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213 ノエル・スプリングフィールド


 最初に彼女の変化に気づいたのは、飛竜種との戦闘に参加していた『ⅩⅥ』の黒仮面だった。


 現場の指揮を担当する、心を破壊されていない黒仮面。


 飛竜種が囮だと気づいた彼は、三人の心を破壊された仮面を率いて最速で大聖堂に戻ってきていたのだ。


 瓦礫の中から現れたノエル・スプリングフィールドを見て、即座に攻撃するという判断をしたことを見ても、彼が優れた能力を持っていることが推測できる。


 しかし、正しい判断がより良い結果をもたらすとは限らない。


 この瞬間に関して言えば、彼はすべてを捨てて彼女から距離を取ることを選択するべきだったのだ。


 間違っても刺激してはいけなかった。


 次の瞬間四人は、石壁を三つ貫通して、大聖堂奥の聖壇に飾られた宗教画に大穴を開け、石壁の中に埋まる形でようやく静止した。


 異常な速度で起動した風魔法の魔法式。


 その威力は、人形化したルーク・ヴァルトシュタインのそれに匹敵している。


「馬鹿な……」


『Ⅳ』の仮面が息を呑む。


 絶大な魔力の気配が仮面を軋ませる。大聖堂の壁と天井に亀裂が走る。


「どうしたの、死人を見たような顔をして」


 前髪が彼女の目元を覆っている。


 幽鬼のような顔で口角を上げる。


「なぜあの攻撃を受けて立てる。ありえない」


『Ⅳ』の男が言った。


「さあ。なんでだろう」


 ノエル・スプリングフィールドは言う。


「わからない。私には何もわからない。でも、それでよかったんだよ。魔法のことだけ考えられたらいい。他には何もいらなかったんだ。答えは最初から私の中にあった」

「何を言っている」

「今まで、私は魔法のことを十パーセントくらいはわかってるんじゃないかって思ってたんだ。たくさん勉強してきたから。でも、間違いだって気づいた。私は魔法のことを多分、やっと一パーセントくらいわかるようになった」

「たった一パーセントで何ができる」

「貴方に勝てる」


 ノエルは翡翠色の魔法式を起動する。


 今までのそれよりさらに鮮やかで美しい光を放つ魔光子の曲線。


 瞬間、『Ⅳ』の男は大聖堂の柱に叩きつけられている。


 柱を大破させ、めり込む形で静止する。


「馬鹿な……今のは初級魔法のはず……」

「そうだよ。でも、たくさん愛してあげれば、貴方くらいは倒せる」


 ノエルは言う。


「魔法っていうのはね。わくわくする可能性がバカみたいにあって、それだけで他に何もいらないくらい夢中になれるものなんだ。綺麗で、美しくて、眩しくて、尊くて、この世界の何よりも大切なものなの。人間とか普通の生活とかどうでもいい。全部全部どうでもいいの。魔法があれば、私は生きていける」

「君は間違っている」

「知ってる。でも、貴方は正しいから私には勝てない」

「なるほど。たしかにその通りかもしれない」


『Ⅳ』の男は言う。


「だが、彼は君より強い」


 急速に増大する魔力圧。


 金糸雀色の魔法式。


雷閃墜煉獄(マギアボルテツクス)


 放たれた電撃魔法。


 光に匹敵する速さのそれをノエルはかわすことができない。


 横薙ぎに吹き飛ばされる。


 衝撃で揺れる大聖堂。


 白い煙と焦げた臭いがたちこめる。


 大理石が融解し、人体が一瞬で蒸発する異常な出力。


「私の狙いは君の注意を惹きつけることだった。彼はまだ全力の魔法を一度も放っていなかった。ここまでの出力だとは思いも寄らなかったはず」


『Ⅳ』の男は言う。


「貴方の言う通り。彼は人生のすべてを捨てて魔法に打ち込んでいた。そして、私も多くのものを捧げ、彼という人形を作り上げた。ここにあるのは二人分の歪みと狂気だ。貴方一人では勝てない。もう聞こえる身体は残っていないだろうが」

「そうでもないよ」


 噴煙の中からノエルが現れる。


『Ⅳ』の男は息を呑む。


「馬鹿な……」

「ねえ、ルーク。私はずっとあんたにムカついてるんだ。待ち合わせに来なかったこと今でも根に持ってる。私が昇格したとき、いつも『僕の方が上』って顔してるの本当に腹立つし、隠れて手帳に『ルークのバカ、アホ、カス、意地悪クソムシ野郎』って書き殴ってストレス解消してる。学生時代私のプリンを食べたことは今でも許してないし、入学時は同じくらいの背丈だったのに私を置いて勝手に高身長になったことは裏切り以外の何物でも無いと思ってる」


 ノエルは言う。


「私はずっとあんたをぎゃふんと言わせたかった。なのに、あんたは本当は私の方が上とか簡単に言うんだ。自分より私のことをいつも優先して。あんたは私にたくさんのものをくれる。私は自分のことばかりなのに。だから、私はあんたに借りを返さなくちゃって思って、王宮魔術師団を辞めて今ここにいる。そうだよ。今わかった。私はずっとこれで対等だって胸を張って言える私になりたかったんだ」


 目の前のルーク・ヴァルトシュタインだったものを真っ直ぐに見つめて続けた。


「絶対にぶっ飛ばして元に戻すから」






 教国聖十字騎士団で大聖堂の警護を担当しているニコラスは、激しい混乱の中にいた。


『これから内密にある儀式を執り行う。非常に重要な儀式だ』


 枢機卿に言われたのは数時間前のことだ。


『今日、君たちの仕事はここで待機することだ。何があってもこの部屋の外に出てはならない』

『しかし、私の仕事は大聖堂の警護です。聖女様や枢機卿猊下にもし何かあったら』

『ここには大陸でも類を見ない大障壁がある。警護が必要な事態は百年以上起きていない。何より重要なのは外部に一切の情報を漏らすこと無く儀式を完遂することだ』


 枢機卿は言う。


『絶対に外に出てはならない。ことの次第によっては君はここで働けなくなってしまうかもしれない。子供が生まれたばかりなのだろう。仕事が無くなるのは君も困るはずだ』


 騎士としての誇りを考えると、決して受け入れてはいけない内容だったように思う。


 枢機卿が何を行おうとしているのかはわからないし、そんな儀式が本当にあるのかもわからない。


 聖女様やマザー・ルイーゼからは何も聞いていないし、そこにはなんとなく不穏な気配も混じっているように感じられる。


 しかし、ニコラスは枢機卿の言葉にうなずいた。


 子供が生まれたばかりだし、家を買ったばかりで借金もまだ残っている。


 ここで仕事を失うわけにはいかない。


 自分は家族を守らないといけないから。


 より大切なもののために、職務を全うする誇りを捨てた。


 聞こえるのは、かつて若かった頃の自分が言った言葉。


『上層部がどう思うとか関係ないでしょ。騎士として、人として筋を通す方がずっと大事ですって』


 組織の意向に従い、自分を曲げる上司たちが醜く歪んで見えた。


 自分を貫き、騎士の誇りを全うする先輩たちはかっこよく眩しかった。


(俺は先輩たちみたいな騎士になりたい)


 そんな風に心から思っていた。


 しかし、時間を重ねるにつれ、見えてくるのは組織の持つ歪んだ性質。


 出世する者の多くは誇りを捨て、上司に媚びを売っている人たちだった。


 トラブルが起きると、部下に責任をなすりつける上司が生き残った。


 誇りを全うする先輩は出世が遅れ、トラブルが起きると責任を取って騎士団を去って行った。


 その背中を、それでもかっこいいと思っていた。


 だけど、かっこいいだけでは終わらないのだ。


 現実は続いていく。


 一切の容赦も慈悲もなく。


 騎士団を辞めた先輩たちは、それまでより明らかに生活に困っていた。


 衣服は質の悪いものになり、心の余裕もなくなっているようだった。


 何より、騎士団にいる自分にとって、彼らは都落ちした落伍者のように見えた。


(家族を守るためだ。仕方ない)


 長いものに巻かれることを選択した。


 地位が上がり、給与もよくなって家族は喜んだ。


 周囲の人も立派な人だと尊敬の目で自分を見てくれた。


 だからこれでいいんだ。


 家族を守るためだから仕方ない。


 そう自分に言い聞かせる日々。


 いつの間に汚れていたのだろう。


 かつて侮蔑の目を向けた上司たちと同じ顔をしている自分がいた。


 しかし、その日起きた出来事はニコラスが夢にも思っていない教国史に残る大事件だった。


 突如障壁の内側に現れた飛竜種。


 尋常ならざる事態が起きているのは明白だったが、それでもニコラスは動くことができなかった。


 枢機卿は、絶対にこの部屋から出るなと言った。


 それは、あらかじめ何らかの大きな事件が起きることを見据えてのことではないのか。


(枢機卿猊下はマザー・ルイーゼを亡き者にするつもりなのかもしれない)


 考えないようにしていた可能性。


 仮にそうだとすれば、感じていたいくつかの違和感に納得がいく説明を付けることができる。


 しかし、そこまでわかっていてもニコラスは部屋の外に出ることができなかった。


 マザー・ルイーゼがいなくなれば、教国内において枢機卿の発言力はさらに増す。


 既に大聖堂の人事権は完全に彼の手中にあるのだ。


 もし機嫌を損ねれば、自分のクビなんて簡単に飛んでしまう。


 気に入られれば、それだけで要領よく快適に生きていくことができる。


 実際これまでもそうやって、みんなが羨む地位を手にしてきたのだ。


 安定。羨望。妻。子供。趣味。勝ち組の人生。


 揺れる大聖堂。


 聞こえる轟音は別の世界の出来事のように感じられる。


 耳を塞ぎ、硬く目を閉じてうずくまる。


「全部壊れてしまえ」


 つぶやきが漏れたそのときだった。


 大聖堂が激しく震動する。


 立っていられない。


 それは世界の終わりさえ頭をよぎるほどの激しい震動だった。


 バランスを崩して、床に転がる。


 轟音が鼓膜を叩き、光が一切を白く染める。


(いったい何が……)


 眩しすぎる光に、視力が戻るまでに少し時間がかかった。


 見上げた天井には空が広がっている。


 崩落した大聖堂。


 部屋の石壁の向こうで二人の魔法使いが戦っているのがわかる。


 距離はあるし、二人の動きは異常なまでに速い。


 それでも、ニコラスには二人が魔法使いであることがわかる。


 魔力圧だけで、立っていられずただうずくまることしかできないから。


(なんなんだよ、あれ……)


 飛竜種のそれをさらに超えている。


 現実の一切を、消し飛ばしてしまいそうな化け物がそこにいる。





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