学生時代から女子たちにきゃーきゃー言われていたルークなので自然なことではあるのだけど、しかし納得いかないものがある。
(あいつ今回何もしてないのに……)
何なら、敵であり大聖堂を無茶苦茶にした側の人間なのだ。
実際ルークが無駄に強かったせいで、大聖堂の本堂は倒壊寸前の状態になっている。
にもかかわらず、なぜ助けた私よりモテているのか。
私はあいつ以上にちやほやされてしかるべきではないだろうか。
(おかしい……やっぱり世の中間違っている……)
社会の不条理に憤らずにはいられない。
心の中で不満を訴えていると、
「ノエルすき」
メルちゃんが私の肩にくっついて言った。
かわいかった。
「よしよし、かわいいねえ」
頭を撫で撫でする。
「わ、私も!」
ニーナが反対側の肩に寄りかかってくる。
(あれ、ニーナってこんな感じだっけ)
「えへへ……ノエルだ」
にへら、と笑うニーナの顔は赤い。
視界の端では飲みかけのワイングラスが見える。
(お酒弱いんだ、ニーナ)
飲むと甘えたくなるタイプらしい。
普段しっかり者だってみんなに思われてるから、そういう願望があったりするのだろうか。
ともあれ、二人にくっつかれているのはモテているみたいで悪い気はしない。
(二人に免じて、ルークがちやほやされてるのも許してやることにするか)
実際、ルークは喜んでいるというより困っているように見えた。
腹黒優等生だと思われていた頃によく見かけた、表面上は良い人を演じてる分冷たくもできなくて、距離の取り方に難儀するやつ。
なつかしいなぁ、と思いながら見ていると、ルークが私の視線に気づいて気まずそうに目をそらした。
なんとなく、いつもと違う反応のような感じがした。
『あの感じなら大きな後遺症は残らないと思う。もしかしたらいくつかの記憶の欠落とかはあるかもしれないけど』
ニーナの言葉が頭をよぎる。
できれば二人きりで話せるときに確認したかったけれど、残念ながらこの日それができるチャンスは最後まで来なかった。
食事会の間はメルちゃんとニーナがずっと私にくっついていたし、終盤になるとエヴァンジェリンさんも「二人ばっかりずるい!」と加わっておしくらまんじゅうみたいになった。
ルークは聖女候補者たちに囲まれ、「風紀が乱れています」と青筋を立てたマザー・ルイーゼによって、大聖堂の来賓室に隔離されることになった。
「すみません」
頭を下げるルークに、マザー・ルイーゼは首を振る。
「貴方は悪くありません。これは貴方を守るための措置なので」
「守る?」
「飢えた獣の群れの中にいる兎みたいなものですから、今の貴方は」
私たちは、それまで泊まっていた物置で夜を過ごした。
来賓室にぜひ泊まってくださいとありがたい申し出もあったのだけど、それまで泊まっていたこの物置を私たちは結構気に入ってしまっていたのだ。
寝るために用意された場所じゃないところで寝る感じが、学生時代の文化祭とかを思いだす素敵な非日常感があっていい。
エヴァンジェリンさんも来て三人で泊まった。
「友達と旅行してお泊まり! ずっと夢だったの!」
弾んだ声のエヴァンジェリンさん。
これが旅行かどうかについては解釈が分かれるところもあると思うけど、エヴァンジェリンさんが楽しそうなので旅行でいいか、と思う。
こんこん、と扉を叩く音がしたのは寝る支度をしていたときのことだった。
(誰だろ……もしかしてルークとか?)
そう思いつつ扉を開ける。
「ノエルさん、酒持ってきたっす」
「私はバカラ用のカードを持ってきました」
エリーさんとライザさんだった。
「さっきつまみ出されてませんでした?」
「こっそり抜け出してきたっす」
「大丈夫なの?」
「消灯時間は過ぎてますけどバレなきゃ問題ないので」
この二人は世界中で最も聖女候補になってはいけなかったような気がする。
しかし、私は立派な社会人であり大人な女性だ。
学生時代ならまだしも、この年齢になって規則違反の夜更かしを認めるわけにはいかない。
静かに首を振ってから私は言った。
「魔導灯は消して、ロウソクの光を使ってやろう」
こうして、秘密の夜更かし会が行われた。
エリーさんが持ってきたお酒を飲みつつ、物置の資財をチップにして五人でバカラをした。
ニーナが勝ちまくり、エヴァンジェリンさんとエリーさんはそこそこという感じ。
私とライザさんは地獄のように負けまくった。
一点の慈悲も救いもない負け方だった。
私たちは負け続け、大富豪になったニーナに借金をしてまた負けた。
「お願い! 次は勝てるの、絶対勝てるから!」
私の言葉に、
「クズなノエルかわいい」
酔ったニーナはにへら、と笑って金貨に見立てた木の板を貸してくれた。
借りたお金で私はニーナに負けた。
ニーナの資産は増え続け、私の借金は増え続けた。
「すごい……ニーナさんやってることが完全に違法賭博業者っす……」
「いや、これは本物よりえげつないですよ」
息を呑むエリーさんとライザさん。
ニーナには人をギャンブルの沼に沈める才能があるのかもしれない。
途中から、メルちゃんも訪ねてきて一緒にバカラをした。
聖女様とバカラをするのはさすがに罪深すぎる気もしたけれど、本人がしたいと言うのでその罪も受け入れることにした。
だって、メルちゃんがこんなことをできるのはこれが最後かもしれないし。
六人で遊んでいると、足音が近づいてきた。
誰だろう、と私は首をかしげたところで、エリーさんとライザさんが立ち上がった。
「マザー・ルイーゼの足音っす!」
「みなさん、ロウソクを消して寝ているフリを!」
慌ててロウソクの火を消し、布団にくるまる。
エリーさんとライザさんとメルちゃんは、それぞれ私たちの布団の中に隠れた。
ノックの音が響く。
「すみません、誰か起きてる人はいますか」
カードも布団の下に隠したし、お酒もエリーさんが布団の中で子供のように大切に抱えている。
見られても大丈夫な状態であることを確認してから、扉を開けた。
「はい。なんでしょうか」
「少しだけ様子を見たくて。ノエルさんが悪いことをするとは思いませんが、そそのかす者はいるかもしれないので」
険しい顔でランタンの光をかざして、部屋の中を見つめる。
(いかん……こうして見ると私の布団めちゃくちゃ膨らんでる……)
誰が見ても不自然な光景。
頭を抱える私に、マザー・ルイーゼはくすりと笑って言った。
「異常はないようですね」
小声でそっと続ける。
「聖女様をよろしくお願いします」
優しい笑みがやけに頭に残った。