21 冷たい汗
「その人変身薬を使った暗殺者です!」
突然飛んできて言った私に、近くにいた騎士さんたちはしばし目を見開いて呆然としていたけれど、やがて剣を握り直して真剣な目で言った。
「貴様! アンダルシア様になんてことを!」
そうだ!
もっと言ってやれ!
心強い味方に、ほっと胸をなで下ろしていた私は、不意に気づく。
彼らの握った剣の切っ先が私に向いていることに。
「え? なんで私に」
「なんでだと? アンダルシア様に無礼を働いておいて」
いけない。
勘違いされている。
そこでようやく私は気づいた。
この騎士さんたちは、こちらの女性のお供をしている外国の騎士さんで、だから王宮魔術師が舞踏会に参加していることも知らないんだ。
「い、いや、違いますって! 私は王宮魔術師で――」
「嘘を吐くな! お前みたいなちびっ子が王宮魔術師なわけがないだろう!」
「誰がちびっ子ですかっ!」
また子供だと思われて誤解が……。
頭を抱える私の視界の端に、老執事姿の犯人が懐からナイフを取り出したのが見えた。
一瞬姿が消えたと錯覚する。
変身薬で作られた穏やかそうな見た目からは想像もできない踏み込み。
刹那で暗殺対象の女性との間合いを詰める。
その動きだけで、目の前の敵が只者ではないのがわかった。
おそらく、暗殺者の中でも相当の凄腕。
世界の裏側、その第一線で磨き抜かれ、異能の域まで達した戦闘技術。
だけど、速さなら私だって――
《固有時間加速》
一息で騎士さんの間を突破し、老執事姿の犯人に体当たりをする。
驚愕で皺の刻まれた目が見開かれるのが見えた。
《風閃斬》
すかさず、風魔法を放ち追撃する。
後退し、私の攻撃をかわす老執事。
すぐに体勢を立て直すと、懐から何かを取り出して起動した。
《影を生む指輪》
老執事さんと同じ体躯の黒い影が、一斉に現れて私たちを取り囲む。
普通の生活を送ってきた私が知っている魔道具とはまったく違うそれはおそらく――迷宮遺物。
迷宮の奥で希に見つかる強大な力を持つ魔道具だ。
現れた黒塗りの影は数十体以上。
そのすべてが、凄腕の暗殺者である所有者と同じ実力を備えているように見えた。
一斉に襲いかかってくる影たち。
――させるか。
《風刃の桜吹雪》
風の刃が舞う。
範囲攻撃で正面の九体を撃破する。
一撃で、その数の影がやられるとは思っていなかったのだろう。
若干浅くなった踏み込みに、すかさず右翼の六体を迎撃。
そのまま回転して魔法を放つ。
ひらめくロングスカート。
くるくると踊るようにステップを踏みながら、標的の女性を影の攻撃から守る。
期待してくれて、任せてもらえた仕事なんだ。
――絶対にここは通さない。
◆ ◆ ◆
彼は一流の暗殺者として、裏社会では名の知られた存在だった。
ただの一度もミスはなく、ただの一度の敗北もない。
そんな彼にとって、突如飛んできた小柄な少女はまったく想定していない異常事態に他ならなかった。
手渡した毒入りのグラスワインを突き飛ばし、自身の変身薬による擬態を見抜いたドレス姿の少女。
風を身に纏い、ふわりと降り立った姿は思わず目を奪われそうになるほどに幻想的に見えた。
「貴様! アンダルシア様になんてことを!」
近くにいた警護の騎士が、彼女に剣を向けたのは幸運だった。
目の前に転がってきた絶好の機会。
彼は気配を消しつつ、そっと間合いを詰める。
回避不可能な必殺の間合いに入ったことを確認してから、踏み込んだ。
しかし、次の瞬間彼は経験したことのない衝撃を体験することになる。
(――――!?)
少女の踏み込みは自身のそれよりもさらに速かったのだ。
なんとか迎撃をかわすことはできたが、しかしその速さは経験豊富な彼も未知の領域だった。
(いったい何者……)
わからないことばかりだが、しかし明確にわかることもある。
それは、目の前の彼女が自身の常識を越えた存在だということ。
(奥の手を使うしかない)
彼の判断は早かった。
緊急事態に備え、用意していた切り札を起動する。
《影を生む指輪》
それは強大な力を持つ迷宮遺物の中でも、さらにひとつ次元の違う存在だった。
――特級遺物。
都市一つ、国一つさえ買えるような額で取引される規格外の遺物たち。
彼が持っていたのはそんな特級遺物に認定される魔道具だった。
所有者と同じ力を持つ漆黒の影を召喚する指輪。
最大で同時に七十体。
撃破されても無尽蔵に新たな影を召喚できるこの魔道具は、対個人での戦闘では圧倒的な力を持つ。
七十対一。
それも、永遠に尽きることのない無限に現れる影を相手に戦わなければならないのだ。
凄腕の魔法使いのようだが、しかしこの指輪の前には無力。
殺到する影を前に、少女は為す術無く蹂躙されフロアに横たわることになるだろう。
そう思っていた。
(バカな……特級遺物を相手に……)
そこにあったのは均衡。
圧倒的物量で殺到する影を前に、少女は驚異的な速度で範囲攻撃を放ち、近づくことを許さない。
目の前の光景が信じられなかった。
いったいどれだけの力があれば、こんな芸当ができるのか。
魔法の専門知識を持たない彼にとって、その少女の強さはもはや推し量ることさえ叶わない領域まで到達している。
(なんなんだ、この化物は……)
男の首筋には、経験したことのない冷たい汗が伝っている。