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209 それだけで、私は


「どうしてここに?」


 私の問いかけに、エヴァンジェリンさんはにっと目を細めて言った。


「友達を助けることより大事なことなんてないでしょ」


 それは真っ直ぐであたたかい言葉で。


 だけど、社会人の私としては現実的なこととかも考えてしまう。


「でも、女王の仕事で帝国領南部を訪問してたんじゃ」

「訪問してたわね」

「大丈夫なんですか?」

「多分大変なことになってる」

「大変なことになってるんですか!?」


 慌てる私の口元に、エヴァンジェリンさんはそっと指をあてる。


「私は優先順位を大切にしてるの。公務も体面もすごく大事なこと。大人としてやらないといけないことはもちろんある。でも、困ってる友達を助ける方がもっと大切。それ以上に大切なことなんて何もないわ」

「かっこいい……」

「ふふふ。もっと褒めていいわよ」


 エヴァンジェリンさんはうれしそうだった。


「変身薬もあったし、シンシアがなんとかするでしょ。それより、今はノエルの友達を助けないと」

「それなんですけど……」


 私は自分が置かれている状況をエヴァンジェリンさんに話す。


 追いかけた先で、ルークは変わり果てた姿になっていたこと。


 改造されたルークは私が対峙した誰よりも強く、何をされたのかさえわからないうちにやられてしまっていたこと。


 その精神と心は投薬によって破壊されて失われてしまっていたこと。


「つらい思いをしたわね。国別対抗戦のときは届かなかったとは言え、自分のすべてを懸けて私に向かって来た。中々見所のある子だったのに」


 エヴァンジェリンさんは言う。


「もう元に戻すことはできないの?」

「仮面の男はそう言っていました。私も一目見て、わかってしまったというか」

「そう……」


 エヴァンジェリンさんは目を伏せてから、床に落ちていた注射器を拾う。


「使われた薬はこれ?」

「そうみたいです」

「なるほど。たしかにこの薬なら徹底的かつ不可逆的に心を破壊することができる」


 エヴァンジェリンさんは顔を上げて言った。


「落ち着いて聞いて、ノエル。彼の心を呼び戻すチャンスはあるわ」


 その言葉を、私はうまく理解することができなかった。


 それは知らない国の言葉みたいに私には響いた。


 希望としてあまりにも眩しすぎたのだ。


 信じたいけど、信じるのが怖い。


 もしその希望が間違いだったら、潰えてしまったら、私はまたどうしようもなく深く傷つくことになるから。


「どういう、ことですか」


 それでも、私はその続きを聞いた。


 聞かずにはいられなかった。


 たとえ傷ついたとしても、眩しすぎる光に焼き尽くされたとしても、それでいい。


 もし少しでもチャンスがあるのなら、私はそのために自分のすべてを捧げられる。


「その昔、帝国上層部の人間が私たち森妖精エルフを使った生物兵器を作ろうとしたことがあったの。薬で精神を破壊し、意のままに操ることができる人形として使役する。そのために作られたのがこの薬。改良されているみたいだけど、大まかな原理は変わっていない。精神が完全に破壊されるまで九日間。その間なら、専用の解毒剤と大規模回復魔法で再生することができる」


 エヴァンジェリンさんは言う。


「おそらく、敵はまだチャンスがあることを隠しておきたかったのよ。だからこそ、過剰に凄惨な姿を見せて、徹底的に希望を打ち砕こうとした」

「本当にチャンスはあるんですか……?」

「あるわ。可能性はまだ残されている」


 檻の上部にある小窓から白い光が射し込んでいた。


 その言葉を、私は大切に胸の奥に染みこませた。


 全身に力が満ちていくのを感じる。


 ちらちらと光を反射して舞う塵の中で私は立ち上がった。


「手伝ってください」

「もちろん」


 口角を上げるエヴァンジェリンさん。


 希望も可能性もまだ残されている。


 それだけで、私は前に進むことができる。






 エヴァンジェリンさんが私の手錠を外すまでに、思っていたよりも長い時間がかかった。


「手錠の鍵、どこにあるんですかね」

「私は今の魔法界で最高の空間転移魔法の使い手よ。鍵なんて人生で使ったことないわ」


 不敵に笑みを浮かべるエヴァンジェリンさん。


「安心しなさい。こんな手錠なんて私がちょちょいのちょいで外してあげるから」


 エヴァンジェリンさんは魔法式を起動した。


 しかし、何も起きなかった。


「は? なんで効果が出ないのよ」

「なんでですかね。私も魔法が使えないですし。抗魔石で封じ込められるのは触れている相手だけなので、エヴァンジェリンさんには作用しないはずなんですけど」

「……なるほど。いろいろめんどくさい小細工がされてるわね、この手錠」


 じっと手錠を覗き込んで言うエヴァンジェリンさん。


「空間転移魔法を阻害する術式の付与がされているみたい。たしかに、空間転移魔法は拘束具の天敵だし対処法を講じるのは自然なことだとは思うけど」


「でも、空間転移魔法なんて使える人ほとんどいないですよね。特に人間の身体近くで使うのってすごく難しいですし」


「そうね。命にかかわるから。小さなマッチ棒一つでも体内に転移させれば大変なことになるし」


「考えただけで恐ろしいですね」


「もっとも、何かの中に物体を転移させるのは出力の指定法が難しいから、その類いの失敗はほとんど起きないんだけどね。ただ、ここまで念を入れているというのがどうも気に入らないわ」


 口元に手をやって考え込むエヴァンジェリンさん。


「私が来ることを想定してた? いや、いくらなんでもそこまで予測するのは不可能なはず。となるとノエルか、あるいは王宮魔術師団の隊長格を警戒して準備していたと考えるのが自然かしら」


「でも、教国で王宮魔術師団は捜査権限を持ってないですよ。だから今回は私が一人で――」


「その先のことまで考えて準備してた可能性がある。まあ、隊長を一人誘拐してるわけだし、アーデンフェルド王国と敵対するのは想定済みというところかしら」


「とにかく、今はルークのことです。絶対に助けださないと」


「そうね。最善を尽くしましょう。で、この手錠はどう開ければいいのかしら」


「鍵がないですか? その人が持っていたりとか」


「探してみるわ」


 エヴァンジェリンさんは男の着ていた黒い外套のポケットを探った。


「持ってないみたいね」

「じゃあ、外の誰かが持っているかも」

「あ、もしかしてあの人かも」


 エヴァンジェリンさんは魔法式を起動する。


 瞬間、足下に気絶した仮面の男が倒れ込んでいた。


「来るときにとりあえず気絶させておいたの」

「手際良いですね。さすがです」

「ポケットはえっと……」


 太もものポケットを漁るエヴァンジェリンさん。


「あったわ。これかしら」

「多分それです。お願いします」

「鍵を開けるのとか何千年ぶりかしら。そう、なつかしい。あれは私が教師役の大人の日記を盗み見ようとしていた夕暮れのこと」

「とりあえず手錠を外してからにしてほしいです」

「下々の人たちは今もこんなめんどくさいことをして手錠を外してるのね」

「普通の人からすると、空間転移魔法使う方がめんどくさいですよ、多分」


 覚えるのも術式起動するのもそれはもう大変だし。


 空間転移魔法を覚えたいですって言うと、「あ。この人魔法使いとして何もできずに死ぬな」って思われるくらい一生かけても身につけられない可能性がある難易度してるって聞くし。


 だからこそ、寿命が長い森妖精エルフにとってはアドバンテージを生かしやすくて有効な魔法なのかもしれないけど。


「よし、外したわ。じゃあ、早速黒幕どもを殴りに行きましょう」

「その前に、ルークの心を再生するための解毒剤を探さないと。あと、どこかで捕まってるニーナを助けたいです」

「ニーナ?」

「協力してくれてる友達です。元々幼なじみで、今は教国に住んでるんですけど」

「ノエルの友達なら絶対に助けないといけないわね」


 強くうなずくエヴァンジェリンさん。


 檻の外を二人で探索する。


 そこは、大聖堂の地下にある【竜の教団】拠点の一区画であるようだった。


 その中に見たことある顔を見つけて私は足を止める。


「貴方、枢機卿じゃ」

「……私がわかるのか?」


 力ない声で言う枢機卿。


 髪は肩口まで伸び、髭が顔の下半分を覆っている。


 身体は痩せ細り、鶏ガラのように筋張った脚が着せられたぼろ切れの間から覗いていた。


「いつからここに?」

「わからない。一年以上は経過してると思うが」

「一年……」


 そんなに長い間、と息を呑む。


 ここにいる枢機卿がおそらく本物で、今地上で活動している枢機卿は誰かが成り代わった偽者なのだろう。


 他にも、たくさんの教国関係者が捕まっている。


 その中には、私に協力してくれた彼女たちの姿もあった。


「出して下さい! 私は酒がないと生きていけないんすよ!」

「信じる者は救われます。神と違法賭博はすべてをお救い下さる。貴方も信じましょう。そして、たくさんのお金が一瞬で消えていくあの冷たい感覚を通してかけがえのない生の実感を得るのです」


(ブレないなぁ、あの二人……)


 すべて解決した後で救出してあげようと思いつつ、奥へ進む。


 一番奥の檻の中でニーナは倒れていた。


 死んでいるみたいに動かなかった。


「ニーナ!」


 鍵を開けて二人で回復魔法をかけると、ニーナはゆっくりと動いてから、目を開けた。


「……ノエル?」

「よかった……生きててよかった……」


 ぎゅっとニーナを抱きしめる。


「大げさだなぁ」


 私を見て細めていた目が、すっと隣にいるエヴァンジェリンさんを向いた。


「その人は?」

森妖精エルフの女王であるエヴァンジェリンさん。助けに来てくれたんだ」

「少し見ない間にとんでもない人と友達になってる……」


 呆然とするニーナ。


 エヴァンジェリンさんは戸惑った様子で視線を彷徨わせてから、私の肩をつついた。


「ねえ、ノエル。友達の友達って距離感難しいわね」


 小声で言うエヴァンジェリンさん。


「仲良くしたいけど、初対面だしどう接していいかわからないというか」


 人見知りな一面もある女王様だった。


 大森林の中で知っている人たちと過ごす時間が長いからかもしれない。


「は、はじめまして」

「よ、よろしくてよ」


 二人のぎこちないやりとりを微笑ましく見つめる。


「それで、ニーナ。ルークを見つけたんだけど、心を壊す薬で人形みたいな姿にされちゃってて。心を再生させるために解毒剤が必要なの」


 状況を説明すると、ニーナは小さく息を漏らしてから言った。


「もしかして、あの薬かも」

「見たことあるの?」

「私が探索した部屋にはいくつもの薬が保管されてたんだ。その中に一際厳重に保管されてる薬液があって。あの薬の作用機序なら、たしかにそういう使われ方をしてもおかしくない。ラベルには、《パメグラレイト》って書かれてたと思う」


 ニーナの言葉に、エヴァンジェリンさんが顔を上げる。


「その薬だわ。《再生の木》の種子を調合して作る薬」

「すぐに薬を取りに行こう」


 立ち上がろうとした私の腕をニーナがつかんだ。


「待って。その薬はもうそこにはないの」

「え?」

「仮面の男が入ってきて、保管されていた薬を廃棄し始めたの。すべてはあっという間の出来事だった」

「どうして廃棄なんて……」

「多分、ノエルがルークさんの心を再生させるためにあの薬を必要とするって考えて先回りしたんじゃないかな」


 ニーナの言葉にエヴァンジェリンさんが唇を引き結ぶ。


「一番のリスクを先に排除したってわけね」

「だから、あの部屋に薬はもう残ってない」


 頭がうまく回らない。


 最後の希望は失われてしまったのだろうか。


 呆然とする私の視界の端で、ニーナがポケットから何かを取り出した。


「私が持っているこの一本が最後の薬だよ」


 私は呼吸の仕方を忘れた。


「どうして?」

「使いどころがあるかもって一本ずつ回収しておいたんだ。バレずに隠し通すの大変だったけど、でもやってよかった」

「ニーナ……!」


 ニーナをぎゅっと抱きしめる。


 失われるはずだった希望はまだここにある。


 ニーナが懸命に繋いでくれた小さな希望。


 受け取った小瓶を大切に抱える。


「薬は注射器で後頭部の下部、浅側頭静脈から直接投与する。この注射器に薬液を移し替えて。心を再生させるには小瓶の薬液をすべて投与する必要があるわ。その上で大規模回復魔法をかけて、一気に心を再生させる」


 要点を説明してくれるエヴァンジェリンさん。


「どれくらいの規模の大規模回復魔法が必要ですか?」

「わからないけど、私とノエルでありったけの魔力を込めてやっと可能性が出てくるレベルだと思う。ニーナさんもかなりの腕があるみたいだから、三人なら多少消耗していてもなんとかできると思うけど」

「ルークのところに行くまでに消耗してることを考えると、三人でたどり着くのは最低条件と考えた方がいいですね」


 一人も欠けずにルークのところにたどり着き、薬液を頭にぶち込んでから、ありったけの回復魔法であいつの心を再生させないといけない。


 それは決して簡単なことではない。


 今のルークは私が出会った誰よりも強い化け物じみた存在になってるし、他にも人間離れした力を持つ黒仮面たちがたくさんいる。


 間違いなく、私が経験したどの状況よりも難しく困難な戦いで。


 だけど、迷いも不安も不思議なくらいになかった。


 希望があるなら私は戦える。


 ルークと二度と話せないと思っていたときに比べれば、今の私はどれだけ恵まれているか。


(すべてを懸けて、ルークを取り戻す)


 決意を胸に、奥の小部屋に保管されていた拘束されている人たちの所持品から自分の荷物を回収していたそのときだった。


「すみません、ひとつよろしいですか?」


 美しい透明感のある声だった。


 視線を向けて近づく。


 清廉な修道服を着たその人は、違法賭博が大好きなライザさん。


「なんですか?」

「私、聞いてしまったのです。あれは仮面の方々に違法賭博の素晴らしさを伝導していたときのことなのですが」

「…………」


 極限状態でなにやってるんだこの人。


「仮面の方々は、違法賭博に関心が無いようでした。私を無視して、早急に計画を決行すると話していました」

「計画?」

「聖女とマザー・ルイーゼ、他すべての関係者と聖女候補者の精神を破壊し、大聖堂を完全に支配下に置く、と。彼らはそのために今日まで準備をしていたようでした。聖女暗殺未遂事件は、聖女が外に出る可能性を減らすための罠だったのです」


 ライザさんは言う。


「彼らはおそらく今、地上で聖女様とみんなを襲っています。私は欲望を捨てられない劣等生でした。最後には、聖女候補者の中でバカラを流行させ、排斥されました。しかし、彼女たちは決して私を侮蔑することはありませんでした。仕方ない子ね、と微笑んで『貴方の幸せを願うわ』と言ってくれたのです」


 瞳が静かに私に向けられていた。


「落ちこぼれな私は誰よりも、彼女たちのすごさを知っています。どれだけ多くのものを犠牲にしているか知っています。欲を捨て、執着を捨て、他者のために祈り、自分を踏みつけた人の幸せさえも願い、人生のすべてを捧げて神のために生きようとしている。聖女様とマザー・ルイーゼもそうです。あの二人は、自分のしたいことをすべて捨てて、みんなが求める自分であろうとしている。そんな生き方は地獄であるようにしか私には思えない。でも、彼女たちは自分では無く他者のために無償の愛を注ごうと懸命に努力しているのです」


 ライザさんは強い口調で続けた。


「そんな人たちの人生が、理不尽に破壊されて終わるなんて絶対にあってはならない。お願いします。みんなを救ってください。どうか、どうか……」


 必死で訴えるその姿は、自分ではない誰かのために祈る修道女以外の何物でもなくて――


 私はたしかな意志を込めて彼女に言った。


「できるすべてを尽くすよ」


 ニーナとエヴァンジェリンさんに目配せをする。


 準備ができているのを確認してから、先ほど回収してポケットに入れていた銀色の笛を取り出した。


 魔晶石の単結晶をくりぬいて作られた美しい小笛。


 深層で見つかる迷宮遺物に使われている、古代アルメリア式魔術言語に似た魔法式構造で描かれているのは、大規模な転移魔法陣を展開する構造式。


 ドラゴンさんにもらった特級遺物《移送の呼び笛》


 吹けばもう後戻りはできない。


 教国はおろか、西方大陸史に刻まれる大事件になるのは間違いなくて。


 だけど、だからこそ世界に気づかせるために私は笛を吹く。


 展開する巨大な魔法陣。


 稲妻が墜ちたと私は錯覚した。


 白い光がすべてを塗りつぶす。


 轟音が鼓膜を叩き、立っていられないほどの強烈な風が私を打つ。


 尻餅をついた私の頭上には青が広がっていた。


 地下深くに作られた拠点と地上の間にあった一切が吹き飛ばされ、巨大な竜がそこには立っている。


『久しいな、小さき者』


 頭の中に直接声が響く。


 空の中から、私を見下ろしてドラゴンさんは言った。


『我の力が必要か?』

「必要。ものすっごく必要」


 私はドラゴンさんを見上げて言った。


「助けて。全部ぶっ飛ばして」

『任せよ』


 ドラゴンさんはにっと口角を上げた。


『我が友の敵はすべて灰塵に変える』





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